桜の木には死の臭いが漂っている…
小生は、「「桜」に絡むエッセイの数々」にて、過去数年の間に桜を巡って書いてきたエッセイの数々を示している。
桜は、梅や橘ほどではないが、それなりに古くから(一部で)愛でられてきたことも確かのようだ。
西行桜など、西行の謡った桜の歌は、知悉されてもいる。
醍醐の花見が典型だが、戦国の武将も愛でたが、特に江戸時代のある時期から、特に明治の半ば頃からソメイヨシノへの偏愛志向が顕著になってきた。
江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と謡ったのは有名だが、その桜はどんな種類だったのだろう。ソメイヨシノではなく、ヤマザクラであり、散り際を愛でるという美意識を称揚してはいなかったはずだ(多分)。
云うまでもないことだが、野暮な小生はどうしても触れておきたい。
それは、「ソメイヨシノ」は、「それぞれ日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の園芸品種である。ソメイヨシノはほぼ全てクローンである」という、あまりに歪(いびつ)な事実である。
ソメイヨシノは、「日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種」なのである。
桜というと、入学や卒業シーズンとの連想は、いかにもありがちである。
小生もそうしたシーズンでの桜の木の光景は少なからずある。
特に大学に入学した四月の17日だったか、瑞巌寺を訪れた際は、絶好のタイミングで満開の桜が出迎えてくれて感激したものである。
桜への過度の偏愛。今はその理由を辿る余裕はないが、小生などは、桜はともかく、ソメイヨシノ一辺倒の志向には違和感がある。
「明治時代に新渡戸稲造が著した『武士道』では「武士道(シヴァリー)とは日本の象徴たる桜の花のようなもの」と冒頭に記している」という。
武士道を美徳とした旧日本軍では、潔く散る桜が自己犠牲のシンボルとして多用された(特攻機桜花など)。たとえば「花(華)と散る」という言葉は戦死や殉職の暗喩である。歩兵の本領、あゝ紅の血は燃ゆる、同期の桜など、歌詞にそうした表現を反映した軍歌も数多く作曲され、戦中非常に良く歌われた。
小生は、桜が幕末の頃から武と結び付けられ、明治になってさらに脚光を浴びせられた歴史的事実に絡み、以前、以下のように書いたことがある(「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」(04/07/05)より)。
咲くときはパッと咲き、満開になったと思ったら、その盛りの時期も短く、あっという間に潔く散ってしまう桜の花びら。そこに(結果的にではあろうが、命を粗末にすることに繋がってしまう軍国主義の脈絡での)武に必要な潔さを読み取ってきたのだった。
やがて明治以降は、学校の庭などに桜の木を植えていくようになった。それはつまりは日本人に桜の美(開花の美より散る美学)と共に桜の観念を植え付ける狙いがあったようである。その極が、特攻隊のシンボルとしての桜のイメージの活用であろう。「桜花」という名の人間爆弾でもあった特攻機を思い出される方もいるのではなかろうか。
桜は、平和の象徴であってほしいが、少なくとも歴史を鑑みる限り、特に明治以降は、中央集権や軍国主義の象徴だったという血塗られた側面を忘れるわけにはいかない。
「ソメイヨシノはほぼ全てクローンである」という事実は、一部の偏狭な連中が万世一系とか日本単一民族幻想を抱く、その象徴でもある気がする。
その上で、花を愛でるのなら、それはそれで一つの美学なのだろう。
小生は、桜ならソメイヨシノより、そもそも「吉野の桜」と云えばこれだったヤマザクラやオオヤマザクラ、カワヅザクラ(河津桜)などのほうが、じっくり花の開花を愛でられるし、好きである。
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