我が家で一番、古い本(後編)
それからは、慌てて、段ボールごと捨て去るようなことはせず、段ボールを一個一個、開梱し、中の本の状態をチェックして、本の形を保っている限り、救い出すことにした。
つまり、改めて我が蔵書に復することにしたわけである。
時すでに遅し、ではあったが、それでも、段ボール十数箱分は命永らえたわけである。
開梱し、家の中の父の書棚に本を収めていった(父の本は、父の遺品の間に集めた。なので空いた父の書斎などの書棚を使うことができた。ちなみに、父の蔵書は、篆刻関係の専門書、書や俳句などの豪華本が多い。時代小説や歴史小説の本も何百冊とある。いつか、折りを観て読んでいくつもり。一方、小生がガキの頃、父の書棚で見かけた、コナン・ドイルの本など古い文庫本の大半は行方不明である。父の読書の趣味が変わっていたということなのだろう。父の蔵書については、いつか、改めて書いてみたい)。
段ボールから救い出した本を、埃を払いつつ、作り付けの書棚に収めていく。父の書斎などの書棚を我が書棚とする。感慨無量である。
← 書斎の奥の現状。スチールの本棚や母の箪笥の上に我が蔵書などが。奥の壁面には、東京で取得しかけた個人タクシーの看板が(なぜかバタイユ全集の上で)静かに眠っている。
そうして並べていくと、例えば、堀田善衛著の箱入りの『ゴヤ』全四巻が、一巻、欠けていたりする。うっかり捨てたか持ち去られてしまったわけである。
河出書房版のドストエフスキー全集も、新潮社版のドストエフスキー全集も、欠巻が見られる。痛恨事である。
古い蔵書の中には、バタイユ全集やプラトン全集、ショーペンハウエル全集などもある(それぞれ全巻揃っている)。
70年代の半ばから90年代の初めまで凝っていた埴谷雄高関連の本も、恐らくほぼ全て無事安泰のようである。
というのも、90年代の半ばまでは、部屋に溢れた本は逐次、段ボールに詰めて田舎に送っていた。その頃までには埴谷熱も醒めていて、手元に置いておきたいという気持ちは薄れていたからである。
埴谷関連の本は全集はもとより、作品集も、単行本も、ほぼ全て残っている(90年代末から出された本はフォローしていない)。
一方、必ずしも残っていてほしいとは願っていなかった書籍も多数。 特に、80年代のオートバイブームの頃、買い漁ったオートバイ関係の本は、百冊以上もあって、我がバイクブーム時代を思い出させはするが、別に今さら読み返したいとは思わない。こちらこそ、段ボールの処分の際に消えていたのを後から気づいても、悔しい思いはしなかったはずである。といって、今さら、捨てられもせず。
→ 蔵の前の細長い花壇になぜか野菊が。この蔵には土壁の形で、我が家で一番、古い建物の名残りが残っている。
父の蔵書の中の一番古い本は分からないが、小生の蔵書で古いのは、小生が高校生の頃(受験生だった頃)、鬱々とした時間を過ごした屋根裏部屋の壁に作り付けられた書棚に収まったまま、今も埃をかぶっている。
あまりに埃の堆積がひどいので、近づくのも憚られる。
その書棚には、小学生の頃からの本も鎮座している。
つまり、昭和30年代の後半のものが一番、古い本というわけである。
昭和30年代の前半や、まして昭和20年代の本は、我が蔵書には皆無というわけである。
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