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2013/07/02

邪馬台国とラピタ人と

 久々にお墓を見てきた。
 そろそろ草茫々状態なのではと思われたから。
 観てみて想像以上に雑草が生い茂っていた。

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→ 畑の隅っこにスクスクと育ってきているヒマワリ。あまりに神々しくて、撮ったらハレーションを起こした。

 さもあらんと思って、除草剤を自転車に積んで向かったので、雑草に除草剤をたっぷりと撒いた。
 お墓のそばで除草剤で、雑草とはいえ、殺生をするのも憚られるが、雑草に埋もれたお墓では、世間の目が怖い。

 殺生より世間の目を気にするなんて、情けないが、常識人である小生には、選択の余地はない。
 除草剤を振り撒いたので、その効果が出てくるだろう十日前後先に、草刈りに向かうつもりだ。
 
 ブライアン・フェイガン著の『海を渡った人類の遥かな歴史-名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか』を読み始めた。
 本書の眼目は、一読して分かるように、「膨大な考古学的成果と、8歳の時から帆を操ってきた船乗りとしての経験から、彼らの航海の、その冒険性を否定する。彼らが水平線の先に向かったのは好奇心やロマンからではな」く、「冒険性の否定。実は著者が最も訴えたかったのはそのことだ。天体の位置、潮のうねり、鳥の動き、島に伝わる伝承。総合的な知を蓄積し海を体験的に解読することで、古代人はいつでもどこからでも帰れるという自信を持って外洋に漕ぎ出した。つまり外洋航海は日常的な沿岸航海の延長線上にあり、未知への旅立ちが冒険でなくなるほど彼らは海と親密な関係を築いていたという」点にある(「書評:海を渡った人類の遥かな歴史―名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか [著]ブライアン・フェイガン - 角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家) BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト」など参照。)。

 といいつつ、小生はまだ最初の数章を読んだだけで、その部分の目次は以下:

祖先はなぜ海へ乗り出したのか
「砂堆や浅瀬は明らかにされた」
太平洋を越えて(スンダとサフル―アボリジニの航海;「海上に散らした蝶の翅」;島々のパターン)

 特に、この「太平洋を越えて(スンダとサフル―アボリジニの航海」は、読んだばかりということもあって印象的である。

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← ブライアン・フェイガン【著】『海を渡った人類の遥かな歴史-名もなき古代の海洋民はいかに航海したのか』(東郷 えりか【訳】 河出書房新社) 「原始、祖先たちはなぜ舟をつくり、なぜ海に乗りだしたのか。遺跡も文献もほとんど残されていない太古以来の人間と海の物語。東南アジア、地中海、インド洋、北大西洋、アラスカから南米の太平洋海域…斬新な視点から、知られざる壮大な歴史を発掘する」といった本。

 それは、ただちに「魏志倭人伝」の以下の一文を思い浮かべつつ読んでいたからである:

女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國あり、その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。 倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。

 特に、「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、また侏儒國あり、その南にあり。人の長三、四尺、女王を去る四千余里。また裸國・黒歯國あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし」の部分。

 わが国では有史以前だっただけに、「魏志倭人伝」の重用ぶりは、仕方がないだろう。
 邪馬台国が九州か畿内かという議論も喧しい。
 小生自身は、予てより、邪馬台国は九州説を採るものだが(倭人伝を素直に読むと九州説以外に考えられない!)、ここでは深入りしない。

 従来、邪馬台国の位置論争までは忙しいが、「女王國の東、海を渡る千余里」以下の記述には、大概、至って冷たい扱いである。直接の見聞ではないという理由からのようだ。
 まして、「船行一年にして至るべし」なる話など、眼中にないような(例外的な学者もいるが)。

 が、本書を読むと、日本にとっても有史以前より、アボリジニの航海の規模の壮大なことを感じざるを得ない。
 南太平洋の島々の大半を、あるいはその海を知り尽くし、渡りきっていたのだ。
 場合によっては、まだ決定的な証拠は見つかっていないが、ラピタの人々は、南米大陸へも至り付いた可能性すら考えられるという。

ポリネシア・マイクロネシア・メラネシア」(「楽園マニア」内にある)には、「ポリネシアへの人々の移住と食用植物」の歴史(変遷)が纏められている(あるいは、「ラピタ人 - Wikipedia」を参照のこと)。

 特に、「3600年前ラピタ人がビズマーク諸島に出現する」として、以下の記述が興味深い(「ラピタ人(英: Lapita)は、人類史上初めて遠洋航海を実践し、太平洋の島々に住み着いたと思われる民族」):

 現在、ポリネシア人の祖先と考えられているラピタ人の遺跡が、この年代の地層から突如出現する。彼らは土器を作る技術など独自の文化を持ち、セイル・カヌーを自由に操るきわめて熟達した航海者だったと言われている。加えてこの地域で栽培されていた作物が、彼らの精力的な移住の旅を可能にし、またその結果としてポリネシアの隅々にまで、食用植物の分布を広げていくことになる。

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 中国の人々(あるいは現代のわれわれ)には伝説か何かの類の話だとしても、邪馬台国が成った当時においては、東南アジアはもちろん、ミクロネシア、さらには、遠く遥か南洋の島々の人々は、あるいは実際の交流の相手だったかもしれないし、交流があっても不思議ではない。

 倭の人々の源流が中国大陸か朝鮮半島か、台湾、あるいは北方、それとも東南アジアと、いろいろ考えられるが、一部は南洋の人々ということも、全く考えられないわけではないかもしれない。
 これからの研究が楽しみである。

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