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2013/07/01

私という千切れ雲

 遠い昔、私とは一個の他人だと、誰かが喝破したのだった。
 が、20世紀になって、一個の他人であろうと何だろうと、あらゆる輪郭付けの試みの一切を呆気なく放棄せざるをえないほどに、<私>は見えなくなっている。誰かが言ったように、私とは、せいぜいのところ雲なのだ。下手すると霧のようにやがては日の下では雲散霧消を余儀なくされている散漫なる点の粒子のたまさかの凝集に過ぎないのかもしれない。
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 私の中の得体の知れない盲目的な<意志>が、懸命に散逸しバラけていく霧の薄明を、せめて雲ほどには、そう、遠目には、一個の塊であるかのように、必死な思いで私の片鱗や欠片たちを掻き集めているのだ。
 そう、私とは、懸命に私を私と叫びたい、悲鳴に他ならないのだ。

 語っているのは依然として私に変りはないのだけれど、語っている私の姿が見えない。
 他人に見える私。私に見える私。他人に見えない私。私に見えない私。
 ん? 他人に見える私って、私が他人のように見えるっていう意味かって? ああ、それは誤解。他人様が見ることで成り立っている私という意味だ。以下同様で、私が見ることで何とか取り繕われている私だし、他人には見えないけれど、私にはきっと見えるだろう私であり、そして最後は、他人にも、そして私にも見えない私だ。

 玉葱の輻湊した身を一枚一枚剥いでいって、最後に何かが残るというのではなく、私とは、その剥ぐ営為の過程にしか存在の感触を見出せない、その悲喜劇なのだ、尤も、今のところはだけれど。

 が、雲は、変幻を繰り返す。雲の正体を見ようと近づいてはいけないのだ。離れて、青空を背景に遠望しないといけない。それほどに私とは、デリケートな、掴み所のないものなのだ。今は、<私>を呼ぶのに、私という言葉があるから未だ、いいけれど、そのうちにそんな言葉さえ、愚かしいとか、ナイーブすぎるとか言って、冷淡に斬って捨てられてしまうかもしれない。斬って捨てられるのは私という言葉?それとも雲へと凝集させる意志? 

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→ (画像は、「「ほうき星」じゃなく、「ほうき草」!」参照)

 既に20世紀の古典である抽象表現主義の芸術が、今の小生には懐かしい。広いキャンバスにペンキなどを無闇に飛び散らして、あるいは裸の身体を転げまわらせて、その一見すると偶然性の彼方に、何か一個の個性が垣間見えることを期待する。そう、身体と精神とは、とてつもなく深い闇の宇宙という海に散在しつつ遊泳するプラナリアか原生動物か、せいぜい海月かイソギンチャク。大海に漂うプランクトンというデジタルな命の表象を追っている。
 それでも、命の生きることへの渇望の強さは、ひしひしと感じていたのだ。それ以外に、何がある ! ?

 その営みの激しさを後押しするのは、やはりその表現者を圧倒する現代というとてつもなく肥大化した物質群だ。心が物質に圧倒されている。心も精神も、量子的飛躍を起こして物質へと相転位したのである。

 抽象表現主義の華やかなりし頃は、物質の駆け巡る際の凄まじい風圧に身体も心も圧倒されて、せめてキャンパスに、そう原爆の炸裂の際に人体の蒸発する寸前、白壁に人の影らしきものくらいは映る、ちょうどそのように、飛沫の散逸の彼方に人間味の欠片の名残くらいは、あるものと祈ったのか願ったのか。
 けれど、そんなポロックの営為も、アール・ブリュ=生の芸術の営為も遠いセピアの光景に成り果ててしまった

 今、心も身体さえも、霧よりも粒の小さい、不可視の粒子へと拡散してしまった。視野を不透明にする雲さえ、懐かしい。私とは「わ」「た」「し」であり、つまりは、風に吹かれて舞う浮遊塵なのだ。あらゆる人の名残を掻き集めて、やっと黄砂ほどには大気を濁らせることができる。

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← (画像は、「もどかしさも極まれり ? !」(2009/09/08)より) 

 散弾銃で吹き飛ばされた身体なら、せめて肉片や血飛沫くらいは手で掻き寄せることができる。でも、仮想の粒子となった身心というのは、位相空間の中のほんの戯れの果てに、遥かな宇宙の空間に飛散する。<私>にはもう、デジタル空間の点粒子として生きるしか残された道はないのだろうか。
 だとして、どうやって<私>へと凝集させたらいいのだろう。


                      (「私という千切れ雲の先に」(02/04/24)より抜粋)

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