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2013/10/22

我が家で一番、古い本(前編)

 我が家にある一番古い本は、詳しく調べたわけではないが、間違いなく父の蔵書。
 洗面所というか、玄関の隣の一角にある書棚には、古い本が詰め込まれていて、パッと目に付いた本でも、昭和31年版の石原慎太郎著『太陽の季節』や、昭和28年版の吉川英治著『三国志』全巻、獅子文六など、あれこれとある。

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← 父の蔵書の中から。父も昔は、石原慎太郎なんて読んだのか。そういえば、今は見当たらないが、石坂洋二郎の本も立派な書棚に収まっていたっけ。ガキの頃、こっそり覗いては、エッチなシーンを探していたものだ。

 三国志は箱入りの立派な本。さがせばもっと古い本も見つかるに違いない。
 但し、恐らくはせいぜい遡っても戦後数年を経てからのものに限られるだろう(古書店で入手したような古い本は別格)。

 というのも、アメリカ軍による空襲で富山の市街地などがほぼ全滅した際に、我が家も全焼したからだ。蔵だけ形が焼け残ったが、中のものは燃えてしまったとか。戦災以前の什器類や布団など、蔵にあった文書類も灰となってしまったという。

 蔵は土蔵なので、壁面は藁屑が混じったような泥の壁。その壁面には、アメリカ軍のグラマン戦闘機に機銃掃射を受けた際の弾痕が十数年前までは外から誰でも見える状態で残っていた。
 その後、壁面の痛みが激しくなったので、トタン板で覆われてしまった。建て替えしたわけではないから(その必要もなくなっていた)、恐らく、板を剥がしたら、弾痕が残っているはずである。

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→ 高校生だった3年間を過ごした屋根裏部屋。その壁に作り付けの書棚がある。拙稿「屋根裏部屋の秘密」など参照のこと。

 父の父、つまり小生の祖父は、農業に明け暮れる生活で、本など手にすることはなかったようである(未確認)。
 父は本好きだが、母は本は読まない(本を手にする姿を目にした記憶はない)。家に古い蔵書があるとしたら、父の本に限られる。
 小生はというと、高校を卒業と同時に大学のある仙台へ。2年間の下宿生活、その後アパート暮らしを4年間。
 その間、ドンドン本は溜まっていった(読む本の半分は、図書館だったり、友人などから借りた本)。
 最初のうちは、スチールの本棚一個に並べられる程度だったが、やがて二個にまで増えていった。
 それでも、書棚に溢れるようになってくる。6年間の仙台暮らしを切り上げて上京し、東京で転々と引っ越しを繰り返し、30年間過ごした。
 仙台から東京へ引っ越す際に、かなりの本を段ボールに詰めて田舎へ送った。

 送った本は、最初のうちは、父が開梱し、奥の廊下の隅っこにスチールの書棚を用意し、そこに並べてくれていた。
 東京へ移ってからも、書棚に溢れる本は年に数回、段ボールに詰めて田舎へ。それを二十年ほどに渡って繰り返した。
 父も呆れてか、あるいは面倒になってか、段ボールのままに蔵へ。
 東京を引き払って帰郷する際、最後の住処の壁面にあった書棚二つなどから溢れるほどの本は、その大半を処分してしまった。岩波版の夏目漱石の全集も、小生の一番、貴重な収集である、美術展カタログ数百冊も。
 仙台時代もだが、東京在住時代も、月に一度か二度は美術展へ足を運んだ。
 足を運ぶと、必ず図録を入手する。小生の美術(芸術)関係の書籍は、ふつうの本もあるが、圧倒的大部分は図録だったのである。
 東京在住の最後の数年は、生活に困窮し、展覧会へ足を運ぶこともなくなった。行けば、必ず図録が欲しくなる。入場料だけならまだしも、図録も購入するとなると、もう、小生には美術館は敷居の高い存在になってしまっていた。

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← 父の書斎の壁面に繰り込まれている書棚。今は大半が我が蔵書で埋まっている。最上段は、新潮社版ドストエフスキー全集。

 上記したように、東京の住まいを引き払う際に、蔵書の大半を処分してしまった。
 引っ越しの荷物を減らすために。書棚さえも、処分してしまった。

 最後まで手放さなかったのは、埴谷雄高の全集、寺田虎彦の随筆集全六巻、中谷宇吉郎の随筆集など、ほんの少々。
 では、我が蔵書はこれら以外、皆無となったか。
 幸か不幸か、仙台や東京暮らしの36年の中で、部屋(書棚)に溢れた本を順次、段ボールに詰めて田舎に送っていた。
 なので、我が蔵書の中で比較的古いもの、あるいは皮肉にも、書棚に並べておくに値しないと判断した本の類の大半が田舎の書棚や大部分は蔵に箱詰めのまま残っていたわけである。

 帰郷した08年の2月末から3月にかけて、引っ越しの整理が終わった段階から、徐々に蔵の中に置き去りだった段ボールを引っ張り出した。
 当初は、(これは痛恨の失敗談だが)蔵の中に長く段ボールが積み上げられていたので、段ボールが腐ったりしており、当然、中の本も腐っているものと思い込み、中をちゃんと確めもせず、ドンドン、処分していった。
 つまり、燃えるゴミの日が来るたびに他の一般ごみと一緒に出した。あるいは近所の人が持ち去っていくのを手をこまねて眺めていた。

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コメント

美術館行けば図録買うのは同じです。
今日もターナー展、図録が重い。
しかし、本は例えば、大学の研究室に行けば、相当古い洋書ありますよね、弥一さんはそれ借りたりしませんでしたか?
東日本大震災の少し前に、大学の研究室から、まだ返してない本があるというハガキが来まして、ビックリ。
もう時効でしょう、窃盗でも、懲役10年が最大刑罰だから、10年で犯罪犯しても時効ですね。
東日本大震災が起こって、研究室の本もどうかなったのか、それから何とも言って来なくなりましたが。
大震災で、家の二階の本棚も崩壊してえらいことになってます。

投稿: oki | 2013/10/23 21:56

okiさん

今は昔の話ですが、展覧会に行くと、その美術展の図録だけじゃなく、興味を惹く図録を何冊も買ってしまったものです。
なので、一回、展覧会に行くと、一万円ほどは費やす。
それだけに、段々、足が遠のいたわけです。

大学から借りた本。時効とかじゃなく、やはり、返却はしたほうがいいのでは。別に罪を問うとかじゃなく、貴重な図書なのでしょうから。

「大震災で、家の二階の本棚も崩壊してえらいことになってます」は、初耳。
本は重いから、できるだけ、一階に所蔵したほうがいいのじゃないかなって。
小生は、家が古いので、屋根裏部屋の重いものを可能な限り、一階におろしたり、捨てたりしました。

投稿: やいっち | 2013/10/24 02:59

いやいや、僕の部屋が二階でしたから、それで大震災の前は母が生きていて、母の所へ行くだけで一日おわり、蔵書の整理どころではなく、母が死んだのが1月、で、そのすぐ後に大震災が起こった。
研究室の本は、研究室が満杯になるほどあって、それから、また買い足しているはずで、要らなくなる本が沢山出てくる訳ですが、その辺りどうなっているのか?
おそらく、本を返してなくても、名誉教授なんかには催促せず、僕みたいな、博士課程中退には催促するのが腹がたつ。
さて、台風がまた来るんですよ!

投稿: oki | 2013/10/25 22:30

okiさん

学校などの図書館で、古く不要になった図書は、やがて廃棄処分になります。
多分、燃えるゴミ。
気になるのは、その当座、ベストセラーで何冊も購入した小説(単行本)など。
相当に読み込まれて、ボロボロなんでしょうけど、やはり、熱気が醒めると、図書館に必要なのは一冊か二冊だろうから、残りは廃棄されちゃうんでしょうね。

研究室の本は、資料的な価値とかあるんでしょうね。okiさんに返却の催促が来た本は、もしかして貴重な本なのでは?
それとも、返却の催促をしやすいってこと?

投稿: やいっち | 2013/10/26 13:34

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