珍しく廊下など拭き掃除
但し、庭掃除は、竹箒で折々やっている。
庭など外回りを掃除するのは、外聞を気にして、のような気がするが、外仕事の流れで、落ち葉などが目立つと掃除せざるを得ないのだ。
→ 庭のあちこちにムラサキツユクサが群生している。いよいよツユクサの季節の到来だ。
今日にしても、午前中、目覚めてトイレに行ったら、窓から差し込む光がまぶしい。
眩しいだけならまだしも、その光が廊下などの床面の惨状を露骨なまでに曝け出す。
トイレや玄関の刷りカラス窓は、朝日が当たる。
その光で、床の埃をこれでもかというほどに浮かび上がらせるのだ。
しかーし、それくらいでめげる小生ではない。
厳しい現実に敢えて目を背けるのが牢固たる習いとなっている。
← 福沢 諭吉【著】/富田 正文【校訂】『福翁自伝 (新訂(第56刷)』(岩波文庫) 一昨日、未明に読了。グローバリズムの激流に呑まれ、溺れそうな日本。喘いででも浮上し泳げるようになるのか。混沌とした世相、手探りの光明探し。今の時代、諭吉の頃以上の混迷かもしれない。必読の書。もっと早く…若い頃に読んでおくべき本だった。自分の中に、彼に対する<偏見>があって、手が出なかったのだが…。
実は、洗車用に使っていた雑巾(もとは手拭い)が擦り切れてボロボロになっていた。
捨てるしかない。が、ただ捨てるのは勿体ないので、最後の奉仕とばかりに、廊下などの拭き掃除に使ったわけである。
家の中の掃除といても、玄関からトイレ回り、廊下、居間(茶の間)、台所だけである。
肝心の(一番、綿埃の溜まっている)寝室は、すっぽかした。汚すぎて、本格的にやらないと間に合わないからだ。
→ 庭の隅っこに、これまた謎の植物が生え、花が咲いていた。君の名は?
もとは手拭だった雑巾と、つい先日、これまた磨り減って穴が開いてしまったトランクスも一緒に活躍してもらった。
正確に云うと、洗濯後、ネットから出してみたら、余分な穴が開いていることに気づき、痛恨の極みながら、廃棄処分とすることに既に決めていた。
が、これも、ただ捨てるのは勿体ないので、これも、元トランクスの雑巾として、吹き掃除という最後の奉仕を務めてもらったのである。
← バーゴ・パートリッジ著『乱交の文化史』(山本 規雄【訳】 作品社) 今日から本書を読む。別に「安倍晋三首相の歴史認識についての発言や、さらには日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦正当化発言など、世情を賑わせている」から、本書を読んで、性の文化を根底から見直してみようと思った、なんて殊勝な理由じゃなく、あくまで好奇心で読む。ただ、一旦は手を伸ばした泉鏡花ではなく、本書を選んだのは、やはり、何処かしら日本人の性風俗を考えてみたいという思いがなかったとは云えない気がする。
シーツ類を洗濯する間の掃除なので、正味、数十分の拭き掃除。
しかし、ポンコツの体には結構、しんどい作業だった。
汗びっしょり。
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