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2013/09/19

仲秋ではなく中秋だとか

 昨日は仕事。終日の仕事なので、早朝から深夜に渡る。忙しければ、未明に至ることも。
 今夜辺りが満月となるらしいが、昨夜の月も望月に見えた。
 空気が乾いていて、澄明な夜空に月がくっきり鮮やかだった。輪郭が際立っている。
Sscn5531

 持参しているデジカメで撮影を試みるも、例によって朧月のような、霞んでいるわけではないが、滲んだ月の影しか写らない。
 やはり、目で、肉眼で見ろ、ということなのか。

 明日は仲秋の名月が望めるんだろうなー、なんて思ってぼんやり眺めていた。観月と洒落込んでみたわけである。
 悲しいかな、仕事も暇だったし、夜ともなると、本を読むのも辛い。
 心を癒すなんて、大袈裟なことではないが、まあ、目を遊ばせてみたわけである。

 ところが、調べてみると仲秋の名月とは別に中秋の名月もあるという(「月見 - Wikipedia」より):

「仲秋の名月」という表現もあるが、これだと「陰暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す。

「「中秋」とは「秋の中日」=陰暦8月15日のみを指す」ということで、今夜辺りは中秋の月ということなのである。
 月見の祭事は、これも中国から伝わったもののようだが、月を眺めあげる風習…というより観月したくなる気持ちというのは、洋の東西を問わず、古今を問わずあったものに違いない。

 否、むしろ、古の人々のほうが、月を眺める際の思い入れは、今日の我々よりもずっと深く、時には切迫したものだったのかもしれない。もう、少なくとも小生などの想像力では及ばない思いがあったに違いないと思う。
 月も地球も太陽さえも、宇宙空間に浮かぶ天体という感覚は古代人にはなかったろう(多分だが)。
 その代り、雲のない夜に月が現れ出でることの不可思議を、特に満月の夜などには尚更のこと、まるごと受け止めるしかなかっただろう。
Rscn5529

 月が中空にぽっかり浮かんでいる。
 新月から満月へ、満月から新月へと姿を変えていく月の不可思議。
 その不可思議さを渾身の思いで感じさせるのが、満月なのである。

 思えば帰郷してからは月を眺める機会が減った。東京在住時代は、特に仕事で外を走り回っていたもので、何処か仕事先で絶景に遭遇すると、車を何処かの公園の脇に止め、深夜の人っ子一人いない公園の中に分け入り、光景を独り占めする。

 今は、車にはGPS装置が付いていて、会社から自分がどこにいるか、常に把握可能な状態となっている。都合のいい場所に空車があれば、無線が入り、どこどこへ行けという指令が飛んでくる。
 なので、無線が聞こえる範囲に居ないと、あとで叱られる。
 GPS装置を切ってしまわない限り、何処にも逃げられない。別に逃げる必要もないのだが、公園で一服というわけにはいかないのだ。

 ただ、思うに、(主に)市内ばかりをそれも似たような場所ばかりを走っているので、これぞ! という風景になかなか出会えない。東京だと、都会の光景であろうと、何処かの公園だろうと、観月のスポットは随所で出会える。

Sscn5530

 なんて、書いてきて、その前に自分の中に風景を愛でる心のゆとりが失われてしまっている、その心の貧しさのほうが、絶交のスポットに遭遇できない真の理由なのではないかと思われてしまう。
 さらに、もっとあられもないことを書くと、老眼など、心身の衰えである。
 目の衰退は、風景を感じる心さえ萎えさせてしまう。
 中秋の月を眺めながら、そんな自分の貧しさを改めて痛感させられ、淋しい観月の夜となってしまったのだった。


(月を巡っては、数々雑文を綴ってきた。たとえば、「真冬の満月と霄壤の差と」など)

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コメント

福島の地震で起こされました。まだ強い地震がー。
東京にいたら、中秋の名月という感覚もないですよ。
明るすぎる、月も星も人工の明かりに負けている。
以前地方の旅館に泊まったとき、満天の星だった。
ああ、古代の人は、こういう星空に驚愕して、星座なんて思いついたのかも。
富山は東京よりは暗くはないですか?
そう、星を愛でる心のゆとりに僕らは欠けている。
富山はプラネタリウムはありますか?
渋谷のプラネタリウムはとっくに解体されたけど、近くに図書館もギャラリーもプラネタリウムもある施設ができたんですよ。

投稿: oki | 2013/09/20 04:19

okiさん
昨日の朝、テレビを付けたら福島などで震度5の地震と。6だったら、汚染水タンク、大変だったでしょうね。

東京は人工の灯りに満ちてますね。これはこれで見ごたえがありますが。
ただ、小生は夜半過ぎ、東京の随所で月や星を愛でたものです。
夜中ともなると、ちょっと郊外の公園だと、真っ暗なので絶好の観月スポットが随所に。

富山は東京より暗い…のは確かでしょうが、残念ながら、景気が悪く、郊外へ行くことはあまりないのです。富山についての吾輩の無知ぶりは変わり映えしません。

「近くに図書館もギャラリーもプラネタリウムもある施設ができた」ってのは素晴らしいですね。
富山にも天文台やプラネタリウム、ありますが、かなり郊外にあるので気楽には行けないですね。

投稿: やいっち | 2013/09/21 04:13

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