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2013/07/07

ダーウィンあれこれ

 梅雨の終りを告げているような、不穏な雨模様の中、グウェン・ラヴェラ著の『ダ-ウィン家の人々 - ケンブリッジの思い出』を読み終えた。

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→ 富山点景 「 富山県富岩運河環水公園

 粗忽者の小生、ダーウィンの生きた当時の社会を活写してくれる本だと思い込んで、早まって買ってしまったが、当てが外れた。
 本書は、19世紀末のヴィクトリア朝の窮屈な建前社会を生きる、女性たちの暮らしぶりや息遣いが生き生きと書かれている。

 当時のコルセットで腰の辺りをギューギューに締め付けられている風潮に反発する、反骨心ある女性たる筆者の生き方や率直な批判が面白い。
 しかし、肝心のダーウィンが出てこないことに最後までフラストレーションがたまるばかり。

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← グウェン・ラヴェラ【著】『ダ-ウィン家の人々 - ケンブリッジの思い出』(山内 玲子【訳】 岩波現代文庫) 「チャールズ・ダーウィンの孫娘による本書は、ダーウィン家の群像とヴィクトリア朝上流階級の人間模様をウィットとユーモアあふれる表現で生き生きと描き出す。百数十年前のケンブリッジの街並みと、多くの科学者を育んだダーウィン家の人々が蘇ってくる。著者自身によるペン画の挿絵も魅力的であり、古き良き時代の英国を描き出す至上の回想記」。

「ヴィクトリア朝「国家の自己満足に反抗したのが、ブロンテ姉妹や、トーマス・カーライルらであった。ブロンテ姉妹のうち、長女シャーロットは『ジェーン・エア』を、次女エミリーは『嵐が丘』を発表し、当時の社会を打破しようと試みた。チャールズ・ディケンズは『オリバー・ツイスト』『デイヴィット・コパフィールド』、ウィリアム・メイクピース・サッカレーは『虚栄の市』を発表。ディケンズはこの時代の代表的作家で、後に国民作家と呼ばれるようになった。19世紀の後半にはジョージ・エリオットとトーマス・ハーディの小説が現実の暗さを描いた」(「イギリス文学 - Wikipedia」)という。

 小生がこの時代の作家たち(の作品)が好きなのは、何故なのか、探ってみる値打ちがありそう。

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→ ブリューゲルの絵画「イカロスの失墜」 (画像は、「webmuseum Bruegel, Pieter the Elder」より)

 ところで、「この時代の小説は、19世紀中盤の教育制度の発達と共に、挿絵を含むものが多くなった。前述のディケンズはもちろんのこと、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』などは、すでに挿絵が作品の一部である例といえるだろう」というが、本書グウェン・ラヴェラ著の『ダ-ウィン家の人々 - ケンブリッジの思い出』も、著者自身による挿画がたっぷり載っている。

 筆者は親(や時代)の期待に反し、画家になりたかったのである。

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← アドリアン・J.デズモンド著の『ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ』(矢野 真千子 野下 祥子【訳】 日本放送出版協会) 伝記本では、本書が秀逸。

 小生は、デネットの上掲書に触発されて、「『ダーウィンの危険な思想』を読んで…叡智 はるかに」や「『ダーウィンの危険な思想』…美女と野獣と叡智と」などを書いたことがある。

 デネットの上掲書のほぼ末尾に、デネットが大好きだというオーデンの詩が引用されている。それは、かのブリューゲルの絵画「イカロスの失墜」がオーデンをして鼓舞せしめ書かせた詩なのである:

 昔の巨匠たちは、受難について決して間違わなかった、
 その人間的位置を、彼らは何とよく理解していたことか、
 ほかの連中が食べたり窓を開けたり、ただのろのろ歩いている間に、
 どんなふうに受難が起こるかを知っていた、
 老人たちがうやうやしく熱心に、奇跡的な誕生を待ち構えているとき、
 それをとくには望まぬ子供らが常にいて、
 森の端の池ですべっているに違いない次第をも、
 彼らはよく理解していたのだ。
 彼らはまた、決して忘れなかった、
 恐ろしい殉教者の道でさえ、とにかく片隅の、
 取り散らかしたところを行かねばならぬことを、
 犬が犬の暮らしを続け、
 拷問者の馬がその無実な背中を木にこすりつけているところを。

 たとえば、ブリューゲルの「イカロス」だ。
 何もかもまったくのんびりして、彼の災難を顧みようともせぬ、
 農夫は、ざんぶという墜落の音や絶望の叫びを聞いただろうが、
 重大な失敗だとは感じなかった。
 太陽も相変わらず、碧の海に消える白い脚を照らしていた。
 ぜいたくで優美な船も、驚くべきものを見たのに、
 空から落ちる少年を見たに違いないのに、
 行くところがあって、静かに航海を続けたのだ。 

                  (沢崎順之助訳『オーデン詩集』思潮社)


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← ダニエル・C. デネット著の『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』 (青土社)

 オーデンの上掲の詩に感化されて、小生は以下のように呟いている
「この壮大で淡々とした日常。何処かで若者が訳の分からぬ情熱に浮かされて無謀なる自棄的な行為に走る。れがために自らを、あるいは他人を傷つけ、時には死に至らしめる。それは路上でかもしれないし、どこかのアパートの一室かもしれないし、学校の体育館の裏なのかもしれない。衆人環視のもとでかもしれないし、誰も目撃者のいない闇の中でのことかもしれないし、もしかしたら誰か一部始終を見ていたのに、見てみぬふりをされたために誰が犯行を行ったのか真実は闇に葬り去られたのかもしれない。
 マンションの隣りの部屋で今にも首を括ろうとしている誰かがいるのかもしれない。一人きりの部屋。それこそ、神さま以外の誰も目撃者はいない。が、神はあくまで沈黙を守り通す。もしかしたら、神の目からしたら平凡すぎる光景に過ぎないがゆえに、つい欠伸をして見逃してしまっただけのことかもしれない。いずれにしても、初めから最後まで見守るだけなのである。むしろ、部屋の片隅に密かに巣食っている蜘蛛くらいは、ほんの一瞬、その誰かの苦悶の濁った末期の叫びを音波の響きとして感じたかもしれないが、その奴にしたって、すぐに再びダニを追う仕事に没頭したのに違いない」。

ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』においてのデネットによると、この世の多様性、つまりは「神」が自然界の隅々にまで及んでいることの説明を与えた人物こそ、ダーウィンだと言う:

「生命の系統樹」を通して、一つのまったくもってユニークで、まったくもってかけがえのない創造物が創造されることで、言い換えるなら、「デザイン空間」の広大無辺な広がりのうちに、そのもろもろの細部まではそっくり正確に複製しえないようなパターンが現実に創造されることで、「デザイン」が自然界の全域に及んで行くプロセスを通じてである、と。ではデザイン・ワークというのは、どのようなものなのだろうか。それは、相異なる無数の場所で相異なる無数のレベルを通じて一斉に生じている、偶然と必然の、かの驚くべき結婚である。それではそうした結婚はどのような奇跡から生じたのか。どのような奇跡から生じたのでもない。それはただ、時の充実を通してたまたま生じたにすぎない。ある点では、「生命の系統樹」がみずから自己を創造したのだと言うことさえできるだろう。ただしそれは、一陣の奇跡によってではなく、かえって何兆年にもわたる、きわめて緩慢なプロセスによってではあるが。  この「生命の系統樹」は、ひとがあがめたり、祈りを捧げたり、恐れたりすることのできるような「神」なのだろうか。多分、そういうものではないだろう。しかしそれは、ツタを<嘘偽りなく>双葉にしたり、空を<本当に>こんなにも真っ青にしたり<してくれた>のだから、私の大好きな例の歌も、きっと一つの真理を教えてくれてはいるのだろう。「生命の樹」は、時間においても空間においても、完全なものでもなければ無限なものでもないが、少なくともそれは現実のものであって、アンセルムスの「それより偉大なものは何一つ考えられないような存在」ではないにしても、その細部というにふさわしい細部においては、私たちの誰もが決して思いつけないほど偉大な存在であることは間違いない。それは何か聖なるものであるのだろうか。ニーチェとともに、私は「その通りだ」と言おう。それに向かって祈ることはできないにしても、その壮麗さを確信して立つことならできるからだ。この世は聖なるものであるのだ(p.704)。


ダーウィン関連拙稿のうち以下だけ参考に:
読書拾遺(ダーウィン、ミミズ、カメ) 」
ジョナサン・ワイナー 著『フィンチの嘴』

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