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2013/10/31

キムタクといえば

 今や泣く子も黙るスマップのメンバーの一人、木村拓哉(以下、超売れっ子 タレントの慣例に習い、敬称は略させてもらう)の愛称である。独特な雰囲気があって、スポーツやファッションのCMにもドラマにも引っ張りだこ。

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← 「稲荷神を祭る稲荷神社」 (画像は、「稲荷神 - Wikipedia」より)

 しかし、タクシードライバーの小生は、キムタクというと、どうしても最初に思い浮かぶのは、木村タクシーのこと。別に個人的に知り合いがいるわけではないが、キムタク、つまりは木村タクシーの略称と思ってしまう。
 職業病って奴なのだろうか。

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2013/10/30

山茶花が咲き始めていた

 今日は天候の変化の慌ただしい一日だった。
 朝は秋晴れで短い秋を愉しみたくなる青く高い空。
 けれど、朝の予報だと午後からは雨に急変するという。ちょっと信じられない。

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→ 外仕事していたら、こんな花が咲いているのに気付いた。名前、忘れた。

 それでも、予報に敬意を表し、遅い朝食(兼昼食)を摂る前に、外仕事を始めた。
 柿の木に一杯、実が生っているので、干し柿にするつもりもないのだが、腐ったり鳥の餌になる前に収穫だけ、しておこうと思った。

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2013/10/29

安本丹のこと

 ある本を読んでいたら、久しぶりに「安本丹」なんて言葉を目にした。その本とは、芳賀徹著の『詩歌の森へ』(中公新書)である。その言葉が出てくる 脈絡が揮っている。
(念のために断っておくが、「安本丹」とは、「やすもとたん」と読むのではない。そう読んで絶対に悪いとは言わないが。実際、このような名前の方がいらっしゃらないとも限らないし。ただ、文章の都合上、「あんぽんたん」と読んでもらいたいのである。)

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← 芳賀 徹【著】『詩歌の森へ―日本詩へのいざない』(中公新書) (画像は、「詩歌の森へ - 芳賀 徹【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 江戸の市民は日々に言葉のエスプリをたのしんでいたという主旨の話の中で 「安本丹」なる言葉が登場するのである。「安本丹」なる人物が登場するわけ ではない。

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2013/10/28

今日は天晴れ?

 今日は朝から秋晴れの天気。いかにも秋を感じさせる澄み切った高い空。
 こんな天気は久しぶりのような気がする。そういえば、今朝未明、帰宅して家に入る前、周辺が明るいので、ふと天を見上げてみたら、半月の月が煌々と照っていた
 空気が澄みきっている証拠でもある。

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→ こんな「アッパレ」なる扇子が「Amazon.co.jp: 通販」で売られていた。

 そんな日の朝なのだ。蒼穹の空を観て、思わず、天晴れ、なんて言葉を発したくなる。
 天晴れは、無論、アッパレと読む。

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2013/10/27

むすんで ひらいて…

「むすんでひらいて」という文部省唱歌を知っている人は、今では少なくなったかもしれない。
 まして、曲がかのルソーの手になると知っている人となると、もっと少ないかもしれない。
 念のために、歌詞を示しておく:

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← 水瀬マユ作『むすんでひらいて 〈4〉』(マッグガーデン) 「高校生たちの様々な恋愛模様をオムニバス形式で描く、学園青春ラブストーリー ! !]だってさ。

むすんでひらいて」(作詞不詳・ルソー作曲/文部省唱歌)

   むすんで ひらいて
   手を うって むすんで
   また ひらいて
   手を うって
   その手を うえに(したに)
   むすんで ひらいて
   手を うって むすんで


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2013/10/26

バブルのツケの清算

 台風27号も次第に列島を遠ざかりつつあるようだ。
 台風の余波の低気圧で雨が北陸は富山にもたっぷりと降った。

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→ 呉羽山の中腹から靄に霞む富山市街地を望む。

 風のほうは、土曜日の未明からやや強まってきたが、玄関前の自転車が倒されるほどではない。
 そんな最中、未明ともいえない、丑三つ時過ぎに帰宅し、テレビのスイッチを入れたら、いきなり、津波情報の画面。宮城の沖合地下10キロでマグニチュード7ほどの地震が発生したというのだ。
 天気も経済も健康も、不安の種は尽きない。

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2013/10/25

ドノソとデザイナーベビーと(後編)

 出産に際しては、ある程度の割合で何らかの奇形や異常を持った子が生まれるという。
 その子たちの運命はどうなのだろうか。闇から闇へ?
 ところで、「たとえ非常に低い放射線レベルでの被ばくであっても、生命体には有害な影響がある」といった研究が学術誌にて発表された(「低放射線被ばくで深刻な健康被害」仏米科学者が学術誌に発表/サイエンス・デイリー(11月13日) フランスねこのNews Watching」より)。

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← ドノソ著『夜のみだらな鳥』(鼓直訳 集英社 1984) (画像は、「ドノソ著『夜のみだらな鳥』へ 壺中山紫庵」より)

 東電福島第一原発の事故で福島に限らず、相当広い範囲での放射能汚染による影響が懸念される。
 あるいはすでに現実の事態として発生しているやもしれない。
 その中の一つの事象として、奇形の問題もありえるわけである。

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2013/10/24

ドノソとデザイナーベビーと(前編)

 組合の定期大会に向けての準備作業をしつつ、時間を割いてはホセ・ドノソ著『夜のみだらな鳥』(鼓直訳 集英社)を読み続けている。いよいよ面白さの絶頂へ。というより、ドノソの文章や世界に馴染んできたようだ。
 こんな世界に浸るのは問題があるのかもしれないが。

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← ホセ・ドノソ[著]『境界なき土地』(寺尾 隆吉【訳】 水声社) 「大農園主ドン・アレホに支配され、文明から取り残され消えゆく小村を舞台に、性的「異常者」たちの繰り広げる奇行を猟奇的に描き出す唯一無二の“グロテスク・リアリズム”。バルガス・ジョサに「最も完成度の高い作品」といわしめたチリの知られざる傑作」だとか。小生は未読。『夜のみだらな鳥』を読み終えたら、次はこれだ!(画像や文章は、「境界なき土地 - ドノソ,ホセ【著】 紀伊國屋書店ウェブストア」より)

 小生は他人事ならず、ドノソの世界には(そして『百年の孤独』のマルケス世界にも)強い関心を持って向かわざるを得ない。

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2013/10/23

我が家で一番、古い本(後編)

(前編より)燃えるゴミの日が来るたびに他の一般ごみと一緒に出した。あるいは近所の人が持ち去っていくのを手をこまねて眺めていた。

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→ 父母の寝室の壁面に組み込まれている書棚。ここも今は我が蔵書で埋まっている。埴谷雄高全集などが鎮座している。本来ならここに夏目漱石全集を並べたかった。

 だが、或る日、段ボールの中をじっくり観察したら、埃はさすがに被っているものの、段ボールの腐食ほどには中の本は傷んでいないことに気付いた。

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2013/10/22

我が家で一番、古い本(前編)

 我が家にある一番古い本は、詳しく調べたわけではないが、間違いなく父の蔵書。
 洗面所というか、玄関の隣の一角にある書棚には、古い本が詰め込まれていて、パッと目に付いた本でも、昭和31年版の石原慎太郎著『太陽の季節』や、昭和28年版の吉川英治著『三国志』全巻、獅子文六など、あれこれとある。

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← 父の蔵書の中から。父も昔は、石原慎太郎なんて読んだのか。そういえば、今は見当たらないが、石坂洋二郎の本も立派な書棚に収まっていたっけ。ガキの頃、こっそり覗いては、エッチなシーンを探していたものだ。

 三国志は箱入りの立派な本。さがせばもっと古い本も見つかるに違いない。
 但し、恐らくはせいぜい遡っても戦後数年を経てからのものに限られるだろう(古書店で入手したような古い本は別格)。

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2013/10/21

ドノソ著『夜のみだらな鳥』へ

 組合の役員をしている都合もあり(文書作成担当)、自宅でも仕事しているような状態。
 定期大会が間もなくなので、書類作成の土壇場に来ている。

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← ホセ・ドノソ著『夜のみだらな鳥』(鼓直訳 集英社 1984) 帰郷した5年半前、辛うじて残っていた。以来、書斎の奥の棚に鎮座。閉め切られた狭い一角には、滅多に足を運ばないのだが、それでも、何かの書類を採りに行く際には、嫌でも目に付く。この本が吾輩をじっと見下ろしているような感覚に襲われる。

 初めての文書ばかりなので、手探りで、まさに暗中模索である。
 それでも、時間を掻き削っても本をちびりちびりだが読む!

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2013/10/20

オースター『ムーン・パレス』再び

 昨日、ポール・オースター著の『ムーン・パレス』を読了した。恐らく、4年ぶりで、再読である。
 組合の定期大会が近付いていて、その準備に大わらわな中、時間を掻き削るようにして(やや大げさ)、数日を費やして読んだ。

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← ポール・オースター/著『ムーン・パレス』(柴田元幸/訳 新潮文庫)

 長編ではあるが、せいぜい500頁あまり。しかも、書き手はオースターなので、読ませる。読む手を置かせない。それなのに、結構、日にちを費やすことになった。最後はさすがに一気だったが。

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2013/10/19

三木成夫の世界再び

 畏敬する三木成夫の本『内臓とこころ』(河出文庫)を数年ぶりに読んだ。
 初めて彼の本を読んだのは『胎児の世界』(中公新書刊)で、これが彼の世界に嵌る切っ掛けとなった。
 確か、養老孟司さんの諸著を読む過程で三木を知ったのだと思う
肉体なる自然を解剖しての絵画教室!

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← 三木成夫 著『内臓とこころ』(河出文庫)「「こころ」とは、内臓された宇宙のリズムである……子供の発育過程から、人間に「こころ」が形成されるまでを解明した解剖学者の伝説的名著」といった本。 (画像や情報は、「内臓とこころ 三木成夫|河出書房新社」より)

 以後、彼の本を立て続けに読んできた。
 三木成夫は、解剖学者、発生学者である。

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2013/10/18

ヴァルター・シュピースのバリ風神話世界

 16日、富山も10年に一度の規模だという台風26号のやや遠い影響を受けた。
 未明から昼前にかけて、風雨がなかなかのもの。被害は甚大ではなかったが、けが人が出たり、リンゴなどの果樹に被害が出た。

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→ ヴァルター・シュピース(Walter Spies)「風景とその子供たち(Die Landschaft und ihre Kinder )」(1939)  (画像は、「Walter Spies Frame」より) 掲載した作品は、下に行くに従って若い頃へ遡る。

 我が家にしても、雨よけ用に張ってある日除けシートが一部、剥がれたり、畑に張った防草シートが捲れあがったりしたが、心配したよりは大過なく過ぎ去ったと云えそう。
 それより、明朝17の朝の冷え込みのほうが体に堪えた。この寒気も台風の齎した影響だとか。

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2013/10/17

切手も今は箪笥の肥やし

 過日のこと、生活費に窮して昔、収集していた切手を買い取りの店へ行って売ろうとしたことがある。

 収集していたのは自分ではなく、父。
 小生も小学生の頃のほんの一時期、集めていたことがあったが、すぐに興味は他に移っていった。
 集めていたのは、当時のケネディらの宇宙熱もあって、宇宙に関連する切手。宇宙ロケットやパイロットの肖像を描いた切手。
 
 一方、父は、長く根気よく、ジャンルを問わず集めていた。
 切手だけじゃなく、古銭(旧札)、お酒やマッチのラベル、お猪口、通行手形などなど。
 お酒のラベルは県別に数十冊のアルバムがある。

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2013/10/16

秋の日と柿の木と

 台風26号の遠い影響で、我が富山でも、昨日は昼前から雨が降り出した。
 止んだ時間もあったが、次第に降り頻るようになってきた。
 買い物は午前中に済ませ、一日、家に籠っていた。

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← 元は田圃だった畑に植えたカボチャの苗。せっせと水遣りしたけれど、生ったのは、この小さな実だけ。悔しいので、玄関に飾ってある。まだ、誰も気づかない!

 読書三昧としたかったが、実際には組合の仕事があって、頭の中はその書類をどう作るかで頭がもやもやしていて、読書に身が入らない。

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2013/10/15

ジョルジョ・ギージの沈鬱なる想像

 相変わらず車中での待機中、種村秀弘著の『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術 』(ちくま学芸文庫)を読むというか、挿画を眺めて愉しんでいる。

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→ Giorgio Ghisi, Italian, 1520-1582「Allegory of Life」(1561 UCLA, Grunwald Center for the Graphic Arts)  本書においては、「ラファエロの夢」と題されていた。(画像は、「Calisphere - A World of Digital Resources」より)

 帰宅すると、折りを観て、気になった画家やその作品をネットで物色したりする。
 ヨーロッパ中世イタリアの画家(版画)ジョルジョ・ギージの作品が目に付いたので、今日はギージの周辺を巡ってみる。

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2013/10/14

フェデリコ・ベルトラン=マッセスのこと

 種村秀弘著の『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術 』(ちくま学芸文庫)を読むというか、挿画を眺めていて、気になった画家やその作品をネットで物色していた。

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← Federico Beltrán Masses (1885-1949) 作「La Maja Maldita」 (画像は、「Spanish Art Deco Artist Federico Beltrán Masses (1885-1949) ~ Blog of an Art Admirer」より)

 今日は、リヒャルト・エルツェかルドルフ・ヴァッカーの画像を探そうとしていた。
 見つかったのだが、そのサイトの脇に気になる絵が載っていた。 
 つい、そっちを覗きにネットサーフィン。

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2013/10/13

虎刈りの泰山木

 今日は、晴天。初夏であれば凱風快晴といったところ。微風が心地いい。
 恐らく空気も乾いているのだろう。

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→ 画面の真ん中が泰山木。画像が小さいから、不格好さが目立たない。

 こんな日は、外出日和。何処かへ出かけたいが、生憎、畑仕事に庭仕事が待っている。
 こうした作業が好きだったら、張りきってやっちゃうのだろうが、気分は重い。
 その上、組合の仕事もあれこれ自宅で作業しないといけない。

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2013/10/12

「片貝 山ノ守キャンプ場」の一角に「坂本一家の碑」が

 つい先日のこと、魚津市は片貝川を遡った地域へ行った。
 その途中、「片貝 山ノ守キャンプ場」に立ち寄った。こんなところにキャンプ場があることを初めて知った。

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← 「片貝 山ノ守キャンプ場」の管理人小屋

 以下、近隣の風景画像を幾つか載せるが、風光明媚でなかなか気持ちのよさそうなキャンプ場。
 なんといっても、「片貝県定公園」の中にあるのだ。

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2013/10/11

ひょんなことから『ムーン·パレス』へ

 過日、ひょんなことからオースターの本を買った。仕事で時間的な空きができたらいつでも読めるように、何からしら本を持参しているのだが、その日は、慌てていて、バッグの中身を確かめられず、仕事先へ行って、本を一冊も所持していないことに気付いた。

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→  「Moonlight」(1885, the Brooklyn Museum) (画像は、「Ralph Albert Blakelock - Wikipedia, the free encyclopedia」より) オースターのある小説の主人公は、とある美術館に所蔵のラルフ・アルバート・ブレイクロックの「月光」という作品を鑑賞するように指示される… 「オースターそしてブレイクロックの月(前篇)」など参照。

 ややパニック。新聞を読み切ると、やはり本を読みたくなる。
 東京在住時代は、車中ではラジオ番組を聴くのが楽しみの一つだったが、富山ではラジオはチャンネルの数も限られ選択の余地が乏しく、つまらない。

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2013/10/10

富山県と北方領土

 もう、一か月以上も前のことになるが、富山県の黒部市、その海辺の地区である生地地区へ行く機会に恵まれた。
 生地地区のいろんなところを観て回ることができたが、ひょんなことで、やはり生地地区にある「漁業資料館」を覗く機会を持つことができた。

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 ネットで関連情報を探っていて気付いたのだが、ここは正式には「漁業資料館・伊能忠敬 宿泊の地」だとか。
 資料館を訪れた際には、そんなことには全く気付かなかった。

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2013/10/09

台風24号接近情報に煽られて

 台風24号が九州の西の沖合を過ぎたところで、北上のはずが東へ方向転換し、対馬、そして日本海へ。
 進路からすると、北陸を含む日本海側への影響も避けられない。

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← 畑に張り巡らした防草シート。一応の重しは置いてあったのだが、こんなものじゃ足りなくて、今日、せっせと重しとなる角材や石などを追加。

 実際には台風は午前九時頃、温帯低気圧に変わったようだが、その頃には我が北陸は富山も、強い風が吹くようになっていた。
 というより、未明頃、既に風が強まっていることを、家の戸などのガタピシ鳴る音や外で掃除用具やら何やらが風に吹き飛ばされたり、ボイラーに立てかけておいた板戸がやはり、飛ばされて庭に横たわったりしていたのだ。

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2013/10/08

「'13航空祭 in KOMATSU」熱

 昨日からドス・パソスの『夜のみだらな鳥』(鼓直訳 集英社刊)を読み始めた。
 凡そ30年ぶりの再読である。初めて読んだ時は、情けなくも跳ね返された感があっただけ。
 マルケスなどラテン文学を少しは読み齧った今、再挑戦である。

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→ 「'13航空祭 in KOMATSU」ポスター (画像は、「小松基地 | [JASDF] 航空自衛隊」より)

 さて、十月五日の夕方近く、「'13航空祭 in KOMATSU」を観てきたという方が乗ってこられた。
 おそらくは興奮冷めやらずなのだろう、お客さんのほうからこの話題を切り出してくる。

 小生は、ラジオのニュースか何かでこのイベントがその日、あることは知っていた。

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2013/10/07

神野志 隆光著『本居宣長『古事記伝』を読む〈1〉』読了

 神野志 隆光著の『本居宣長『古事記伝』を読む〈1〉』(講談社選書メチエ)をようやく読了した。
 ようやく、というのは、購入したのは3か月以上も前、6月の下旬だったからである。

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← 裏庭の小道沿いの紫陽花。季節外れの今、紫陽花を撮る人も少ないだろう。今は、こんな風である。

 買って間もなく、読み始めたが、ふと手にしたフォークナーの『八月の光』などにのめり込み、気が付いたら9月になっていた。
 本居宣長の『古事記伝』の存在を知ったのは、小林秀雄の『本居宣長』を通じてだった。

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2013/10/06

土星の暗喩の絵画

 車中では、相変わらず、種村秀弘著『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫)をちびりちびりと読み続けている。
 種村の卓抜な批評も愉しんでいるが、批評文を読んでいるというより、挿入された画像(写真)を眺めている、というべきか。

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→ 種村秀弘著『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫) 「1920年ドイツ。表現主義と抽象全盛の時代に突如現れ、束の間妖しく輝き、やがてナチスの「血と大地」の神話の陰に消え去った、幻の芸術があった。歴史の狭間に忘れ去られた画家たちの軌跡を克明にたどり、仇花のごとき芸術の誕生と死を通して、ある時代の肖像を鮮やかに描きだした名著」とか。

 せっかくなので、本書からほんの幾つかだが、気になった作品の紹介を試みる。
 魔術的リアリズムというより、あくまで新即物主義すなわち、ノイエ・ザハリヒカイト(Neue Sachlichkeit)なる観点を意識してのことである。

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2013/10/05

私は海

 夢の世界に居る。真っ青な海の中。自分が海の真っ只中にいて、時に浮かび、 時に潜って行く。
 そう、潜って行くのである。決して沈んでいくわけではない。
 なぜなら、不 思議な浮遊感が自分の体を満たしているのが分かるからだ。海の水が体を浸潤 している。目の玉にも耳の穴にも鼻の穴にも、尻の穴からだって、尿道口から でさえ、水は遠慮なく入り込んでくる。
Agate
 まして、口内を満たした命の水が喉から胃袋へ、あるいは肺にまで浸透し満ち溢れ、やがては我が身体を縦横無尽に走る毛細血管もリンパ管も神経の無数の筋をも充満させ、気が付くと、海水で膨らまされた気泡にまで変えてしまっ た。
 そうだ、今は一つの泡なのだ。私とは、泡の膜なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

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2013/10/04

気が付けばホトトギスの季節に

 今日は、畑のほうは一休みして、庭木の手入れを少々やった。
 玄関にチェーンソーとヘッジトリマーをこれ見よがしに(?)置いてある。

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→ 庭仕事のため、庭を見て回った。すると、杜鵑草 (ほととぎす)の花が咲いているのに気付いた。少なくとも二か所で。今年も秋なのである。「季節の花 300 杜鵑草(ホトトギス)」によると、「杜鵑」とも書く。 鳥のホトトギスの方は「不如帰」と書くとか。これが、「杜鵑花」と書くと、「さつき」と読み、まるで違う樹木名となってしまうから、ややこしい。

 チェーンソーは、年初、南西角にある杉の巨木の幹が雪の重みで縦に裂けていて、もう少し、雪が積もったら今にも折れそうで、切り倒すために敢えて購入したのだった。

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2013/10/03

オットー・ディクスのリアルなる闘争

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← 出典3.bp.blogspot.com (画像は、「Otto Dix - オットー・ディクス 作品まとめ - NAVER まとめ」より)

 一昨日の日記では、種村秀弘著の『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫)を読み始めたこともあって、魔術的リアリズムを話題の遡上に載せるつもりが、新即物主義すなわち、ノイエ・ザハリヒカイトなる言葉に惹かれ、さらには、ネット検索していて、偶然、発見したジョヴァンニ・セガンティーニの世界に引き込まれていってしまった。

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2013/10/02

組合の雑用係です

 春先から秋口にかけて、ずっと草むしり作業に追われる日々にケリを付けようと、昨年の晩秋、庭や畑に可能な限り防草シートを張りまくった。 

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← 畑の隅っこに今春、植えたクリの木。先日、こんな穂が出てきた。

 店で売っている防草シートだけじゃなく、遮光シート、さらには、板切れ、ゴムマット、ウレタンマットと、地面に敷けるものは何でも敷いていった。
 お蔭かどうか、今年度は、草むしりの回数は、昨年までに比べ、ぐっと減った。
(庭木の手入れ作業などは、これまで通りだし、畑仕事も従前通りである。)

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2013/10/01

魔術的リアリズムのはずが

 種村秀弘著の『魔術的リアリズム』(ちくま学芸文庫)を読み始めた。車中の徒然にちょうどいい。

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→ 種村秀弘著『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫) 「1920年ドイツ。表現主義と抽象全盛の時代に突如現れ、束の間妖しく輝き、やがてナチスの「血と大地」の神話の陰に消え去った、幻の芸術があった。歴史の狭間に忘れ去られた画家たちの軌跡を克明にたどり、仇花のごとき芸術の誕生と死を通して、ある時代の肖像を鮮やかに描きだした名著」とか。

 種村秀弘著『魔術的リアリズム』(ちくま学芸文庫)を手に取ったのは、過日、「魔術的リアリズム」ということで、展覧会が催され(「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス展」 Bunkamuraザ・ミュージアム )、関心を久々惹起されたので。

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