富山市の路面電車100周年
富山市には古くから市電が市街地を走っている。
市電というと、富山市の運営する電車…と思われがちだが、さにあらず、富山地方鉄道の所有する電車なのである。
が、同時に、市電というと、富山市の市電でもあった。
← 「富山市の路面電車100周年」ということで、夜ともなると、こんなキンキラキンに電飾された電車が走っている。今だけ…のはず。
というのは、「1913年(大正2年)9月1日に富山電気軌道として開業し、1920年(大正9年)7月1日に富山市に譲渡され富山市営軌道となった。1943年(昭和18年)1月1日、「陸上交通事業調整法」に基づき富山地方鉄道に譲渡された」のである(「富山地方鉄道富山市内軌道線 - Wikipedia」参照)。
「車内アナウンスでは、「富山地鉄市内電車」とアナウンスされる。富山市電だった時代があることから、民営となった現在でも「市内電車」・「市街電車」の意味で市電と呼ばれている」のだ。
前項の説明文にあるように、そう、今年は、市電開業百周年なのである。
本稿を書くに際して、あれこれ調べていて、「日本海側初の路面電車」だったことを初めて知った!
以前は、下記の2系統だった:
1系統:南富山 - 富山駅前
2系統:南富山 - 富山駅前 - 大学前
のちに下記の第三の傾倒が加わった:
3系統(環状線):富山駅前 → 丸の内 → 大手モール → 荒町 → 富山駅前(片方向のみ運行)
→ 今は人の手に渡ってしまった、元は田圃だった畑も店じまい。雑草を刈り取って、ブルーシートを被せ、来春まで土地の養生に。
この3系統には、富山ライトレールのポートラムと同じ型の車両が走っていて、セントラムや(あるいは3両編成ということで)サントラムという愛称で親しまれている。
ポートラムには幾度となく乗ったことがあるが、セントラム(サントラム)には生憎、乗る機会に恵まれていない。
← ナスやキュウリ、ピーマン、プチトマトなどの野菜棚を撤去。残るはゴーヤだけ。花がいっぱい咲いていて、まだまだ実が生りそう。
最盛期(1960年代)には、何と12もの系統があったという。小生の中には、印象にも記憶にも残っていない。ただ、車で走ってみると、その名残り(軌道の跡)が各地に残っている。
小生には、上記の3系統の頃から利用し始めた。といっても、主に「南富山 - 富山駅前」である。高校が南富山の近くにあったのだ。
→ 滑川市にあるPLANT3という名の巨大なスーパー(ホームセンターなどもあるので、スーパーセンターという名称がつかわれている)へ行く機会があった。記念に、欲しかったマグカップを物色してきた。どうせ飲むなら、お気に入りのカップで、という望みが叶った。
高校通学には、大抵は自転車を使っていたが、雪などの時は、家の最寄りの駅から富山港線に乗って富山駅に向かい、富山駅前から市電に乗って南富山駅の一つ手前の駅で降りて、徒歩で学校へ向かった。
あるいは、積雪の状態によっては、富山駅近辺まで歩き、近くの電停から南富山方面へ、というパターンもあった。
← 「市電開通!!-富山市の路面電車100周年-」のチラシ (画像は、「郷土博物館 終了した企画展」より)
高校時代の初恋(片想いだったが)の彼女は、「南富山 - 富山駅前 - 大学前」の系統を使っていた。なので、富山駅前まで歩いてきたら、彼女が乗っているはずの電車に乗り合わせることもありえたはずである…が、記憶する限り、一度も相乗りになったことはない。なぜ?
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