健康幻想
「健康幻想」
健康は素晴らしい。とにかく病気は嫌だ。病気にしろ、体の欠陥にしろ、そんなものはないほうがいい。なくせるものなら、直せるものなら直して、健全な人間として生きたいものだ。
そう、誰かに言われたなら、少なくとも小生には反論できない。そりゃそうなのだ。肉体に、あるいは心に病を抱えて、何の人生かと思ってしまう。
医学が急速に発達している。医療技術の発展は、日ごとに加速しているようだ。一頃騒がれたエイズはどうなったのだろうか。克服されたのだろうか。それとも、深く静かに潜行しているのか。あるいは、エイズを完璧には治せないものの、多くのウイルスと同様に人間はエイズとも共存しえる状態に近づいてきたのか。
無論、まだまだそんな環境にはないことは言うまでもない。
← ミカンの実はゴルフボール大になってきた。今年、豊作の予感。
(中略)
医学が発達したら、性病だって、いつかはちゃんと直せるようになる。不妊の状態になったって、不妊治療が発達するし、試験管ベビーだって可能だし、クローン技術で子供を持つことも出来る。要は性的放縦さが問題なのではなく、医療技術の問題であって、医学が発達したら、総てはハッピーで終わるというわけである。
歯だって治せる。歯根も、歯そのものだって再生医療の対象になりつつある(動物実験はほぼ終わり、臨床段階に近づきつつある)。当面は、入れ歯で済ませることが出来る(今の入れ歯技巧の素晴らしいこと。これなら自前の歯よりましなほどだ)。
義肢に、そのうちに原細胞(幹細胞)からあらゆる臓器が再生可能になる。もう、時間の問題だ。そうなったら、ダメな自前の臓器はさっさと放棄し、出来立てほやほやの再生した臓器を移植すればいい。自分の幹細胞から再生した臓器だから、免疫などの心配も不要だ。
臓器も四肢も眼球も歯も、耳や鼻だって再生できる。そのうち脳細胞だって肝細胞からの再生が可能になるに違いない。
だったら、ダメになった肉体は総て、その都度、新鮮な臓器やパーツに置き換えていけばいい。夢のようだ。でも、近い将来、ほぼ確実に実現可能な夢なのだ。
一体、肉体とは何なのだろう。肉体というのは掛け替えのないものではなかったのか。人を傷つけてはいけないのは、それが掛け替えのないものだったからではなかったか。
それが、再生技術で直せるとなれば、何かのいきさつで人を刺したり傷つけたりしても、病院で直したり交換したりして元通りとなる。何だ、人を刺しても、治療に要する経費さえ負担すればそれで済むことなのか…。
そのうちに、心の傷さえ直せるようになるのだろうか。精神剤が豊富に出回っている。大概の精神的不安定な状態は、それに見合った薬剤が投与(服用)されることで、当面の波風は凌ぐことが可能になる。
なんだ、心の病も大したことはないじゃないか、錠剤の一粒でも飲めば済むことじゃないか。「恋の病もこの薬を飲めば大丈夫。あっという間に恋心も雲散霧消します」なんていうコマーシャルがテレビなどで流れるのも時間の問題だ。
だったら、そう、煙草だって、今、欧米を中心に肺ガン(喉頭ガン、その他、無数のガン)の原因として槍玉にあがっているけれど、ガンなどの治療技術さえ確立されれば、「さあ、これかららは煙草を吸っても大丈夫、ガンになっても、病院で日帰りの治療を受ければ、呆気なく直ります。どうぞ、大いに吸ってください」ということになるのか。
エイズも、感染症が怖かったけれど、それも過去の話。「今は、立派な薬剤や治療法が確立していますので、大いにフリーセックスを楽しんでください。不倫も、どんな変態セックスも、子供を陵辱するようなセックスも大いに結構。子供が一時的に肉体的に、あるいは精神的に傷ついても、治療法がちゃんとありますので、何の心配もありません」ってことになるのか。
あるいは、「そうそう、昔は覚醒剤や麻薬がダメだったようですが、今は、どんな薬もOKです。何なら毒薬だって刺激的で、その死の苦しみを味わうスリルは最高です。一旦は気を失いますが、なに、病院に担ぎ込まれれば、たちどころに治してもらえるんですから。トリカブトでも硫酸でも青酸カリでも、お気に入りの薬物を飲んでみてください」ってことになるのか。
病気は治してほしい。体の不調は、ないがいい。心の悩みは吹っ切って欲しい。一切の肉体的精神的悩みも不都合もない人生。胃の不具合もない。心臓の鼓動さえ自覚するのはうんざり。永遠に波立つことのない能面のような海。病に怯え苦しむものには、死の海としか思えないのだけれど、一切の肉体的精神的波乱を毛嫌いする将来の我々にとって、肉体の存在の自覚も、心の存在の自覚も、そもそも人生があるということの自己確認さえも、邪魔で不潔で不健全で異常な営為なのだろう。
← ヒマワリとグラジオラスとの乱舞。栗の木が小さくなっている。秋には形勢逆転だろうけど。
病むということはそれほどに、毛嫌いされるべき異常な事態なのだろうか。肉体的不全というのは、唾棄すべき状態に過ぎないのか。
ある意味で、肉体的に、あるいは精神的に不調を抱えるからこそ、老いるという時限爆弾を抱えているからこそ、生きることの深みを感じるのではないか。人を共感する心が育まれるのではないか…。
そんな発想は、もう、古いのかもしれない。薬を飲んで健康に。病院へ行って健全なる肉体に。明るい未来に向かって、ひたすらに健康幻想の実現された未来へと突き進もう!
それが近い将来のスローガンとなるのだろう…か。
(「健康幻想」(03/01/03)より)
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