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2013/06/19

路地のある町を

 富山へ帰郷して5年と数か月になる。
 最初の3年は、家の都合で、病院やデイサービスなどを車や自転車で駆け回るだけだった。
 外に出るというと、代行だったり新聞配達だったりで、決まったルートを巡るだけ。

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 小生は、高校を卒業後、富山を離れたので、富山県どころか富山市についても、高校生が(自転車などで)巡れる程度のところしか、訪ねたことはない。
 あとは、せいぜい遠足や友人との小旅行、家族との旅行くらいのものか。

 仙台や東京からお盆や正月などに帰省した折、親戚の者らの気遣いで、車で市内や県内各地をドライブしたことも、あるにはある。
 しかし、自分の意思で単独か誰かと一緒であれ、県内(市内)を観光したことは皆無に近い。
 情けないほど、我が富山のことを知らない。
 この2年余りは、タクシーの仕事で市内はもとより県内各地を巡るが、滞在などは論外なので、それはただ通り過ぎただけに等しい。
 富山市内をあちこち巡っても、常に持参しているデジカメの活躍の機会がまるでない。
 郊外などへ行けば、それなりの風景に恵まれることはあるが、東京のように、何処へ行っても何か奇抜だったり、個性に溢れたような建築物に遭遇する、なんてことはない…に等しい。

 立山連峰の雄姿を市街地から撮影することはある。
 親水運河公園など、それなりに風光明媚なスポットがないこともない。

 けれど、何か物足りない。
 物凄く物足りない。
 富山市内(に限らないが)は、実に綺麗に整備されている、あるいは整備されつつある。
 市街地など、至る所で並木があるし、花で飾られている。清掃も行き届いている。
 道路も比較的広いし、走りやすい。
 でも、退屈を感じさせる。
 奥行きを感じさせない。
 街並みに面白みを感じさせないのだ。

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 町は当局や市民らの努力で綺麗にできる。
 しかし、難しい…乃至は不可能なのは、町に感じる、ある種の奥行きのようなものを感じさせること、そういった街並みの雰囲気を醸し出すことだろう。
 云うまでもなく、富山市は、富山大空襲、すなはち、1945年(昭和20年)8月1日から8月2日にかけてのアメリカ軍が富山県富山市に対して行った空襲のため、「当時の市街地の99.5%を焼失し、広島、長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった」のだ。

 お蔭で、焼け残った建物を数え上げたほうが、ずっと簡単で、 「富山県庁、NHK富山放送局、富山大和、海電ビル(現在の富山電気ビルデイング)、興銀ビル、立山醤油味噌、神通中学校(現在の富山中部高校)など」なのである。
 このことが、少なくとも富山市の歴史的な奥行きを相当に薄いものにさせてしまったと考えられる。
 歴史そのものが消えるはずもないが、歴史を証し立てする建造物の有無は、やはり、町を歩いていても、歩く味わいや情緒の深みに影響していると思われる。

 富山市には路地裏といえるスポットが少ない。
 あっても、戦後の混乱期以降のものが、それも小規模のものが数か所あるくらいのものだ。
 戦後以降のものでも、残っているだけでもよしとしないといけない。
 それらさえも、駅に近いところを中心に、2年後の新幹線開通に関わって、消え去る運命にある。

路地とは、密集市街地に形成される狭い道のこと。露地(屋根のある建物以外全般の地面)に派生したもので、家屋の間に便宜的に設けられた通路である。主に歩行者やそれに順ずる者の交通に供され、自動車の交通はえてして考慮されない」という。

 路地については、後日、改めて考えてみるとして、要は、意外性のある、そこには何が潜んでいるか分からない、人の心で云えば翳りであり、マイナーな領分なのである。
 何もかもが明瞭で、見通しが効いて、安全が担保されていて、地図に簡単に表示されるような領域というのは、通勤や通学、日常の暮らしには便利で安心であっても、時に非日常の癒しを求めがちな人間には、息の詰まるような空間なのである。

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 今さら路地など何を時代錯誤な、という意見もあろう。
 が、敢えて、時代遅れの一角があってもいいのではないか。
 何処かのビル(など)の地下に、それこそレトロの極のような路地街を作り、ごちゃごちゃと乱雑に入り組んだ街路にして、探す楽しみ、歩く楽しみ、彷徨う楽しみ、出合いがあるかのような雰囲気のある、横丁の町を作ってみたら面白いのではなかろうか。

 最後にもう一度、綺麗な町も素晴らしいけど、猥雑な一角も魅力的だよね。


参照:
とやまの裏路地酒場を歩く
新湊 中町路地編 ロケ候補地紹介 富山県ロケーションオフィス」や「アール・タチバナ廣德館」など(いずれも、「富山県ロケーションオフィス」より)

(最後を除いて、残りの2つの画像は、拙稿「ベリーなる美神の舞いを見てきたぞ」より)

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