魯庵や諭吉のはずが綺堂に
庭仕事などをすると、汗だくになる。その汗が、なかなか引かなくなってきた。それだけ陽気がよくなってきたのだろうが。
仕方なく、汗が滲む体のまま、リクライニングチェアーに体を埋め、読書を少々。
← 福沢 諭吉【著】/富田 正文【校訂】『福翁自伝 (新訂(第56刷)』(岩波文庫)
内田 魯庵著の『新編 思い出す人々』を昨夜というか、真夜中過ぎに読了。
本書と以前、読んだ田山花袋著の『東京の三十年』とを重ねると、明治などの文学者らの様子が分かる。
昨日未明から、福沢諭吉著の『福翁自伝』を読み始めた。
→ 川瀬巴水『馬込の月』(小生が東京在住時代、最後に居住した地域は古くは大きく言うと「馬込」なので、ちょっと感懐深く見入ってしまう)。 拙稿「川瀬巴水…回顧的その心性の謎床し」参照。
福澤馴染みの酒屋「津國屋」が三田に現存することを、この稿を書いていて、初めて知った。かの地に十年も暮らしていたのに、気づいてない。
思えば、慶応大学の三田キャンパスも間近にあったのだが、中に入れたのは、後年、タクシーの営業でのこと。
地元だったはずの、三田や高輪、白金などをもっと徘徊しておけばよかったと、今にして後悔している。
それはそれとして、本書くらいは一度は読んでおかないと。
昔、『学問のすすめ』を読み齧った幽かな記憶があるが、学問という言葉が小生には敷居が高く、途中でとん挫したような…。
でも、有名なエピソードもあって、さすがに『福翁自伝』は面白い。
← 田山 花袋【作】『東京の三十年』(岩波文庫) 拙稿「田山花袋『東京の三十年』の周辺」参照。
田山花袋著の『東京の三十年』に言及していて、ふと、やはり江戸(や明治)を回想した随筆を読んだことがあったなと思い出されてきた。
それは、岡本綺堂著の『江戸の思い出』である。
これも好著なので、是非、ここでも触れておきたい。
というより、小生は「岡本綺堂『半七捕物帳』がマイブーム」や、さらに昨年の拙稿として「「半七」再び!」などの拙稿があるように、綺堂のファンなのである。
まあ、小生が東京在住時代、約10年ほどを暮した、芝高輪に綺堂が生まれた、ということも、勝手に縁を感じて、綺堂のことが気になるのかもしれない。
→ 岡本綺堂著『江戸の思い出 綺堂随筆』(河出文庫 河出書房新社)
拙稿「岡本綺堂『江戸の思い出』あれこれ」の中で、次のように書いている:
綺堂に言わせると、江戸時代からの名残のある東京は日清戦争の頃に大きく様変わりしたという。
それまでは、「明治の初期には所謂文明開化の風が吹きまくって、鉄道が敷かれ、瓦斯灯がひかり、洋服や洋傘やトンビが流行しても、詮ずるにそれは形容ばかりの進化であって、その鉄道にのる人、瓦斯灯に照される人、トンビをきる人、その大多数はやはり江戸時代からはみ出してきた人たち」が生き暮らしていたわけである。
そして72年(明治5年)生まれの綺堂は、「そういう人達にはぐくまれ、そういう人達に教えられて生長した」のである。だからこそ、1923年9月1日に発生した関東大震災の時に東京など京浜地帯は壊滅的打撃を受けたのだが、その際、江戸情緒の残っていた東京が消えたことに危機感と寂しさを覚え、自覚的に江戸の思い出を書き残そうとしたのだろう。
かの大震災の時には、綺堂自身も「元園町の家財蔵書など全焼」する災禍に見舞われている。
← 内田 魯庵【著】/紅野 敏郎【編】『新編 思い出す人々』(岩波文庫)
一方、拙稿「「半七」再び!」では、以下のように書いている:
富山は贔屓目に見ても、歴史や文化、伝統の厚みが薄い。
歴史書や文献を少々読んだだけでは、生意気なことは言えるはずもないが、街中を歩いても、歴史を伝統を嗅ぎ取るのは至難である。
むしろ、宮本輝などの作家のように、作家らが富山の町や村や道を、川沿いの土手を、どこかの店を訪ね接することで、ドラマを作っていくしかないような気がする。
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