orgy から なぜかブランショへ
父母の特殊な男女関係の在りようが筆者に強く影響し、男女の、人間の生の、性の在り方に独特の考えを抱くようになった。
本書で「乱交」と訳されているのは、言うまでもないが、原書では「orgy」である。
「乱飲乱舞の酒宴,底ぬけ騒ぎ,乱行パーティー.」などと訳すしかない言葉。
複数形だと、「[複数形で] (古代ギリシャ・ローマで秘密に行なわれた)酒神祭 《Bacchus または Dionysus の秘儀の祭り》.」ということになる。
イタリアか何処かで多数の男女がトマトを投げつけ合う祭りがある(テレビで毎年のようにその狂乱の光景が報じられる)。
これが一歩、間違えれば(?)、orgy(乱交)に至るのだろう。
秩序や論理へのシビアーさは、日本の比ではない欧米。宗教においても、正義や絶対、神、真などへの拘りは、大概の日本人には、欠片さえ感じ取れない。
だからこそ、かの共同代表のトンチンカンなコメントが出てくるのだろう。
本人は、よかれと思っての言動だが、性について(も)、欧米における在りように関し、相当な予備的知識や理解がないと、思い付きに過ぎず、非常識極まりない論外の言動に過ぎないと見做されてしまう。
日本語には、ぴったり嵌る言葉や概念、観念、行為はない…のだろう。
「古事記」などに似たような場面を探そうとするが、似て非なる世界だと思うしかない。
神(という絶対的存在)なき世界においては、ありえない、理解不能の世界なのだろう。
「orgy(乱交)」を志向する精神には、凄まじい狂乱の情念と論理が貫かれている。
何処までもノンの弁証法なのだろう。
← バーゴ・パートリッジ著『乱交の文化史』(山本 規雄【訳】 作品社) 性的狂騒饗宴の世界をひたすら夢想した。
さて、今日はまた、つい、本を衝動買いしてしまった。
実は、プルーストの「失われた時を求めて」を読むつもりで、本を物色に行ったはずなのだが、近所の書店にあるはずもなく、せっかくなので何か適当な本がないかと探した挙句、予定外の買い物をしてしまった。
というわけで(?)、先ほどからは、数十年ぶりにブランショの本を読み始めてしまった。
それは、モーリス・ブランショ 著の『来るべき書物 』である。
脈絡など、きっとない。ただただ、愉しみのために読書する。
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