「桜」に絡むエッセイの数々
「立夏…幻想の未来」(2005.05.06)
「春の花が終わり、草木が緑一色となって」というと、その典型は桜なのだろうが、その桜、多くは葉桜となっている。桜の花の咲く頃、散る頃も素晴らしいが、葉桜もなんとなく清々しい気がする。茶髪(桃色髪か)に染めていた、あるいは来客があって、余所行きに装っていた髪の毛を、物見高いだけのお客さんも帰ったし、夏も近付いて自然に温(ぬる)くなったお湯で埃と共に洗い流し、その洗い髪を、今は、他のことに興味を奪われ、ただ通り過ぎていく表で、爽やかな風にゆっくりゆったり靡かせている…。
寛いだ、他人行儀ではない、内向きの、ほっとした表情を覗かせてくれている…。葉桜を見ると、そんな気がするのだ。緑の葉っぱに覆われて、枝葉の下に木陰を作ってくれさえもする。桜並木の真価が目立つことなく、これから晩秋に至るまで、樹下を通り過ぎる人々に与え続けてくれるのだ。
「葉桜の季節も過ぎ去って」(2006/05/20)
桜の木々がすっかり葉桜となり、その葉っぱも手の平よりも大きいくらいで、昨晩など風が強い時は、葉っぱどころか茎まで諸共にと、潔く、それとも潔くないから茎まで道連れに引き千切れてしまったようで、路上の方々で葉桜の残骸が見受けられた。
桜並木も、誰しも今更、見上げながら通り過ぎるわけではないが、陽光が射し込む時は、大きく育った葉っぱが連なり重なって樹下に立派な木下闇(このしたやみ こしたやみ)を我々に恵んでくれている。
小生は都心をぼんやりうろついていて、今の時期の桜並木こそが好きである。こっそり、好きだよと呟いてみる…なんてことはしないけれど。
「花篝は闇を深くする」(2006/04/04)
花の命が短いのか長いのか。いずれにしても美しいとか、綺麗とかと愛でられる時間は短い。
だからこそ、せめて短い花の命を少しでも堪能しようと、あれこれと工夫する。
といっても、花の枝を折らないようにして、桜の木が折られた枝の部分から感染症に冒されるのを防ぐとか、桜の木の根元付近で茣蓙を敷くのを止めて、桜の木の根っこが痛むのを少しでも回避しようとか、そんな優しさを示そうというのでは、毛頭ない。
あくまで咲いている花の時を享楽しようという、健気な楽しみを、もっと濃厚な愉悦の時にしようとあの手この手を繰り出すというのに留まる。
「匂いの力…貴族のかほり」(2006/06/24)
『今昔物語集』には、ある貴族の家で雑役をしていた少女が疫病にかかって重体に陥った時の話が載っている。
もう助からないという状態と分かると、屋敷の主人である貴族は、少女を道に捨ててくるように命じる。死ぬと分かっている者は屋敷内にとどめないのが当時の常識であり、道端でひとりで死を迎えるのが「犬」の運命だったのである。主人の命令を知った少女は、「隣の家の犬がいつも私に咬みつこうとします。人気のないところに捨てられれば食い殺されてしまうでしょう。あの犬の来ないところに出してください」と必死で哀願する。それを聞いて主人は「毎日、必ず誰かを見に行かせる」と約束して、道に捨てさせた。だが人をやったのは、数日してからのこと。少女は、犬に食い違えて死んでいたのだった。
「坂口安吾著『桜の森の満開の下』」(04/07/05)
桜の木には死の臭いが漂っている…。そうした観念は、古来よりあったのだろうが、明治以降、特に昭和の前半までは強かったようである。
それは言うまでもなく、桜が幕末の頃から武と結び付けられたからであった。咲くときはパッと咲き、満開になったと思ったら、その盛りの時期も短く、あっという間に潔く散ってしまう桜の花びら。そこに(結果的にではあろうが、命を粗末にすることに繋がってしまう軍国主義の脈絡での)武に必要な潔さを読み取ってきたのだった。
やがて明治以降は、学校の庭などに桜の木を植えていくようになった。それはつまりは日本人に桜の美(開花の美より散る美学)と共に桜の観念を植え付ける狙いがあったようである。その極が、特攻隊のシンボルとしての桜のイメージの活用であろう。「桜花」という名の人間爆弾でもあった特攻機を思い出される方もいるのではなかろうか。
「若葉雨…桜若葉」(2005/05/09)
高速道路の両脇には、特に山間の道の場合が多いのだが、緑の山々が延々と続いてくれる。晴れの日は、それはそれで緑色の天然の屏風は素晴らしい。
が、雨に降られてみると、これまた落ち着き払った、若葉であるにも関わらず、深い緑の海の世界を現出してくれるのである。
緑の海を分け入る。地上世界にあることを忘れ、青葉若葉の自在に多彩に変幻する緑の妙味をとことん味合わせてくれるのだ。
「広重の『隅田堤 闇夜の桜』を江戸時代の版木で」(2009/07/26)
ある民家(大森家)で広重の版木が発見され、その版木に基づき、浮世絵を復元する試みがテーマ。
「ジョージ·ワシントンの桜の木の逸話」(2010/04/08)
ワシントン大統領のかの有名な話は、実は真っ赤な嘘、作り事なのだ…
「読書拾遺…樹の花にて」(2006/05/25)
あと一時間ほどで仕事も終わろうという、今朝の未明、「日本一遅く咲く桜として有名」だという「千島桜」の話題がラジオから聴こえて来た。
小生には(多分)初耳の桜。桜の好きな人、旅の好きな人なら知っているのだろうけど。
[富山の桜は、今週末くらいがピーク。桜にちなんで幾つかのエッセイを綴ってきた。そのダイジェスト集である。画像は、2日のもの。仕事が暇過ぎて、松川べりの桜の様子を撮ってみた。]
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