ジョルジョ・ギージの沈鬱なる想像
相変わらず車中での待機中、種村秀弘著の『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術 』(ちくま学芸文庫)を読むというか、挿画を眺めて愉しんでいる。
→ Giorgio Ghisi, Italian, 1520-1582「Allegory of Life」(1561 UCLA, Grunwald Center for the Graphic Arts) 本書においては、「ラファエロの夢」と題されていた。(画像は、「Calisphere - A World of Digital Resources」より)
帰宅すると、折りを観て、気になった画家やその作品をネットで物色したりする。
ヨーロッパ中世イタリアの画家(版画)ジョルジョ・ギージの作品が目に付いたので、今日はギージの周辺を巡ってみる。
ジョルジョ・ギージについては、「Giorgio Ghisi - Wikipedia, the free encyclopedia」を参照。
ここでは、「所蔵作品検索|国立西洋美術館 ジョルジョ・ギージ / Giorgio Ghisi」を参照させてもらう:
(前略)版画家としての活動は、画家としての評価をすでに確立した1530年代頃から始まる。版画制作においては、もっぱらキアロスクーロ効果の探求に専念した。ベッカフーミは銅版と木版を組み合わせた作品から出発するが、制作を重ねる度に銅版による線の領域は限られてゆき、ついには木版のみによって、豊かな陰影表現をもつ作品を制作するようになった。その芸術性は同時代の人々にもすでに認められており、ヴァザーリも賛辞を呈している。
(出典:国立西洋美術館平成14-18年度新収蔵版画作品展, 2007.)
← アルブレヒト・デューラーの銅版画『メランコリア1』 (画像は、「魔方陣 - Wikipedia」より) この絵については、拙稿「デューラー『メランコリア1』の魔方陣」など参照のこと。アルベルト・エルボーの絵『隠者』には、デューラーのこの作品世界も踏まえている。
アルベルト・エレボー(Alberto Erebo)の絵『隠者』は、「中世的寓意絵画のいくつかのトポスを踏まえている」として、模している絵として幾つか挙げられている中、デューラーの『メランコリア Ⅰ』と共に、ジョルジョ・ギージの『ラファエロの夢』が挙げられている:
ギージの画面でもハムレットのようにメランコリックな芸術家が忘却の河の水辺に立って夢想に耽っている。近景の忘却の河(ステュックス)には、さながら創造の挫折を物語るように、怪物や骸骨や難破した小舟のような二目と見られぬ出来損ないたちが押し犇めいているが、後景には七色の虹と黄金の太陽が輝いている。創造の過程における芸術家の不安と確信という相反の共在。エレボーでは現在の手許における星占いの失敗(挫折)が、にもかかわらず遠景の虹、裸女、出発する(模型)船のイメージを喚起している(上掲書より引用)。
→ Giorgio Ghisi 「ヘラクレス像 Hercules」,(engraving by Ghisi after Bertani, 1558) (画像は、「Giorgio Ghisi - Wikipedia, the free encyclopedia」より) ヘラクレスは、ギリシア神話の英雄。その象徴は弓矢、棍棒、獅子の毛皮。けれど、ヘラクレス像を成すには、蛇との因縁を欠かすわけにはいかない。尤も、描いているのはあくまでギージであり、描かれているのはギージの内面世界なのだろう。
ヨーロッパ中世の寓意画の世界。怪物、骸骨、太陽、虹、石…。
宗教の権威、その一方での近代的意識の幽かな萌し。
重苦しい権威のもとで、芸術家が創造するのは、現代の我々には想像も及ばないプレッシャーがあったことだろう。
「ヘーラクレースの誕生後、ゼウスはヘーラクレースに不死の力を与えようとして、眠っているヘーラーの乳を吸わせた。ヘーラクレースが乳を吸う力が強く、痛みに目覚めたヘーラーは赤ん坊を突き放した。このとき飛び散った乳が天の川になったという。これを恨んだヘーラーは密かに二匹の蛇を双子が寝ている揺り籠に放ったが、赤ん坊のヘーラクレースは素手でこれを絞め殺した」とか、「ヒュドラーは、レルネーの沼に住み、9つの(百とも言われる)頭を持った水蛇である。ヘーラクレースは始め、ヒュドラーの首を切っていったが、切った後からさらに2つの首が生えてきて収拾がつかない。しかも頭のひとつは不死だった。従者のイオラーオス(双子の兄弟イーピクレースの子)がヒュドラーの傷口を松明の炎で焼いて新しい首が生えるのを妨ぎ、彼を助けた。最後に残った不死の頭は岩の下に埋め、見事ヒュドラーを退治した。そしてヒュドラーはうみへび座となった。また、この戦いで、ヘーラーがヒュドラーに加勢させるべく送り込んだ巨大な化け蟹を、ヘーラクレースはあっさり踏みつぶしてしまった。この化け蟹がその後かに座となった」(「ヘーラクレース - Wikipedia」より)など、ヘラクレスと蛇との関わりは深い。彼特有のことなのか、古来より、人類は蛇に悩まされてきたから、なのだろうか。蛇、竜への嫌悪と畏怖の念は、何かしら根源的なことを示唆しているのか。
ここまで読まれて気付かれた方もいるかもしれないが、肝心のアルベルト・エレボー(Alberto Erebo)の作品『隠者』は、ネット上で見つけることができなかった。
そもそもアルベルト・エレボーに言及するサイト自体が見つからない。
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