嵐の前の静けさ
今週末には、シャーロット・ブロンテ/著『ジェーン・エア 』 (大久保康雄/訳 新潮文庫)を上下巻共に読了しちゃいそうである。
40年以上、間をおいての再読。
→ ジョン・コンスタブル『ハムステッド・ヒースの木立、日没』(ホームページ:「静岡県立美術館」) 拙稿「絵画は自然科学的実践 ? ! …コンスタブル(前篇)」参照。
小生にとっては、大事な大事な作品だけに、敢えて再読は避けてきた。
読んで改めて傑作であることを確認できたが、読み終えると(まだ百頁ほど残っているが)、長年の懸案をこなしてしまったようで、妙な空白感を感じてしまう。
こういった傑作を読み終えるとなると、一抹の淋しさのような感を覚えてしまう。祭りの後の侘しさのようなもの?
まあ、近々、さらなる大作に挑戦するので、嵐の前の静けさならぬ、束の間の小休止のようなもの…と思いたい。
← (イングランドのデヴォン州)。ヒースと呼ばれる地形の一例 「ヒース(heath)は、本来はイギリス北部、アイルランドなどにおける荒地のことで、独特の背の低い植物が群生する。また、そのような植物のことを指してそう呼ぶ場合もあり、秋に花を咲かせる野草。農耕に向かない痩せた土地、泥炭地によく生えるといわれる」とか。(情報及び画像は、「ヒース - Wikipedia」より) 「ヒース」については、「イギリス生活エッセー(1) ヒース」を参照。
小生は、『ジェーン・エア』もだが、『嵐が丘』も含め、舞台としてヒースの丘をつい思ってしまう。
そうはいっても、実際に観たことも、その場に立ち尽くしたことがあるわけでもないが、何か茫漠とした荒野の原を想ってしまうのである。
それが嵩じて…というわけではないが、「ヒースの丘」なる長々とした小文も書いたことがある。
→ 昨日の日記で、「アイビーフェンス(月桂樹)を張った」と書いたが、肝心の画像を載せていなかった。西日に正対するように張ってみたのだが、ちょっと物足りないか。ま、所詮は、真夏の西日に対しては、気休めである。
さすがに全文は転記できない。「ヒースの丘」から、末尾の一節だけ転記する:
ヒースの丘。咲く花は可憐だったりするけれど、一旦、風が吹き始めると、丘にあるものは、息も苦しいほどの寒さと非情さを覚えるという。世界には、たった一つの花がそれぞれに咲き誇っていたりする。だけど、咲いている土壌は、「農耕に適さない土地の広がり」となりつつあるのかもしれない。
もう一度、ヒースの花言葉を思い返してみよう。「博愛、柔軟、孤独、寂莫、不和」…。そこには希望と理想と非情なる現実の全てが示唆されているようではないか。
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