富山を舞台の小説を
2年余り前、「わが町ながら、好きな町ながら、何かしら、面白みに欠ける憾みがある。何故なのか。」として、坂がない、(空襲で市街地の大半が焼け野原となり)歴史を感じさせる建物や古びた、入り組んだ路地などが壊滅状態となった、ことなどあれこれ書いた:
「富山市街地には坂がない」「東京は坂の町でもある」など参照。
← 柏原 兵三作『長い道』 (中公文庫) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より) 「太平洋戦争末期の昭和19年9月、東京から富山の漁村に縁故疎開してきた小学5年生の主人公杉村潔。潔に屈折した友情を示す土地っ子のリーダー竹下進。疎開児をめぐる土地の少年たちの激しい愛憎を、戦争の影にゆれる海辺の村を背景に描き、少年期の鬱屈と憧憬を重厚に映し出す、自伝的長篇。映画「少年時代」原作。」
それどころか、文學(小説)の舞台として、坂そのものに脚光を浴びている作品(久世光彦)もある:
「無言坂…早く昔になればいい」
否、小説の舞台として時に重要な役回りを担うことの多い、川だって、結構あるし、まさに川の名が小説の題名となっている作品(宮本輝)もある:
「「蛍川」の周辺」
富山に縁の作家というと、生まれこそ千葉県だが、「東京市渋谷区立千駄谷小学校在学中、1944年4月、父の郷里の富山県下新川郡入善町吉原に縁故疎開し、入善町立上原小学校(現在は廃校)に転入。敗戦に伴って1945年9月に帰京するまでを同校で過ごし、よそ者として過酷ないじめを受け、この時の体験を中学時代から『長い道』として小説に書き始めた」という、やはり芥川賞作家の柏原 兵三(かしわばら ひょうぞう)がいる。
帰郷して3年目の感想だったが、それから2年余りを過ごした今も、感想に変わりはない。
むしろ、強まったような気さえする。
要は、面白みがないのである。意外性がないと云うべきか。
刊行を意識して小奇麗な町作りに熱心である。
そのことに異を唱えるつもりは毛頭ない。
← 久世 光彦 (著)『早く昔になればいい』(新潮文庫) (画像は、「Amazon.co.jp: 通販サイト」より) 「しーちゃんは町の大きな家の娘で、二十歳を過ぎているけれど静かに狂っていた。十四歳の私は、赤い椿のようにきれいなしーちゃんが大好きだった。でもしーちゃんは、好きだと言われれば誰にでも喜んで体を開く。だからある夜、私もしーちゃんの熱い脚の間で望みを果たした。しーちゃんは次の夏、狂ったまま死んでしまった―。胸の奥底に残る甘くせつなく恐ろしい恋の記憶の物語」…。昔はこういうことが間々あったそうな。
歴史の積み重ねがやや弱い町、これといった歴史ドラマが少ない土地柄だということは、今さら、どうにもならない(あるいは、歴史発掘や街並み探訪を試みれば、それなりの発見があるのかもしれないが)。
富山市(のほんの一部だが)をあちこち歩いてみたり、自転車で、あるいは車で移動して回ってみて、ここを舞台に小説を書いてみたいとか、そうでなくても、発想の源となるような土地(町)に出会うことが皆無である。
敢えて無理すれば、飲み屋街というか小さな路地裏の町などがあるし、あるいは、住宅街なのだが、やたらと入り組んでいて、一度や二度、回ってみたくらいでは、どこがどうつながっているのか分からないような町も、富山市にはある。
← 宮本輝著『蛍川・泥の河』(新潮文庫) 「宮本輝著『泥の河・蛍川』雑感」
正直、「自分も富山を舞台に小説を書いたことがあった(中略)。それも、小生が未だ離郷する前の富山をいとおしみつつ描いたつもりなのだ。立山連峰や富山の海、そして神通川などの河川、田園風景…。」
しかし、実際に小説を書いたのは、東京において、だった。つまり、東京に暮らしていて、富山を想いつつ、書き募った、というわけである。
なのに、いざ、帰郷してみたら、想像の泉は枯渇したままである。
これは何としたことか。富山に来て、恋を失ったから(東京に恋心を残してきてしまったから)、なのか。
言い訳の種は尽きないが、いつか、富山を舞台の小説を書きたいな。富山に在住しつつ。
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コメント
Twitterで、福井県立歴史博物館が涙ぐましい努力をして、PRしてますが、福井に比べると何となく富山は見どころありそう。
例えば、藤子不二雄氏、何かAとか、Bとか、2人組を解散したようですが、あの故郷も富山ですよね。
福井ーまあ永平寺とかあるけど、何か馴染み薄い。
富山の方が好きなのは、弥一さんが住んでいるからかな。
投稿: oki | 2013/08/06 23:09
「坂がない、(空襲で市街地の大半が焼け野原となり)歴史を感じさせる建物や古びた、入り組んだ路地などが壊滅状態」 - 後半の区画整理による市街化は多くの県庁所在地で行われていますが、前半の「平坦化」はあまり聞いたことがありません。もう少し説明して頂けると有りがたい。
「故郷を舞台の小説」となるとどうしても自らの体験が絡んできますね。十代の多感な時を過ごしたとして、それが難しいというのもあまり理解できないでいつも読んでいます。少なくとも小学生時代を故郷で過ごせば限りない体験や土地風土との繋がりが消せないように思われます。特にそれが両親や祖先の在所だとすれば、言葉など生活習慣を含めてその後の生活では全く変わらないほどの地域性が骨の髄までしみこんでいるのが普通ですね。
私などは、逆に都会生まれ育ちの典型で、先祖などとあまり関係の無い根無し草の故郷しかありませんが、それでもその土地の言葉や生活習慣、自然などとは無関係で過ごすことは今後も金輪際無いと思われます。やいっちさんの場合は、それとは反対に故郷から離れようとするヴェクトルが心理的にとても強く働いているのを感じる次第です。しかしそのようなことは実際には一切考えることの無いコムプレックスや縁がそこに見え隠れしてとても面白いです。
投稿: pfaelzerwein | 2013/08/07 02:03
okiさん
東京一極集中の時代にあって、地方は苦戦してます。
オリンピックにしても、東京は招致に熱心ですが、地方は知ったことか、です。
東京から元気に、なんて云われても、東京のおこぼれが地方に及ぶことはなくて、逆にドンドン、エネルギーが東京へ集まっていくばかり。
東京でオリンピックなんて、必然性が全く感じられません。
富の集中、貧富の差の拡大、ワーイングプア層の増大、グローバリズムで地方は衰退の一途を辿る。
富山にあって、富山らしさを考える日々です。
投稿: やいっち | 2013/08/07 21:10
pfaelzerwein さん
前半の「平坦化」ってのがよく理解できないです。
戦災に見舞われたからといって、別に坂がなくなったわけじゃない。
幾つかの例外を除いて、戦前(戦中)からあった建物や路地、歴史上の建物などがかなりの程度、消失したと書いているだけ。
高校時代を含め、18歳までの小生は、富山で生きてきました。
なので、(実際に書いたのは大半が東京在住時代ですが)子供の頃を想っての、あるいはある場面を浮かべての創作やエッセイは結構、書いてきました(ほとんどブログやホームページに載せてきた)。
今後も、実話はエッセイで、創作はあくまで虚構として、子供の頃のことを念頭においた作品は書いていければなと思っています。
同時に、生まれた地への、あるいは大袈裟に掻くとこの世への違和感を取っ掛かりとした想像力の資質は、替えようのないものとしてあるでしょうから、その姿勢の果ての創作のスタイルは変わらないのかな、なんて。
その上で、本稿の結論は、要は、「富山に来て、恋を失ったから(東京に恋心を残してきてしまったから)、なのか」という、愚痴を書きたかったのかな、なんてね。
投稿: やいっち | 2013/08/07 21:26
「坂がない」を空襲の消失によるものと勘違いしました。神戸や尾道などは坂が有名ですが、殆ど歴史的な意味を持たないのに対して、江戸や鎌倉を意識されたようですね。挙げられた福井なども空襲による区画整理で「平坦化」されてしまった典型です。
やいっちさんの「創作」論、興味深いですが、「富山を舞台」というからにはどうしても具体的ななにかを描くことで現実感を表現して貰わないことにはどうしても空を掴むような按配で理解や共感を得にくいのは当然かと思います。例えば、「尾道の転校生」の原作は読んだことはありませんが、あそこにゆかりの人もゆかりで無い人にも非常に具体的に活き活きと想像させる背景がありますよね。まさしく、虚構の創作ですが。
投稿: pfaelzerwein | 2013/08/08 01:44
pfaelzerweinさん
富山での自分を思い浮かべての、子供の頃を中心にしたエッセイや小説は多数、ブログなどに載せてきました。
ところが、富山に帰郷して五年。いざ、故地に戻ってみると、街並みが綺麗にはなっているけど、味気ないことに落胆している。
創作意欲が湧かない。
恋の喪失なのかな、なんて書いてますが、それもそうだとして、現実の街並みに創作意欲がまるで萎えていく一方で、歯がゆい思いを重ねるばかり。
創作の際、目を閉じて、脳裏に浮かぶ映像の欠片を掻き削って創作するのも手なのでしょうけど、なんだか、隔靴掻痒の感もあったりする。
想像力の欠如が主因と決めつけておきましょうか。
投稿: やいっち | 2013/08/08 21:51
弥一さん、今世田谷美術館で、塋久庵憲司とGKの世界、やってますが、富山のライトレールデザインしたのは彼らなんですよね。
是非ライトレールに乗られて車窓から眺めると良い小説のアイデアが浮かんで来ませんかね。
投稿: oki | 2013/08/16 05:59
okiさん
「塋久庵憲司とGKの世界、やってますが、富山のライトレールデザインしたのは彼らなんですよね」。
知りませんでした。イタリア辺りのデザインっぽいと思っていました。
ブルーリボン賞受賞(鉄道)でもある。
ライトレールには、何度となく乗りました。でも、全線は載ってない。
一度、駅から海まで乗ってみたいです。
投稿: やいっち | 2013/08/16 22:30