ドノソ著『夜のみだらな鳥』へ
過日、一旦、読み始めていたホセ・ドノソ著『夜のみだらな鳥』だが、既に書いた事情もあって、オースターの『ムーン・パレス』に手を付けてしまった。
すると、やはり、手が離せなくて、一昨日、読みえ終えるまで、『夜のみだらな鳥』は、置き去り。
小生は、1984年の刊行当初に入手し(尤も、79年に一旦、刊行されたものをラテン文学全集の形で組み替えたものらしい)、読んだはずだが、マルケスの『百年の孤独』を初めて読んだ時同様、跳ね返されてしまったようで、なんとなく屈辱的なような思いをしたという記憶が幽かにあるだけ。
マルケスの作品群は90年代に入って『百年の孤独』の再読を突破口に、ほぼ全て読破したので、再読となる今回、改めてドノソの世界に挑戦。
中南米の濃密過ぎる精気漲る世界。こちらに生命力の欠片でも残っていないと、圧倒されること必定。
→ 庭の片隅に咲く杜鵑草 (ほととぎす)の花。
とにかく、題名自体(訳者の冴えなのだろう)が実にいい。
題名だけで、惹かれてしまう。
まだ読み止しなので、ここは、畏敬する筒井康隆の評の一部を:
名門の富豪ドン・ヘロニモは生まれてきた恐るべき畸形(きけい)のわが子のため、広大な土地に息子《ボーイ》を閉じ込め、国中の重度の畸形を集めて高給で雇い、いわば畸形の楽園を作る。神父も医者もすべて一級、二級の畸形である。隔絶された楽園の周囲には、雇ってほしいための大勢の畸形がさらに集ってきて村落を作る。単にひとつだけの畸形しか備えていない三級、四級の畸形たちだ。物語のほとんどはこの畸形の園と、やはりドン・ヘロニモが所有していて放置したままの広大な修道院のふたつに終始する。主人公のウンベルトは、一冊だけ本を出した貧乏な作家だが、ドン・ヘロニモに見込まれて雇われ、記録者を兼ねて畸形の国の管理人となる。だが、ただひとりの正常者であった彼は、侏儒(こびと)の天才外科医によって臓器を剔出(てきしゅつ)され、畸形たちのそれと交換させられてしまったので、ついに逃げ出して修道院に身を寄せる。この見捨てられた修道院は、老女や孤児などの厄介者が投げ込まれる場所であった。主人公はここで《ムディート》と呼ばれて老女たちの面倒を見る。この老女たちの大群の不潔な貧しい日常の生活ぶりの描写たるや、凄(すさ)まじいものがある。
「asahi.com(朝日新聞社):夜のみだらな鳥 [著]ドノソ - 漂流 本から本へ - BOOK」
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