息の長い文章を息長く読む
今度が通算して3度目の挑戦となる。
挑戦というのは大袈裟で、ただ富士山の天頂を目指し、なだらかな斜面を一歩一歩踏みしめていくだけだ。
先を急がず、風景を愛で、匂いを愉しみ、体感を味わい、想像と表現の至芸を堪能する。
← マルセル・プルースト【著】『失われた時を求めて 〈2〉 スワン家のほうへ 2』(吉川 一義【訳】 岩波文庫) この表紙カバーの絵は、プルーストが友人レーナルド・アーン宛書簡に書きつけたいたずら書き。人物の横に、「マネの描いたレジャーヌの肖像」という注記があるとか。レジャーヌは、サラ・ベルナールとともにプルーストが高く評価した当時の女優(以上、本書よりの情報)。
メルヴィルの『白鯨』は、余談とも受け止められかねない、クジラについての脱線的な薀蓄話が随所に出てくる。初めて読んだ学生時代は、案の定、迂回路に辟易して、ただ若さの腕力で読み切ったが、退屈だったという印象を残すのみだった。
二度目、失業時代だったかに読んだ時、一気に読めた。それこそ、どんな一文も読み飛ばさずに。少しは読む楽しみの経験を積んだお蔭、それとも隘路に嵌る経験の賜物?
プルーストの叙述は、息の長い、細部から細部に渡る諧調的な文章。喘息の人が息をゆっくり吸い、ゆっくり吐く、その際、吸気などの流れが喉を肺を肺胞を神経細胞の繊毛を可能な限り刺激しないよう、細心の注意を払っている、そんな息の詰まるような光景が浮かぶ。
目にする光景、あるいは体験する事柄、見聞きする話を、現象の微細なる変動振動変貌の波から付かず離れず、その現象の変化の細大の振幅や斜面の起伏に沿って、観察し分析し的確な言葉による表現へ至らせる。
観たこと感じたことをそのままに。
簡単なようで、実に難しい。
人間には常識があり、思惑があり、世間の目への警戒の念がある。
それらはそれらで必要に応じて、状況に応じて描くことはあっても、今、目にしている何かの細密で的確な分析や批判、表現の意思は断固変えない。
作家としての頑固なまでのこだわり。
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