ドノソとデザイナーベビーと(後編)
出産に際しては、ある程度の割合で何らかの奇形や異常を持った子が生まれるという。
その子たちの運命はどうなのだろうか。闇から闇へ?
ところで、「たとえ非常に低い放射線レベルでの被ばくであっても、生命体には有害な影響がある」といった研究が学術誌にて発表された(「低放射線被ばくで深刻な健康被害」仏米科学者が学術誌に発表/サイエンス・デイリー(11月13日) フランスねこのNews Watching」より)。
← ドノソ著『夜のみだらな鳥』(鼓直訳 集英社 1984) (画像は、「ドノソ著『夜のみだらな鳥』へ 壺中山紫庵」より)
東電福島第一原発の事故で福島に限らず、相当広い範囲での放射能汚染による影響が懸念される。
あるいはすでに現実の事態として発生しているやもしれない。
その中の一つの事象として、奇形の問題もありえるわけである。
ところで、数か月前、ホセ・ドノソ[著]『境界なき土地』(寺尾 隆吉【訳】 水声社)が刊行された。
この『境界なき土地』は、『夜のみだらな鳥』の一挿話として構想されていたものを中篇化した作品といった性格を持つらしい。
「書評:境界なき土地 [著]ホセ・ドノソ - いとうせいこう(作家・クリエーター) BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト」によると、「『境界なき土地』は、まさに『夜のみだらな鳥』を書きあぐねていたドノソが、その“原稿用紙の裏に”書いたという伝説を持つ」という。
→ リー・M. シルヴァー著『複製されるヒト』:(東江 一紀, 渡会 圭子, 真喜志 順子訳 翔泳社) 十何年も以前、こんな本を読んだっけ。
「デザイナーベビー」がいよいよ現実のこととなりつつある中、ドノソの世界など夢の中の話、悪夢の戯言に過ぎないのかもしれない。
けれど、生前に生まれるべき子が選別されるその果ての時代(世界)では、我々が思う大概のまともなはずの子(人間)たちだって、理想には叶わないという理由で誕生を選ばれない可能性がないわけじゃない。
もっと突き詰めると、人間をデザインするという発想の行く末には、人間なんてこの世にないほうがいいってことになりかねないわけである。
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コメント
今晩は 何時もありがとうございます。お邪魔致します。放射能汚染により人体に影響のある方が生まれていること聞いています。目が一つ、耳が無い。永いあの世での修行が終わり光の国へ、やっと神の子として誕生できます時に闇の悪魔に阻害され闇の国に戻されてしまうのです。闇の悪魔とは未成仏霊の魂です。現在はその悪霊が数多くはびこり人の幸せの邪魔をもしています。人は生かして頂いている間の生き様が(◎´∀`)ノ大切のようです。すみません。変なコメントで・・・。妊娠初期で口蓋破裂の方がわかり御相談におこしになりました。(医師が訊ねられたようです)
「生んで下さい」と答えました。御蔭さまで手術大成功!女の子ですが奇跡にわからなくなりました。神様の光が闇に勝ったのですね。
投稿: 赤津姫 | 2013/10/25 21:17
赤津姫さん
いきなりTBして失礼しました。
あまりにもタイミングよく、やや似た内容の日記だったので。
今、ドノソの本を読んでいますが、いよいよ佳境に入りつつあります。世評に違わぬ読み応えのある本です。
小説では、いきがかりもあって、異常な形で生まれた子を、敢えて育てるため、世間を隔離し、ドノソの『夜のみだらな鳥』は、筒井康隆の評言を借りれば、「名門の富豪ドン・ヘロニモは生まれてきた恐るべき畸形(きけい)のわが子のため、広大な土地に息子《ボーイ》を閉じ込め、国中の重度の畸形を集めて高給で雇い、いわば畸形の楽園を作る。神父も医者もすべて一級、二級の畸形である。隔絶された楽園の周囲には、雇ってほしいための大勢の畸形がさらに集ってきて村落を作る。単にひとつだけの畸形しか備えていない三級、四級の畸形たちだ。物語のほとんどはこの畸形の園と、やはりドン・ヘロニモが所有していて放置したままの広大な修道院のふたつに終始する」のである。
ここでは、普通の世間では、醜男ですら、まともな人間だということで、異常者ならぬ邪魔者扱いされかねない。
たまたまその異物は、作家なので、そうした世界の叙述者ということで、存在を辛うじて許されている(本書では語り手がその人)。
デザイナーベビーは、ある種の狭い価値観の中で造形される。日本人など身体にコンプレックスのあった民族は、白人というか西欧の身体が理想。その西欧人は、ギリシャのアポロン像やミロのビーナスを永遠の理想像としてきた。
世界は、あるいは(少なくとも身体的には、そういった理想像に収斂していくのかもしれない。
そんな中、小説の中では、マルケスの『百年の孤独』やドノソの『夜のみだらな鳥』などが、そんな狭隘な世界等、嘲笑うように、そういった価値観をブッ飛ばすような世界を描出する。
価値の大転換とまでは言わないものの、全く異次元の世界の在り得ることを示さんとする。
文學の力を感じます。
投稿: やいっち | 2013/10/26 14:01
今晩は とんでも御座いません。大変嬉しく存じております。ありがとうございます。「全く異次元の世界の在り得ることを示さんとする。」これが文学の力なのですね。文学の力とはを心にも留めなかっことが始めて身体で感じることをさせて頂けました。
「いよいよ佳境にに入りつつある」、なんか伝わってまいります。お教え頂きましてありがとうございます。E:sun]:fullmoon]
投稿: 赤津姫 | 2013/10/26 22:32
赤津姫さん
ドストエフスキーにしろ、トルストイにしろ、ガルシア=マルケスにしろ、トーマス・マンにしろ、ドノソにしろ、チェーホフにしろ、ゴーゴリにしろ、文学的真実、文学的現実の創出という偉業をつくづく感じます。
現実の世界が貧しく窮屈になっていく、その傾向への危機感のゆえにでしょうか、こういった文豪らが現れ出てくる。
悲劇なのかどうか、分からないけど。
投稿: やいっち | 2013/10/28 03:02