久しぶりに雄山神社に詣でる
過日、仕事がらみだが、富山は立山町にある雄山神社へ参詣する機会を得た。
雄山神社といっても、立山頂上の「峰本社」や 芦峅寺にある「中宮祈願殿」もあるので、岩峅寺にある「雄山神社」の「前立社壇 」と断っておかないといけない。
小生が詣でた日は、春季例大祭(大祭前夜祭)に向けての準備の日だったようだ。
「旧称は立山権現・雄山権現。式内社、越中国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社」である。
祭神は、伊邪那岐神 (いざなぎのかみ)天手力雄神 (あめのたぢからおのかみ)の2柱だが、「神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった」という。
以下、詳しくは、「日本三霊山 霊峰立山 延喜式内社・旧国幣小社 雄山神社」や「雄山神社 - Wikipedia」などを参照願いたい。
なかなかに厳しい歴史を経て今日があることが分かる。
情けなくも小生自身は、立山頂上の「峰本社」どころか、 芦峅寺にある「中宮祈願殿」すら参ったことがない。
ただ、幼少のころから、幾度となく参っており、地元にある神社より参拝の回数ははるかに多い。
小生にとって神社と云うと、地元の神社ではなく、この雄山神社なのである。
ちなみに、車にも雄山神社のお守り札がぶら下がっている。
その雄山神社だが、子供の頃から、ほぼ毎年のように、正月の参詣を欠かさずに来たのは、やはりお袋の影響だろう。
そうでなかったら、とっくに参詣の足は絶えていたに違いない。
何かの折に誰かに誘われでもしないと足は向かなかったはずである。
お袋の影響というと何かエピソードでもありそうだが、そうではない。
小生は学生時代を仙台で過ごし、その後、東京で30年ほど暮らした。
学生時代もだが、その後のフリーター時代やサラリーマン時代、さらにはタクシードライバーになってからも、お盆と正月、五月の連休の際には帰省していた。
夏は、親戚の者らとお袋らと共にドライブすることが多かったが、正月三が日のうちの一日は、お袋と雄山神社へ初詣に行くのが恒例となっていた。
富山の雪が本格的に降り出すのは正月も明けた一月の半ばころからか。
雪は路肩にあっても、そんなには積もっていない。
なので、車で現地へ向かうのに、それほど雪道に難儀したという記憶もない。
お袋が雄山神社で何を祈ったのか、多くを語ることはなかったが、一家安泰や家族の健康などは当然として、小生の結婚をも祈願したと、何時だったか小さく漏らしたことがあった。
いつになっても運に恵まれない小生にしびれを切らしての繰り言のように、小生には聞こえた。
小生にしても、いつかは連れ合いと一緒に参りたいと思ってきたが、とうとう母の健在中には叶わなかった。
そのうち母は歩行困難となり、ケアハウスにお世話になる体となってしまい、やがてこの世の人ではなくなった。
雄山神社への参拝も途絶えて十年近くになる。
上記した雄山神社のお札は、母と一緒に初詣した最後の折に母が買い求め、小生に与えたものだった。
車に安置したほうが、車に乗るたび嫌でも(?)目に付くので、家に置いておくよりご利益があろうと思うのだが、生憎、運には恵まれていない。
未だに天国の両親を安心させられないでいる、親不孝な小生なのである。
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