富山市の危険な橋
過日、「由緒ある八田橋が危ない」にて、富山市における危ない橋の一つとして取り上げた。
ここは、ポートラムという路面電車も通っており、すぐ先には、富山でも有数の渋滞頻発の交差点もある、交通量の多い地点である。
過年、路幅の拡幅はならないものの、進路変更を示す白線が引き直されたりして、若干、渋滞が緩和されたようだ。
← 八田橋 拙稿「由緒ある八田橋が危ない」を参照のこと。
テレビなどの報道では、「富山市中心部にある八田橋も点検の見逃しが発覚した。八田橋は橋桁につなぎ目がある特殊な構造をしており、その事実を富山市が把握していなかった」とあった。
このたび、八田橋以外の幾つかの危険性を指摘されている橋を見学する機会があった。
富山市では、「婦中地域の井田川に架かる祢比川(ねひかわ)橋は、鉄筋コンクリート床版にひび割れ、神通川の神通大橋といたち川の古開(こかい)橋はコンクリート桁下面に損傷がそれぞれ確認され」ており、「来年度に詳細な点検・調査」を行うとか。
→ 祢比川(ねひかわ)橋 川の流量は普段からも結構、多いと、地元の人からも指摘を受けていた。
ここで余談だが、祢比川の「祢比」は、「ねひ」と読む。この橋のある地域は、婦負郡と呼称されてきた。
婦負郡は、「ねいぐん」と読む。
たとえば、高市連黒人の年月不詳の歌に、「婦負(めひ)の野の薄(すすき)押し靡(な)べ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ」がある。
この「婦負(めひ)の野の」は、元の万葉集では、「賣比能野能」と表記されている(「万葉集巻十七を鑑賞する 集歌4016から集歌4031まで - 竹取翁と万葉集のお勉強」参照)。
「祢比」が「婦負」の古い時代の表記か、そうでなくとも由縁があるのかと思ったが、素人考えに過ぎないようである。
時間があれば、この辺りのことを調べてみたい。
← 神通大橋 遠目には美しく見えるのだが。交通量の多い橋の一つでもある。
神通大橋は、「昭和31年(1956)に一期線が、昭和44年(1969)に二期線が架けられ」たとか。つまり、往路と復路の二つの橋を合わせて神通大橋と呼称されているわけだ。
二つのうちのどちらが古いのか、走ってみると、歴然とする。むろん、車は路面上を走るわけだが、そのデコボコぶりで、ドライバーは、橋の古さを実感するのだ。
なお、いたち川に懸かる古開(こかい)橋については、所在が分からないでいる。
さらに、名もなき小さな橋で、危険な橋も多々あるのだろう。追々、調べていきたい。
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コメント
インフラ・クライシスですね。
笹子トンネル崩落事故があっただけに、古い橋もいつかどこかで…。
しかし、すべてのインフラに手を入れる財源はなく、厳しい懐状態のようです。
大きな事故がなければいいんですけどね。
どこにも出かけたくない気分になります。
投稿: 砂希 | 2013/09/14 17:44
砂希さん
インフラクライシスですか。
国も地方も、新しい公共工事には熱心でも、補修には積極的じゃない。
オリンピック招致が決まって、新しい施設をドンドン作ろうと、前のめりになっている。
思うに、オリンピックも大事だけど、肝心の住民の生活を思うなら、老朽化した施設の補修改修修理を急ぐべきですし、優先すべきでしょうね。
投稿: やいっち | 2013/09/15 21:45