ありし日の郷里(我が家 1)
稲わらが積んであったが、農機か何かの出入り口だったのかもしれないが、最盛期当時の活用法は覚えていない。
小生が物心つくころには、用途はほとんどなくなっていて、だから、使い道のない稲わらなどが積んであったのだろう。
冬の最中だったろうか、ガキの頃、その狭い一角に潜んで、イタズラをしたことがある。灯油を少量こっそりゲットして、入手した新聞紙や稲わらにぶっかけ、火を点けようとした。火遊びである。上手く行った…という記憶はない。
→ ゴーヤは、例年は緑のカーテンにするのだが、昨年は連作疲れのせいか不作。なので、今年は畑の一角に。結構な収穫にめぐまれている。
土間は大晦日の前日、餅つきの場所と一変する。近所の方たち(主に親戚)が集まっての、大童の作業。竈で大量のもち米を炊き、臼と杵で、大餅つき大会が始まる。湯気がもうもうと立ち上る。
豆もちやら昆布もち、餡子もちももちろん。何も入っていない、素のもちでも、白はもちろん、赤や緑、黄色の餅とカラフルだった。白い餅には、黄粉をまぶしたり、餡子をまぶしたり。実に多彩。
餅は廊下などに箱に入れて置いておくのだが、数日も経たないうちに固くなるのは、当然として、カビルことなく、ひと冬は持つのが不思議だった。
その土間は、十数年前、建て替えられて、父母の寝室(寝室に隣り合う形で、母の化粧室と父の書斎も付せられた)となった。
← 朝日はともかく、日中は西日に至るまでずっと日の当たる、家の南側の壁面。下草にもっと伸びてもらって、緑のカーテンになってほしいのだが、ちょっと難しそう。「オカメヅタ」辺りを這わせるか。
土間の東側には、玄関からトイレへ続く石の通路があった。通路には、簀子が置いてあったのだが、或る日、なぜか捲ったら、ヘビが数匹、姿を現した。吾輩も驚いたが、安閑としていたヘビも驚いただろう。
吾輩が驚いたのには、他にも訳があった。
実は、その前日だったか、近所の悪がき連中と一緒になって(吾輩は金魚のうんこだった)、まだ舗装されていなかった町の細い道で、ヘビを見つけては殺す、という遊びに興じていたのだ。
→ ミカンの木。実がたくさん、生っている。ドンドン大きくなっている。今冬も豊作の予感。
自分は率先してそんな虐待などできないが、悪がき連の手で(棒を使って)水道か何かの栓の穴の中にヘビたちが詰め込まれるのを今も覚えている。
小生がトイレへ続く通路の簀子をなぜかはぐって、我が家のヘビたちの姿を垣間見たのは、その翌日だったのである。
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