いよいよ「失われた時を求めて」へ!
昨日の日記に書いた事情もあって、昨日、中元をデパートに買いに行った。
そのうち、暑中見舞いの葉書も関係者を中心に送る。
→ 自作のプチトマト。初めて食べた。美味かった!
そのことで、昨年、三回忌が済んだことを銘記してもらうことにする。
それはそれとして、今年後半は、プルーストの「失われた時を求めて」を読み通すことにしている。
なので、過日、「1 スワン家のほうへ I 」(吉川 一義 訳 岩波文庫)を買い求め、昨日から読み始めた。
読み始めたとなると、手元に第一巻しかないのは、何か心許ない。
ということで、デパートに行ったついでに、館内にある書店に立ち寄った。
で、「 2 スワン家のほうへII 」 「3 花咲く乙女たちのかげにI」「4 花咲く乙女たちのかげにII 」「5 ゲルマントのほうI」と、書店にあった本を買い求めてきた。
店頭にあったのは、これだけ。
つまり、今は、第五巻までしか出ていないってわけだ。
調べると、第六巻は今年11月の刊行だとか!
薄々は気づいていたはずなのに、その現実に目を背けてきた、その現実が歴然と自分に迫ってきたのだ。
どうやっても、年内には全巻を通しては読むことは叶わない。
← 昨日、墓掃除に。主に雑草退治。数日前、除草剤を散布しておいたので、頑固なはずの雑草もすんなり毟れた。
全体で(岩波文庫の訳本だと)14巻。
月に二冊か三冊のペースで読めば、十分、年内に読了可能なはずなのだった。
小生は、井上究一郎訳で初めてプルーストの「失われた時を求めて」(「筑摩世界文学大系」のうちの一冊のみ)に接した。
ついで、鈴木道彦訳で、これも部分的にだが、読む機会に恵まれた。
その間、全三巻の構成での抄訳が出た、これも買い求め、これは通して読んだ。
そして、今回に至るわけである。
「1 スワン家のほうへ I」(吉川 一義 訳 岩波文庫)を買い求めた際、新潮や筑摩、集英社などの文庫本も目にした。
その上で、小生は、吉川一義の手になる岩波文庫版を選んだ。
なんとなくだが、まだ全巻が揃っていないことに(薄々?)気づいていたのに、何故、古馴染みの井上訳でも結構気に入っていた鈴木訳でもなく、敢えて岩波(吉川)版を選んだか。
→ フェルメール作『デルフトの眺望』。「プルーストは1902年にもオランダのハーグ美術館でこの絵画を見ており、知人に宛てた書簡で「ハーグで『デルフト眺望』を見てからというもの、この世で最も美しい絵画を見た、と思ってきました」と書いている」。(文章・画像共に、「失われた時を求めて - Wikipedia」より)
恥ずかしくて、岩波版には図版が多数、載っているから…とは云えないし、書けない。
単に新しいもの好きと書いておく。
まあ、天の意思として、読み通す意思があれば、いずれ全巻を読み通すだろうし、慌てて読む必要もない、じっくり読めよ、ということなのだろう。
息長く、見出された時に至るよう、愉しみたい。
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