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2013/07/31

星だけが知っている

 星々は何も語らず、ただ天にあり、地にある。
 天の底、地の果てにあって、輝きを放ち続けている。
 無辺大の凍て付く時空を光で満たそうと、懸命の、しかし儚い試みを続けている。
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 窓辺でボクは星たちを眺めている。
 手を差し伸べても、窓枠をほんの少し食み出すだけ。
 星の煌めきがボクの瞳を心を射抜いている。刺し貫いて、ボクを居たたまれないほどに戸惑わせる。

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2013/07/30

「点々は 宇宙を攪拌しないのです」

 我々は攪拌された宇宙の片隅に点在する点々なのかもしれない。

 星の一つ一つが、我々の誰彼の心の投影なのかもしれない。

 道端の石ころや空き缶にしても、誰かの眼差しに晒される。

 梅雨の束の間の日の光にジリジリと焼かれて、つい、本音を洩らしそうになる。

 もう、昔のことは忘れちまったとか、先のことなどどうでもいいだとか。

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2013/07/29

プルーストのショパン評価

マルセル・プルースト著の『失われた時を求めて 〈2〉 スワン家のほうへ 2』をゆっくりじっくり読み続けている。
 今のペースだと、この二巻目を今月中に読了するのは、難しそう。

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← 日曜日午後の激しい雨と風。ケーブルを伝う雨滴がやがて滴り落ちるのを眺めていた。

 まあ、慌てる必要など何もない。
 小説を読むと、プルーストの絵の好みが分かって、話の本筋には関係ないものの、これはこれで興味津々である。

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2013/07/28

天は豹変す

 今日は日曜日。何事も起きることはないと思えるような穏やかな朝を迎えた。
 前日の未明には、耳を劈くような凄まじい雷鳴で寝入っていた吾輩が飛び起きたなんて、信じられないような日和。
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→ 小さな畑だけど、二日に一度、これだけの収穫。

 まして、日曜の昼過ぎ、猛烈な雨が降って、庭の土砂がみんな、家ごと洗い流されるのでは、なんて感じるなんて、夢にも思えない午前。

 その時も、食後の仮眠の真っ最中だった。優雅?
 単に前夜、未明の帰宅で睡眠が十分とれていないから、寝足ししただけである。

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2013/07/27

石を拾う

 或る日、私は思い立って、庭の一角に石を積み始めた。
 積むためには、石が要る。大小など問わないでいいようなものの、どうせなら粒揃いのほうが見栄えがする。
 石そのものは、街中にどれだけでもありそうだった。

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← 「岩瀬ゆうこ」 (画像は、「PL02 岩瀬ゆうこキャラクター紹介鉄道むすめ~鉄道制服コレクション~」より) 「富山ライトレール富山港線の13駅中11駅において、鉄道むすめ巡り2ndが開催中である旨を伝えるポスターが各駅にて、7月27日から9月30日まで掲示されます」(「鉄道むすめ富山ライトレール駅ジャック計画、岩瀬ゆうこの特大POPも設置(H240727~H240930) 蜃気楼の如く」より)とのこと。 なお、画像と本文は何の関係もありません。

 道路を自転車で、歩いて通れば、路上に一個や二個は必ず目にする。
 言うまでもないが、人の敷地から拾うわけにはいかない。
 石の出所は、あるいは、誰かの家の庭から砂利石の一個など、転がり出たものだろうが、とにかく、道路上にあるものを拾う。

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2013/07/26

貰い手が増えました

 今日、久しぶりに草むしり。
 上下、作業着に着替えて本格的に。
 マスク着用、麦わら帽子、手には無論、作業用手袋。長靴なのは言うまでもない。

 昨年までは、春から秋口にかけて、雨の日以外はほぼ毎日、草むしり作業に携わった。
 大して広い庭や畑があるわけじゃないが、一日、二時間として二週間で一巡する。

 ようやく一回りした頃には、最初に手を付けたところが憎たらしいほど立派に草茫々となっている。
 で、また、二週間ほどを費やして一巡り、の繰り返しで、気が付くと秋口となっている。

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2013/07/25

待ちぼうけ

 あれはいつのことだったろう、何処かの喫茶店の隅っこで終日(ひもすがら) 窓の外を眺めていたことがあった。
 喫茶店の場所も覚えていない。オレの方が場所を指定したのか、それとも、 先方がその店だと言ってきたのか。
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 今思えば、妙に居心地のいい喫茶店だった。店内はほどよく薄暗い。それで いて、後ろのポケットに突っ込んでいた文庫本を読もうと思えば、読めなくも ない。

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2013/07/24

畑のある生活

 夏の夕立が、全部、まとまって襲来したかのような豪雨も、ようやく峠を越した。
 晴れ渡っているわけではないが、空模様は落ち着いている。
 たっぷりの雨のお蔭で、緑も濃くなり、地面も塗れて黒くなっている。

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← 二日乃至三日に一度、これくらいの収穫がある。

 空気が落ち着き払っているような。
 蝉の鳴き声が聞こえてくる。夏でもないはずなのに。どの世界にも、気の早い連中はいるものだ。
 そう、富山(北陸)はまだ梅雨明けが宣言されたわけではない。

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2013/07/23

灯台下暗し

 所要があって、仕事が暇なこともあり、早めに仕事を切り上げて帰宅。といっても、帰宅してみると、午前2時だったが。
 所要というのは、組合関係。雑用係りで、組合関係の印刷物を作るのが役目。届出の書面だったり、組合への新規加入者の告示書面だったり、互助会の規約書面、そして、今度は会社との労使交渉の文面。

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→ 昨夜から今日にかけて、断続的に(それぞれ短時間なのだが)猛烈な雨が。お蔭で、グラジオラスの花びらが随分と散ってしまった。

 会議で大よそのことは決めているのだが、いざ、活字での文面を書き連ねるとなると、組合関係の書面など作成した経験もなく、なかなか厄介だったりする。

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2013/07/22

息の長い文章を息長く読む

 プルーストの『失われた時を求めて』は、昨日からようやく第二巻へ。
 全14巻の予定だというから、先は長い。当初は年内読了と望みは高かったが、どうやら年内に第六巻までの出版予定らしい。
 何だか拍子抜け。まあ、大作をいろいろ読んできた小生、のんびりじっくり長旅を楽しもう。

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 前にも書いたが、小生は井上氏の訳(筑摩世界文学全集?)で読んだのが最初。一巻だけ読んだので、全体の(冒頭からの)3分の1ほどを読んだことになる。
 ついで、鈴木氏の訳で単行本3冊の要約本。これも、恐らくは全体の3分の1ほどか。

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2013/07/21

ろくでなしの論理

 今日は参議院の投票日である。
 今回ほど、投票へ行くのが気が進まないのも、初めてのような気がする。
 東京や大阪など大都市は、泡沫(?)候補も含め、各党からの立候補があって、それなりに選択の余地がありそうに見える(見えるだけかもしれないが)。
 が、富山などは、与党の自民党はともかく、他は共産党と宗教団体の党などお諸派で、要するに選択の余地が極めて狭い。
 本来なら(少なくとも嘗ては期待された)民主党が立候補させるべきだったが、それがない。
 負ける戦はしない?

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2013/07/20

この人の目を見よ!

 連日、猛暑が続いていたが、この数日は、低気圧の影響か、朝は21度前後、日中の最高気温は30度をやや上回る程度と、平年通りの気温の日々が続いている。
 今日にしても、こうした気温で、非常に過ごしやすい。

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→ アンドレア・マンテーニャ「聖セバスティアヌス(San Sebastiano) 」(1458-1470年頃 68×30cm | テンペラ・板 | ウィーン美術史美術館) この作品は、1910年にルーブル美術館に収められた。プルーストもこの画を見ていたものと思われる。小説の中では、ある登場人物を評するに際し、次のように描かれ、この絵が参照されているようだ。:「しかし私には、このゲルマントという名前を耳にしたとたん、わが家の友人の青い目の真ん中に、目に見えない針先で突かれたように小さな褐色の切れ目が穿たれ、それにたいして瞳の残りの部分から青い波が分泌されるのが見えた。瞼の隈は黒ずんで下にさがり、口元にはひとすじの無念の皺が寄った。ルグランダン氏はすぐに気をとり直して笑みをうかべたが、そのまなざしは身体に矢を打ちこまれた美男の殉教者の視線と同じで、いつまでも痛々しかった。(本書 p.282-3)」 ちなみに、美男の殉教者とは、聖セバスティアヌスのことである。描かれているセバスティアヌスの哀れな目を見よ! 「(画像は、「アンドレア・マンテーニャ-聖セバスティアヌス-(画像・壁紙) サルヴァスタイル美術館」より)

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2013/07/19

羽根のない扇風機から神風が吹く ? !

 帰郷して間もない頃、近所のお寺の住職に招かれ、しばしの時を過ごしたことがある。
 本堂の一角に卓球台があって、卓球に興じ、その後、居間(客間)でお茶を喫しつつ、しばしの歓談。
 お寺の中を案内してもらって、その意外に広いことに驚いたりした。

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← 「ダイソン・エアマルチプライヤー」 (画像は、「エアマルチプライアー - Wikipedia」より)

 お寺も何年か前、建て替えされ、大きく様変わりしたが、住職の住居のほうも、建て増しを繰り返し、随分と部屋数が増えている。
 読書(本)好きということもあり、二階の書庫には、数千冊、あるいはそれ以上の本がギッシリと詰め込まれていた。

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2013/07/18

健康幻想

 過日、健康診断を受けてきた。毎度のことながら、結果が心配である。
 今年も黄色信号が点滅するのだろうか。

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 ということで、昔書いたエッセイを載せてみる。
 健康幻想なんてやや高飛車に嘯いているけど、やっぱり健康な体のほうがいい。
 健全な体に健全な心が宿る…はずなのだし。

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2013/07/17

野菜好きだったらなー

 富山は未だ梅雨が明けていない。
 予報によると、あと数日は、いかにも梅雨を思わせる空模様の日が続くらしい。

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← キュウリ、ナス、ゴーヤ。中1日で、これだけの収穫。一昨日も。プチトマトが好調。結構、美味い。

 明けてほしいような、でも、たださえ暑い日が続く中、夏本番となったら、どれほど暑くなるのかと思うと、先延ばしを望むような、ややっこしい気分である。
 雑草も勢いづいているのだが、湿気が濃厚なせいだろうか、緑が濃い。雨上がりの時など、表面の埃が現れるからか、葉っぱが皮膚呼吸を復活したかのように、生き生きしている。

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2013/07/16

もうしばらくは扇風機で過ごします

 久しぶりに来客があって、茶の間へ招じ入れる。
 普段は、トランクス一丁という姿で、扇風機の風、網戸からの風で涼をとっているのだが、さすがにお客さんに小生の流儀を押し付けるわけにもいかず、エアコンを使った。

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→ 高校時代あるいは大学生の頃までは、冬ともなると、我が家の茶の間の窓からは、こんな光景が広がっていた。

 さすがに、涼風の気持ちいいこと。
 お客さんが帰った後も、使いたい誘惑に駆られたが、心を鬼にして、スイッチを切り、大急ぎで、閉め切ったドアや窓を全開にし、外の空気を招じ入れ、あるいは扇風機を回し始める。

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2013/07/15

扇風機をめぐるエトセトラ

 小生の部屋では扇風機が大活躍している。今の扇風機で、一体、何代(台)目になることやら。初めて扇風機を買ったのは、いつのことだったか、もう、そんなことも覚えていない。
 部屋にはエアコンがあるが、冷房に弱いのか、めったには使わない。それでも、この夏は極端に暑く、とうとうエアコンのお出ましを願うしかないようである。

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 数年前だったか、先代の扇風機がとうとう故障してしまった。今の扇風機は実はもらい物なのである。暑くて苦しいなんて騒いでいたら、優しい方がプレゼントしてくれたのだ。下手なことを言うものではないと思った。自分としては、そんな貧乏生活もエッセイなどに書いている。つまり、ネタにしているというわけなのだ。
 でも、それを可哀想と思ってしまわれる方もいる…、その点への配慮が足りなかったと反省している。

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2013/07/14

ゼロとレイの間

 過日、暇の徒然に、桜井 進著の『感動する!数学』を読んでいたら、数字の【0】は、日本語では、「ゼロ」と「レイ」と言い方と読み方がある、読み方での異同は、という話があった。

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→ 畑や庭のあちこちに、グラジオラスが花盛り。拙稿に「グラジオラスは恋の花(後編)」などがある。

グラジオラス恋の剣と天を突く    (や)

 事故での死者の数は、ゼロだが、レイとは云わない。
 ゼロは数学の0で皆無を意味する。

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2013/07/13

たそがれてきました

 過日のことである。我が家の近辺で大掛かりな電気工事があった。
 新しい電信柱が立ったりして、予てより何やら工事が続けられていた。
 それが、過日、とうとう最後の段階に至ったらしく、我が家の周辺一帯が道路封鎖され、さらに停電となった。
 夜中に始まり、朝方の、多分、六時頃まで。

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← 今朝未明から日中にかけての雨は、庭にも畑にも、そして紫陽花にも恵みの雨となった。

 折悪しく、小生はその日は出勤。
 いつも通り、車を使っての出勤。
 出かけるのは、工事が予告されてる日の朝なので、問題はないが、帰りが困る。

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2013/07/12

3年ぶりの猛暑なのか

 蒸し暑い日々が続いている。
 富山(北陸)は未だ梅雨は明けていないはず。
 なのに、35度を超える日もあるほどの暑さ。

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→ 畑の隅っこでは、今年もヒマワリやらグラジオラスなどが咲き誇ってくれている。

 昨年、日除け(サンシェード)を家の周りに数枚、張った。
 今年も、朝日の当たる東側に2枚、西日の当たる側に2枚。他にツタ風のサンシェードなども。

 緑のカーテンは、連作で不毛となったので、今年は畑に植えた。
 つまり、家の周りに張り巡らしたカーテンは全て、市売のもの、というわけである。

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2013/07/11

プルーストの絵の好み

 プルーストの「失われた時を求めて」を読み始めた。
 今日は、かの有名なマドレーヌの場面。

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← ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 《シャルトル大聖堂》 (1830年、1872年に加筆 油彩、カンヴァス 縦64 cm、横51.5 cm ルーブル美術館) 本書によると、「プルーストは1920年、ルーブル美術館が所蔵するフランス絵画の傑作8点を選ぶアンケートに答え、その1点にこの絵を挙げているとか。だが、小生も一瞥して感じたが、「この画面構成は見る者を一目で驚かせる。三本の木、敷石、家並みの見える「空地」が、聖堂の巨大な身廊と尖塔と対照を成している。尖塔を隠すと建造物は画面全体に溶け込むのだが、そうでなければ全体の均衡は安定しない。この点について1872年にコロー自身も批判しており、前景の岩塊の上に座る少年を描き加えることによって改善を試みている」とか。(画像は、「ジャン=バティスト・カミーユ・コローの《 シャルトル大聖堂 》-高品質複製画販売ならワールド・マスターピーシズ.JP」より。情報は、「《シャルトル大聖堂》 ルーヴル美術館 パリ」より)
 
 評論家としても有名なプルーストは、絵画への関心も深い。一方、映画などの映像への評価は、どうか。

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2013/07/10

いよいよ「失われた時を求めて」へ!

 昨日の日記に書いた事情もあって、昨日、中元をデパートに買いに行った
 そのうち、暑中見舞いの葉書も関係者を中心に送る

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→ 自作のプチトマト。初めて食べた。美味かった!

 そのことで、昨年、三回忌が済んだことを銘記してもらうことにする

 それはそれとして、今年後半は、プルーストの「失われた時を求めて」を読み通すことにしている。
 なので、過日、「1 スワン家のほうへ I 」(吉川 一義 訳 岩波文庫)を買い求め、昨日から読み始めた。
 読み始めたとなると、手元に第一巻しかないのは、何か心許ない。

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2013/07/09

三回忌は昨年、済みましたよ!

 過日、親戚のものから電話があった。
 かなり近い縁者だと思ってくれていい。
 電話の要件とは、「今年、三回忌だにか。どうするがけ?」と。

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 小生、一瞬、頭の中が真っ白になった。
 今年が三回忌の年に当たる? ええ? 何の準備もしてないぞ、やばい、急いで…云々。
 あまりに突然の話、しかも重要な話にパニック状態である。

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2013/07/08

暑さに耐えて極北の海へ

 うだるような暑さ。しかも、まだ富山(北陸)は梅雨が明けていない。
 我が家には古いがちゃんとエアコンはある。

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→ 土曜日、収穫を怠ったばかりに、今日は収穫が山盛り。キュウリは育ちすぎてしまって…。あちこちにお裾分け。自分は、今回は見合わせる。冷蔵庫に作り置きの浅漬けがたっぷりある。

 けれど、昨年もサンシェード(日除け)で暑さをしのいだように、あわよくば今年もエアコンは使わずに…と思っているが、どこまで耐えられるか分からない、自信がない。
 日中、組合の寄合があり、二時間ほどミーティング。会議の内容を纏め、原稿に起こすのが小生の役目だが、話の内容が多岐に渡り、ドンドン、飛んだりするから、メモもまともに取れるはずもなく、どう要点をまとめるか、頭が痛い。

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2013/07/07

ダーウィンあれこれ

 梅雨の終りを告げているような、不穏な雨模様の中、グウェン・ラヴェラ著の『ダ-ウィン家の人々 - ケンブリッジの思い出』を読み終えた。

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→ 富山点景 「 富山県富岩運河環水公園

 粗忽者の小生、ダーウィンの生きた当時の社会を活写してくれる本だと思い込んで、早まって買ってしまったが、当てが外れた。
 本書は、19世紀末のヴィクトリア朝の窮屈な建前社会を生きる、女性たちの暮らしぶりや息遣いが生き生きと書かれている。

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2013/07/06

失敗続きの一日

 もう、多少の日にちを経たので、日記に書いてもいいだろう。
 まあ、自分の失敗談だし。
 なぜか不思議と失敗が重なる日というのは、あるものだ。

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 その日、たとえば、釣銭でドジをした。
 夜、車が目的地に無事着いた。もう、夜半に近いか。
 お客さんが、「大きいおカネで大丈夫ですか?」と訊ねるので、この稼業に携わって十数年の小生、釣銭を切らしたことは一度もないのが自慢(?)の小生、「大丈夫ですよ」と答えた。

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2013/07/05

長谷川伸「瞼の母」の現代性

 二週間ほど前から読み始めていた、『ちくま文学の森 〈2〉 心洗われる話』を昨日、読了した。
 最後に読んだ、長谷川伸の「瞼の母」や宮本常一の「土佐源氏」は、実に久しぶりに接する作品で、懐かしさの念もあり、入れ込んで読んでしまった。

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← 長谷川 伸【著】「長谷川伸傑作選 瞼の母」(国書刊行会) 長谷川 伸は、「大衆文学の父と呼ばれ、池波正太郎や藤沢周平らの時代小説の原点とまでいわれる作家である。その戯曲や小説は、いまも大衆演劇の劇団が演じ続けている」。

幼くして母と生き別れ、父とも死別した無宿渡世人番場の忠太郎が、母を探し求め、再会し、再び別れるまでの物語」である。
(筋書きは、「映画瓦版」の中の「瞼の母」参照)

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2013/07/04

金鳥の夏 健診の夏

 昨日から不穏な空模様。カラ梅雨だったのが、昨日の未明から雨が降り出し、風も吹きまくった。
 畑や庭木には恵みの雨だったが、天は、大雑把というか、水不足? だったら、これでどうだとばかり、しとしとではなく、ザーという本降りの雨をもたらす。
 九州などのような集中豪雨ではないが。

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→ 今日の収穫。隔日ごとに、これだけ採れる。キュウリ3本だけ、浅漬け用に残し、あとは知り合いにあげた。

 不穏な空模様と書いたが、それまでわりとカラッとしていたのが、低気圧のせいで、急にジトッとし始めたこと、前日の穏やかな陽気とは打って変わって、風が出てきたこと、何より、空の雲が黒かったり、動きや変化が激しかったり、日中でも暗い雰囲気が漂ったりと、昔なら幽霊の登場しそうな舞台を思わせるからだ。

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2013/07/03

ガス燈から永山裕子へ

「華名橋と桜橋の間にあるこの照明灯は、大正2(1913)年、富山市で初めてのガス燈がこの地で点灯されたのを偲んで、昭和63年11月に再現して立てられたもの」。

 つまり、今年は、「富山市内で初めてのガス燈」が設置されて百周年に当たる年なのである。
 けれど、誰も話題にしない。

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← 華名橋と桜橋の間にある照明灯。往時のガス燈を偲んで設置された。

 話題の遡上に載せるほどの意味も意義もないということか。ちょっと淋しい。
 小生自身は、気が早いというか、昨年、「華明橋のたもとに立つガス燈」なる記事を書いている。

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2013/07/02

邪馬台国とラピタ人と

 久々にお墓を見てきた。
 そろそろ草茫々状態なのではと思われたから。
 観てみて想像以上に雑草が生い茂っていた。

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→ 畑の隅っこにスクスクと育ってきているヒマワリ。あまりに神々しくて、撮ったらハレーションを起こした。

 さもあらんと思って、除草剤を自転車に積んで向かったので、雑草に除草剤をたっぷりと撒いた。
 お墓のそばで除草剤で、雑草とはいえ、殺生をするのも憚られるが、雑草に埋もれたお墓では、世間の目が怖い。

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2013/07/01

私という千切れ雲

 遠い昔、私とは一個の他人だと、誰かが喝破したのだった。
 が、20世紀になって、一個の他人であろうと何だろうと、あらゆる輪郭付けの試みの一切を呆気なく放棄せざるをえないほどに、<私>は見えなくなっている。誰かが言ったように、私とは、せいぜいのところ雲なのだ。下手すると霧のようにやがては日の下では雲散霧消を余儀なくされている散漫なる点の粒子のたまさかの凝集に過ぎないのかもしれない。
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 私の中の得体の知れない盲目的な<意志>が、懸命に散逸しバラけていく霧の薄明を、せめて雲ほどには、そう、遠目には、一個の塊であるかのように、必死な思いで私の片鱗や欠片たちを掻き集めているのだ。
 そう、私とは、懸命に私を私と叫びたい、悲鳴に他ならないのだ。

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