ゼロとレイの間
過日、暇の徒然に、桜井 進著の『感動する!数学』を読んでいたら、数字の【0】は、日本語では、「ゼロ」と「レイ」と言い方と読み方がある、読み方での異同は、という話があった。
→ 畑や庭のあちこちに、グラジオラスが花盛り。拙稿に「グラジオラスは恋の花(後編)」などがある。
グラジオラス恋の剣と天を突く (や)
事故での死者の数は、ゼロだが、レイとは云わない。
ゼロは数学の0で皆無を意味する。
一方、天気予報などで、明日の降水確率は、0%はレイパーセントと読み、決してゼロパーセントではない。
なぜなら、天気予報などでの降水確率0%は、5%以下を意味し、決して全く降らないという意味ではないのだ。
天気予報において降水確率をゼロ%とは絶対に言わないわけである。
← 桜井 進【著】『感動する!数学』(PHP文庫) 車中での待機の徒然に、気軽に読むつもり。
端的に、ゼロはインド起源の概念で欧米などに伝わったもので、ゼロは英語なのである。
今のところ、ゼロは依然として外来語の感覚。
一方、レイは、表記の上では、零であり、これは、中国語起源の言葉。既に日本語として馴染みがあり定着している。
但し、中国での「零(ling)」も、元々はインド起源らしい。
中国から「零」が伝わる過程で、あるいは中国において既に、「零」は「レイ」であり、決して「ゼロ」としての用法はなかったということなのか。
→ ミカンの木に実が鈴生りである。ドンドン、大きくなってきた。
ゼロというと、全くのゼロだが、レイと読むと、きわめて少ないという意味合いになる(但し、中国においても、そのような意味合いなのか、分からない)。
表記では、事故ゼロ 海抜ゼロメートル地帯 欠席者ゼロなどとなるのも、ゼロかどうか、歩かないかは確然としているからだ。
← 今年も「アガパンサス」が咲き誇ってくれている。グラジオラスやムラサキツユクサ、そしてこのアガパンサスなどは放っておいても咲いてくれるので嬉しい。 拙稿に「梅雨空もアガパンサスの花の色」や「アガパンサス…眠るとは、植物状態への還帰」などがある。小生には、「アガパンサスの花言葉は」なんて、恋話の短編もある。
ネットで調べたら、下記のサイトが浮上してきた:
「レイ? ゼロ? ことば(放送用語) - 最近気になる放送用語 NHK放送文化研究所」
ココを読むと、「午前零時」を「午前ゼロ時」と言わないのは何故かが分かる。
これは結論、というより、今後の考察(?)のための糸口なのだが、ゼロはデジタル的性格を帯び、レイはアナログ的なような気がするのだが、さて。
| 固定リンク
「写真日記」カテゴリの記事
- 勧められはしたものの(2023.10.04)
- 数学は数楽じゃなく、音楽は音学じゃない(2023.10.03)
- 海の青、空の青、白い雲、船影…(2023.09.30)
- 富山…中秋の名月は望めず(2023.09.29)
- バッタや土との若手研究者らの苦闘(2023.09.21)
コメント
ゼロとレイは少々違うのですね。
私は白黒はっきりつけたがる性格なので、ゼロのほうが好きです。
まったく何もないほうがすっきりします。
ちょっと勉強になりました!
投稿: 砂希 | 2013/07/15 16:13
砂希さん
何もないほうがすっきりする。
さっぱりした性分が痛快です。
でも、日本人って、大概の人は、曖昧派。
物事の白黒をはっきりってのは、好まない。
やはり、日本人はレイのほうかな。
投稿: やいっち | 2013/07/15 22:07