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2013/07/15

扇風機をめぐるエトセトラ

 小生の部屋では扇風機が大活躍している。今の扇風機で、一体、何代(台)目になることやら。初めて扇風機を買ったのは、いつのことだったか、もう、そんなことも覚えていない。
 部屋にはエアコンがあるが、冷房に弱いのか、めったには使わない。それでも、この夏は極端に暑く、とうとうエアコンのお出ましを願うしかないようである。

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 数年前だったか、先代の扇風機がとうとう故障してしまった。今の扇風機は実はもらい物なのである。暑くて苦しいなんて騒いでいたら、優しい方がプレゼントしてくれたのだ。下手なことを言うものではないと思った。自分としては、そんな貧乏生活もエッセイなどに書いている。つまり、ネタにしているというわけなのだ。
 でも、それを可哀想と思ってしまわれる方もいる…、その点への配慮が足りなかったと反省している。

 記憶を辿ると、我が家に扇風機がやってきたのは、昭和三十年代の後半だったろうか。周りが田圃や畑で、集落風に寄り添うように農家が散在していた。目を閉じると、村から町になりたての光景が浮かび上がってくる。夏ともなると、家の方々の戸や窓を開け放つ。泥棒さんだろうが、近所の方だろうが、その気になればいつでも、どの部屋へでも入り込める。

 実際、小生が物心付く以前、昭和三十年代に入りたての頃、我が家に泥棒さんが入られて、警察騒ぎになったとか。田舎のこととて、そして当時のこと、泥棒さんがいらっしゃるなど、全くの想定外の事態だったのである。
 そんな開けっぴろげの家。風は方々から入るし、何処からでも脱け出ていく。目の前には稲穂の原。その海原を渡って、風が吹き寄せてくる。
 はずなのだが、そうはいつもいつも風が来てくれるわけもない。ピタリと風が止むこともある。凪。これが困る。簾もカーテンも、暖簾も洗濯物も微動だにしない。こうなると、団扇だけが頼りである。バタバタ、バタバタという団扇の音。

 父は、夜や日曜日など、部屋に居る時は、ステテコ姿になり、上半身は裸。その肩に濡れたタオルなどを懸ける。濡れたタオルが体温で時の経過と共に乾いていく。その間、気化熱で火照った体の熱が奪われていく。少しは涼しくなる、という理屈である。
 が、我が家で上半身だろうと、裸になれるのは父の特権であり、母は勿論、姉君たちも、そうはいかない。小生にしても、シャイというか、せいぜい、短パンにランニングシャツ姿が限界である。汗が滲むなら、ひたすらに団扇に依存するしかなかったものだ。

 或る日、とうとう我が家に扇風機がやってきた。文明開化の恩恵が我が家にも及んできたというわけである。我が家にテレビが来たのと、扇風機がやってきたのと、一体、どっちが早かったのだろう。さすがに扇風機だったろうか。多分、値段からしても、そうだろうけれど、小生は覚えていない。
 部屋に一人だけなら、扇風機は独り占めである。が、居間(茶の間)で家族団欒の時となると、扇風機にしても、首振り機能で、延々と首を振り続けるしかない。さぞかし、首が凝ったことだろう。

 扇風機が首を振る。ファンが自分のほうに向いてくる。風が来る。弱い風が次第に強くなり、また弱くなり、過ぎ去って、風がなくなってしまう。誰か他の人のところに吹いている。その風が、暫時の後、また、こちらに近づいて来る。強くなる、そして弱くなる。
 そんな繰り返しが、夏の夜、就寝の時まで続くわけである。

 床につく時には、扇風機には頼れない。蚊帳など釣って、その中に入る。またまた、団扇をバタバタさせて、束の間のささやかな風を起こし、ひたすらに睡魔の到来を待ち望む。暑く長い夜の日々が一夏、続くのである。

 小生が学生の頃、小学校、中学校、高校を問わず、エアコンは勿論のこと、教室には扇風機もない。
 夏の日、休憩時間にグランドに出て野球などして、汗だくになって、さて、チャイムが鳴ると、教室に戻る。暑い。汗がダラダラと流れる。下敷きを団扇代わりにして、あるいは襟元を大きく広げて、襟をパタパタさせて気休めの風を胸元に流し込もうとする。やがて、授業時間が過ぎていくと共に、いつしか汗が引いていき、授業が終わる頃には、背中に張り付いていたシャツも、肌から離れている。でも、また、外へ飛び出して遊びまわって、汗まみれになり…と、同じ事を繰り返すのだった。

 小生が高校三年の五月。我が高校が理科棟などを残して全焼したことがあった。ホントの全焼で、夜の十時過ぎだったか、友達に電話で高校が火事だと告げられ、小生は自転車を飛ばした。十数分ほどの距離に校舎がある。火事は真っ盛りだった。人盛りが凄い。消防車が何台も学校の近くに止まっていて、懸命の消火活動を繰り広げていた。
 が、木造校舎である。呆気ないほど他愛もなく校舎は燃えていく。紅蓮の焔が校舎を舐めるように飲み尽くしていく。瞬間、夜の空に燃え上がる炎が綺麗だと不遜な思いに囚われたりした。翌朝、学校に行くと、そこには灰燼に帰した、黒焦げの板切れの原。それこそ、出来て間もないコンクリートの研究棟と、門など以外に原形を留めているものはない。

 火事の原因は、煙草の不始末だったという噂(それどころか、放火という説もあった)が一部に広まっていたが、さて、現場検証の結果はどうったのだろうか。
 うやむやに?

 受験校でもあったし、急遽、校舎が作られた。といっても、本格的なコンクリートの校舎が建てられるまでの繋ぎの、プレハブの校舎だった。
 燃えたのは五月。我が郷里は五月を過ぎると、フェーン現象などが生じて、情容赦のない暑さに見舞われる。その最中、プレハブでの学校生活というのは、悲惨なものだった。そろそろ夏休みが近づいた頃だったか、何処かからのプレゼントだったろうか、氷柱が教室に運ばれたことがあった。生徒の歓声が上がった。
 授業中、次第に溶けていく氷の塊。授業より、その溶けゆく様が気になってならなかった。

 扇風機をプレゼントするという発想までは浮かばなかったのだろうか。
 扇風機に纏わる思い出を辿ると、切りがない。

                         (「扇風機のこと」(04/07/09 記)より抜粋)

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コメント

昔はこんな暑くなかったですよね。
都心は梅雨が明けたら猛暑、35度なんて当たり前。
ここ2日程は涼しいんですがね。
日本も亜熱帯になりつつあるのかな。
久しぶりに揺れましたよ、富士五湖あたりが震源。
選挙でも311忘れるなという警告かな。
外国人から見たら都心は明るすぎて、原発事故も忘れているように感じるようですね。

投稿: oki | 2013/07/18 00:22

okiさん

この数日は、やや涼しげですが、梅雨が明けたらまた猛暑がやってくる。
扇風機だけでは、乗り切れないかもしれない。

何年か前、浦安のディズニーランドに行きましたが、熱帯の雰囲気がありました。
日本全体があのようになっていくのでしょうか。

原発事故を忘れない人も多いけど、忘れたがっている人も多い。
実に情けないです。

投稿: やいっち | 2013/07/19 21:45

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