久しぶりに書店へ(後編)
ここ二か月余り、吉川訳版で『失われた時を求めて』を既刊の第五巻までずっと読んできた。
合間に、莫言の『赤い高粱』などを読んでいたとはいえ、理系の本を読みたい、多様なジャンルの本を読みたいという欲求が高まるのをどうしようもなかった。
← トレヴァー・ノートン著『世にも奇妙な人体実験の歴史』(赤根洋子訳 文芸春秋社) 「梅毒の正体を知るため、患者の膿を「自分」に塗布!急激な加圧・減圧実験で鼓膜は破れ、歯の詰め物が爆発!!…ほか、常識を覆すマッドな実験が満載」だって! (画像・情報は、以下すべて「紀伊國屋書店ウェブストア」より)
食欲の秋、スポーツの秋だが、読書の秋でもある。
小生らしく、雑多な本を読み漁っていく楽しみの季節がやってきた。
ということで、以下、前稿の続きである。
昨日、書店で物色し入手した本は以下の通り:
トレヴァー・ノートン著『世にも奇妙な人体実験の歴史』(赤根洋子訳 文芸春秋社)
モーリス・ブランショ著『謎のトマ』(篠沢秀夫訳 中央公論新社)
川上和人著『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(技術評論社)
三木成夫著『内臓とこころ』(河出文庫)
『カント「視霊者の夢」』(金森誠也訳 講談社学術文庫)
種村秀弘著『魔術的リアリズム』(ちくま学芸文庫)

→ モーリス・ブランショ著『謎のトマ』(篠沢秀夫訳 中央公論新社)
モーリス・ブランショ著の『謎のトマ』は、本邦初訳だという。そんな! 確か、『謎の男トマ』という訳本があったはず。そう、菅野昭正訳で。
どうやら、菅野版は、改定版で、三分の一に縮められたものなのだとか。
篠沢版は、「ヌーヴォ・ロマンの先駆となった、幻の鮮烈デビュー作(初版)」の初訳ということで、当初の全貌を示すもののよう。
← 川上和人著『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(技術評論社)
トレヴァー・ノートン著の『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、ひたすら興味本位。科学者らの自らの体を張った実験の歴史は、ドラマだろうなーと期待して。
類書では、レスリー・デンディ/メル・ボーリング著の『自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝』(梶山 あゆみ訳、紀伊國屋書店)を数年前に読んだことがある。
こういった本を読めば、科学離れが懸念されている若い人たちも、科学がいかに人間味溢れるものか、その結実が教科書に集約されていると分かって、興味を掻き立てられるのではなかろうか。
それとも、逆効果か?
→ 三木成夫著『内臓とこころ』(河出文庫) 「「こころ」とは、内蔵された宇宙のリズムである―おねしょ、おっぱい、空腹感といった子どもの発育過程をなぞりながら、人間の中に「こころ」がかたちづくられるまでを解き明かす解剖学者のデビュー作にして伝説的名著」だとか。
川上和人著の『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』(技術評論社)も、好奇心の念に駆られて衝動買い。類書では、ピーター・D・ウォード・著の『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』 (垂水 雄二・訳 文春文庫)を読んだことがある。
後者の要諦(の一つ)は、「恐竜の跋扈した時代は、気温も高かかったと思われがちだが、「実は恐竜の祖先が生まれたころの酸素濃度は、現在の2分の1。ヒマラヤ並みの薄さであった」。その中で繁栄するには、多種に際立つ特質があった。その最大の一つは、気嚢(きのう)を体内に獲得したことだろう。酸素を他のどんな生物たちより効率よく摂取することができたのだ。やがて、この気嚢(きのう)が鳥類を空へと誘った。一方、本書ではなぜかあまり書いてないのだが、この気嚢(きのう)が恐竜の繁栄のみならず、巨大化を可能にしたのだと思われる。巨大な体なのに、気嚢(きのう)のゆえに酸素を存分に消費しえたのみならず、体を相対的に(体に比して)身軽にしたのではなかろうか。巨体でありながら、機敏な動作・行動を可能にしたのだろうとも<憶測>しえるのである」だろう。
不思議なのは、川上和人著の『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』の主な参考文献の中には、後者が挙げられていないこと。その他大勢の書に過ぎなかったのだろうか。結構、面白かったし説得力も感じられたのだが。
← 『カント「視霊者の夢」』(金森誠也訳 講談社学術文庫) 「理性によって認識できないものは、形而上学の対象になりうるか―。哲学者カントが、同時代の神秘思想家スヴェーデンボリの「視霊現象」を徹底的に検証」といった本。
三木成夫著の『内臓とこころ』(河出文庫)は、久しぶりの三木詣で、である。
三木の本は片っ端から読み漁った。名著『胎児の世界』(中公新書)を読んで以来の三木ファン。
東京を離れ帰郷する際、蔵書の大半を処分したが、三木の本だけは持ち帰りたかったと、返す返すも惜しいことをした。
『カント「視霊者の夢」』(金森誠也訳 講談社学術文庫)は、今さら『純粋理性批判』は読み返せないが、せめてこの本だけは、じっくりと、という思いで。理性(批判)の権化(?)が「視霊者の夢」と題し、どんなことを書くのか、改めて確かめたい。
今さら告白(?)するのも、恥ずかしい気がするが、吾輩は西洋哲学科に籍を置いていたことがあるのだ(置くだけなら、誰でもできる、という揶揄の声が聞こえてきそう)!
→ 種村秀弘著『魔術的リアリズム―メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫) 「1920年ドイツ。表現主義と抽象全盛の時代に突如現れ、束の間妖しく輝き、やがてナチスの「血と大地」の神話の陰に消え去った、幻の芸術があった。歴史の狭間に忘れ去られた画家たちの軌跡を克明にたどり、仇花のごとき芸術の誕生と死を通して、ある時代の肖像を鮮やかに描きだした名著」とか。
種村秀弘著『魔術的リアリズム』(ちくま学芸文庫)は、過日、「魔術的リアリズム」ということで、展覧会が催され(「現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス展」 Bunkamuraザ・ミュージアム )、関心を久々惹起されたので。
小説においては、ボルヘスやマルケス(時にはカフカやゴーゴリなど)を脳裏に思い浮かべればいいが(というか、小生の素養では他に例が浮かばない)、美術においてはどうなのか。
小生の貧しい頭では、ルネ・マグリットくらいしか思い浮かばない。アントニオ・ロペスの作品は、ずっと昔、スーパーリアリズム展の中で観たことがある。スーパーとマジックでは似て非なるものに思えるのだが。紛れ込んでいたのかな。
種村秀弘の本は、若い頃、結構、読ませてもらったものだが、その彼も、2004年に亡くなられている。時の移り変わりを実感させられる。
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コメント
なんだ、紀伊国屋行かれたんじゃないのか?
視霊者の夢、もう亡くなられた坂部さんの、理性の不安で大きく取り上げられてますね。
批判哲学がどう出来上がったかという観点からも重要な著作ですね。
明日はレヴィナスで有名な合田正人さんが、田辺元とハイデガー、PHP新書、発売日。
投稿: oki | 2013/09/13 01:05
okiさん
紀伊國屋、デパート内にあるので、休みはデパートに準じる。
せっかくの滅多にない機会だったのに。
坂部恵氏の『仮面の解釈学』と『理性の不安―カント哲学の生成と構造』とは、1976年頃に出されていて、血気逸る(?)学生時代だっただけに、それに坂部さんの論は当時、絶好調だったこともあって、買って読みました。
面白かった。
なるほど、遠い頃の読んだ印象が今も残っているということかな。読み返してみるか……処分されていなければ、だけど。
投稿: やいっち | 2013/09/13 22:01