未来志向の論理
が、思ってもいなかった、強固な同盟関係にあるはずの(実は、予てより安倍晋三首相の右翼体質に懸念を抱いていた)アメリカから懸念を表明され、一気にトーンダウンした。
近隣諸国である中国や韓国に対しては突っ張れても、アメリカには腰砕けだってことが露骨に分かった。
信念からの認識なのなら、アメリカの大統領や議会、有識者らに堂々と反論すればいいのに、それもできない。
いや、ボク、そんなつもりじゃなかったの、ゴメンねと、大慌てで軌道修正を図っている。
見苦しいこと極まりない。
野田政権の末期の尖閣国有化の頃から中韓を煽る政治手法が露骨になってきた。
野田氏もだが、タカ派体質の政治家は、追い詰められると苦し紛れな手段に出るし、逆に支持率が高いと、思い上がり、勘違いして性急に好ましい世論形成に走ろうとする。
それにしても、橋下徹共同代表の発言や認識もだが、いわゆる、未来志向の関係という施政や論理ほど、詭弁に写るものはない。
中国や韓国のように、侵略され植民地支配を被った国々が、広い度量で、未来志向を謳うのなら、それはそれで識見だろう。
← 同じ木に茂る葉っぱを拡大してみた。とても、特徴的。
しかし、中韓などに対して加害国である日本の指導的政治家がノウノウと未来志向を銘打つと、空々しい。
過去の中韓などに対する非道に目を背け、さすがになかったものにはできないものの、可能な限り温和な過去の歴史、議論の余地のある不確定な過去として、ずっと遠くへ追いやってしまう。
苛めの問題は今も苛烈である。苛める側と苛められる側が必ずある。
苛めた側は、あれは遊びだったと、冗談に紛らわそうとする。
場合によっては、すっかり忘れ去る。
苛められた側は、その屈辱や苦しみを決して忘れない。
それでも、<未来志向>で、前向きに生きたいと思い、大きな度量で苛めた奴らを許し、いい関係、ウインウインの関係を築こうとする。
苛めた側も、それはいいとばかりに、未来志向で行こうと応じる。
ところが、苛めた側の本音は、油断すると、ちょっとしたことでポロッと表に出る。あれは遊びだったんだよねー、とか言って、被害者側の肩などポンと叩いてみたり。
苛められた側は、たまらない。古傷が抉られた思いがする。
せっかく、大きな度量で、強い自制の念で未来志向を志したのに、あいつときたら、あれは仕方なかったんだ、苛めじゃなく遊びだったんだよね、と、殊更に被害者側の神経を逆なでする。
植民地支配でもなければ、侵略でもない、ただの防衛の一端、従軍慰安婦も必要悪で仕方なかった…。
→ 苧環(おだまき)に咲く花は、実に美しい。誰が我が家の庭にこの植物を植えたのか。
一般市井の人がどういう認識を持とうと、それは勝手次第だろう。
しかし、政治的指導者となると、話は違う。
国民に選ばれたトップリーダーが、過去の悲惨な歴史的事実を、隠蔽や糊塗、少なくとも軽微なエピソードに貶めるとするなら、そんなリーダーを選んだ日本という国自体が、中韓のみならずアメリカのみならず、国際社会の信任をウイなってしまう。
国益をどれほど損なうか、その自覚のない政治家に国政を委ねるなど論外だろう。
問われるのは、もはや、リーダーではなく(安倍晋三や橋下徹や高市早苗といった奴らは病膏肓に入っているから付ける薬はなかろう)、選ぶ国民の意識だろう。
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