寝た子を起こさないエネルギー利用へ
それは、太陽にしても風力や水力、潮汐、地熱などにしても、恒常的に自然界より補充されるものであり、基本的にはその所与のエネルギー形態は変わらない。
地熱にしても、地下から熱源(熱い蒸気)を引っ張っても、場合によっては発電に使った後の熱い水は温泉で使うことも原理的には可能なわけである。
ここで改めて、再生可能エネルギーについて理解し直しておこう。
「再生可能エネルギー - Wikipedia」によると、再生可能エネルギーとは、広義には、太陽・地球物理学的・生物学的な源に由来し、自然界によって利用する以上の速度で補充されるエネルギー全般を指す」とか。
「太陽光、風力、波力・潮力、流水・潮汐、地熱、バイオマス等、自然の力で定常的(もしくは反復的)に補充されるエネルギー資源より導かれ、発電、給湯、冷暖房、輸送、燃料等、エネルギー需要形態全般にわたって用いる」とされる。
「対義語は枯渇性エネルギーで、化石燃料(石炭、石油、天然ガス、オイルサンド、シェールガス、メタンハイドレート等)やウラン等の地下資源を利用するもの(原子力発電等)を指す」というのが興味深い。
資源量の観点で見ると、「再生可能エネルギーとして半永久的に利用可能かつ膨大な資源量が存在する。技術的に利用可能な量は少なくとも現在の世界のエネルギー需要の約20倍で、2100年時点で予測されるエネルギー需要と比べてもなお数倍以上大きいと見積もっている。潜在的な資源量はさらに桁違いに大きく、技術の発達次第で利用可能な量もさらに増えると見られている」とか。
→ 南面する壁面に沿った細長い花壇に植えた三重カナメ。順調に育っている。もっと育って日除けになってほしい。
「枯渇性資源はその名の通り、資源を利用するとその分だけ資源量が減少し、資源量の増加速度が遅いため、使えば使うほど減少していく資源のことである。エネルギー資源のうち、石油・石炭・天然ガスなどの化石燃料は枯渇性資源である。金属や石灰岩類などの鉱物資源はどれも増加速度が遅いため、ほとんどが枯渇性資源である。核燃料物質も枯渇性資源である」(「枯渇性資源 - Wikipedia」より)。
一方、枯渇性資源は、資源を利用する、つまり何らかの形で手を加えるので、熱源の形が変化する。資源が減る。それ以上に問題なのは、エネルギー(物質)の形態が変わり、同時に潜在していたエネルギーが開放されて外へ排出される。
石油にしろ、石炭にしろ、天然ガスにしろ、近年話題のシェールガスにしろ、メタンハイドレートにしても、ガスが燃やされてエネルギーとなる。
眠っていたエネルギーを引っ張り出して使うわけである。
寝た子を起こすエネルギー源と言い換えてもいいだろう。
その最たるものがウランであり、原子力発電である。
僅か数グラムのウランが変化し膨大なエネルギーを放出する(そのエネルギーを一定のコントロール下で利用している)わけである。
← 裏の畑に植えたカボチャ。実が生っているかどうか、雑草の中に埋もれて分からない。
寝た子…と言い条、とんでもない怪物を世に出現させてしまう。しかも、その脅威は半永久的である。
だからこそ、放射能汚染の脅威を別にしても、原子力発電は、最悪のエネルギー源の利用法なのだ。
寝ている子をわざわざ起こすなど、愚かそのものの営為なのである。
但し、これは数年前にも本ブログで書いたことだが、太陽光発電などにしても、問題がないわけじゃない。
今の規模ならともかく、飛躍的に利用が進むと、新たな問題が生じてくるはずである。
それでも、寝た子を起こすエネルギー資源利用よりは、はるかにましなわけである。
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