医者は誰もが総合診療医たるべし
小生は、NHKのテレビ番組「総合診療医 ドクターG」が好きである。
これは、「病名推理エンターテインメント番組」と銘打たれていて、「病名を探り当てるまでの謎解きの面白さをスタジオで展開する」といった趣向。
→ Luke Fildes (1843–1927)が描いた医師 (画像は、「医師 - Wikipedia」より)
上場を訴える患者の様子をビデオで流し(無論、役者による演技)、その患者の訴えや症状、様子を観察しつつ、患者の病因を探り出す。
司会者やゲストらにも推理させるが、主に研修医3人が呼ばれていて、総合診療医w意味するドクターGとのカンファレンス形式で番組は進行する。
詳しくは、下記(「番組情報 - 総合診療医 ドクターG - NHK」より):
総合診療医が病名を探り当てるまでの謎解きの面白さをスタジオで展開する、新感覚!病名推理エンターテインメント番組。総合診療医“ドクターG”が、誰にでも思い当たるような症状で、見逃しがちな難しい病気をひっさげてスタジオに登場。実際にあった症例をもとに再構成したビデオで出題。全国各地で奮闘する選りすぐりの若き研修医たちが“カンファレンス(症例検討会)”で鑑別診断を行う。台本なしのガチンコで病名を探るリアル感、ドキュメント感いっぱいの展開にスタジオはヒートアップ! 症例から得た“ドクターG”の教訓も熱きメッセージとしてお届けする。医師たちの真剣勝負を通して、人体の不思議や医療の奥深さをご堪能下さい。総合診療医は問診や身体診察を通して、症状だけでなく、過去の病歴、家族関係、食生活、仕事や趣味などから、患者を総合的に診断する。専門化が進みすぎた医療界を抜本的に変革するために生まれた新しい医師像。なお、“ドクターG”は、General Medicine(総合診療)からとった番組上の造語。
「誰にでも思い当たるような症状で、見逃しがちな難しい病気」ということで、日ごろ、体には(も)自信がない小生、身につまされる思いで毎回、見ている。
毎回と書いたが、今回は第四シリーズのようだ。
前期が終わったとき、残念に感じていただけに、新たなシリーズが始まり、素直に喜んでいる。
さて、小生、(これは小生だけの考えとは思えないが)前々から、病院(特に町の中心となる大手の病因)の受付に不満を覚えていた。
それは、患者の立場で病院を訪ねる際、そもそも自分が何の診療科で受診すればいいか、必ずしも明確とは限らないということ。
歯痛とか眼とか耳とか、怪我とか、比較的歴然たるものもあるが、症状はあっても、その原因は那辺にあるのか、素人の患者に分かるはずもない(少なくとも、迷う場合がある)。
内科なのか外科なのか、その段階でもう迷う。
で、この科なのかなと当てずっぽうで行って、下手すると盥回し状態になったりする。
なので、小生は、病院には総合受付(診療の前の診断の受付)があって、その部屋で、総合診断医が患者がどの科目の診察・診断を受けるのが適当なのかを判断してもらう、そういうシステムがあっていいと思ってきた。
← 医師と患者が描かれた古代ギリシアの壺(紀元前480~470年頃のもの) (画像は、「医師 - Wikipedia」より)
そこへテレビで「番組情報 - 総合診療医 ドクターG - NHK」の放映である。嬉しくないわけがない
ところが、世の中は皮肉で、ある意味、逆行に近い動きがすでに始まっている。
といっても、何も病院が総合診断の発想を持たないというわけではない。
また、研修医についても、いずれは個別の専門分野を志向するにしても、教育研修の段階においては、総合的統一的な観点からの診断の重要性を学ぶようであってほしいし、そんなことは小生がどうこう言うまでもないことなのだろう。
が、小生が逆行にも似た動きといった、やや厳しい見方を示すのは、この動きである。
それは、大病院は地域の診療センターとしての機能を高め、初診者は、まずは地域の(町の)個人病院にて受診すべき、という動きである。
診療センターたる大病院は、そうした町の病因の紹介状がないと、受け付けないわけではないが、初診料が高くなるという。
つまり、敷居が高くなっているわけである。
となると、症状を抱えた患者は、まずは自分の症状から察せられる、何かの科目の町医者を訪ねることになる。
問題は、そもそも素人たる我々患者は、どの科目の専門病院を訪ねたらいいのか、分かるとは限らない、場合によっては見当違いの医院を訪ねる可能性も無きにしも非ずというわけである。
肩凝りや腰痛にしても、鍼灸院なのか、あるいはもっと重篤な病因の個別具体的な表れの一つに過ぎない可能性もある。
となると、町の専門病院こそが、総合診断医としての高度な技能や見識、経験を持っていないと困ることになる。
→ Edvard Munch(1863 - 1944)「病める子(The Sick Child)」. (1885-86. Oil on canvas. 119.5 x 118.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway) (画像は、「Edvard Munch - Olga's Gallery」より) 本作など、ムンクについては、「エドヴァルト・ムンク」参照のこと。
それこそ、歯医者さんであろうと、眼科医であろうと、鍼灸院であろうと、来院する患者の症状の本当の源を的確に見抜く力量を誰しも持っていてくれないと困るわけである。
基本、近年(前々から?)云われているように、「かかりつけ医(主治医)」を持っていればそれで済むわけだが、それは御金持ちだから可能な話に思えてならない。つまり、現実性が感じられない。
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コメント
最後の、かかりつけ医を持つのがお金持ちだから、の意味がわからない。
要は長くそこに居住していれば、特定のお医者にかかるから、かかりつけ医ができるのでは?
うちなんか、僕が産まれる前からかかりつけ医いましたよ。
母を入院させる時も人脈があるから、電話一本で、院長に御宅で預かってくれよ、と。で、入院、特養ホームがあくまでそこにいられた。
あと医師は謙虚でないと。その医師は、薬が悪く、僕が嘔吐してしまったら、きちんとすみませんでした、と謝った。
患者の話を聞きながら、他人のカルテ見ているなんて論外。
投稿: oki | 2013/04/10 22:30
okiさん
「要は長くそこに居住していれば、特定のお医者にかかるから、かかりつけ医ができるのでは?」
まったく、仰せのとおり。
でも、それは、やはり、かなり環境に恵まれている。
理屈は全くその通りだけど、貧乏だと医者(病院)というのは、敷居が高い。
体に不調・不具合があっても、なかなか医者には掛からない。
よほど切羽詰ってから、仕方なく。
予防的に病院に行くってのは、なかなかの話。
要するに、かかりつけ医なんて、貧乏人には夢の話なのです。
投稿: やいっち | 2013/04/12 03:10
逆に貧乏すぎて、生活保護受けていると医療費はタダなんですよね、変な話。
今は三割負担ですか、かかりつけ医が顔なじみになって、お金はある時でいいよ、分割払いでもいいよ、なんて言ってくれたらなんて夢想します。クレジットでもリボ払いなんてあるじゃないですか、金利はかかるけど。
投稿: oki | 2013/04/12 23:02
okiさん
「今は三割負担ですか、かかりつけ医が顔なじみになって、お金はある時でいいよ、分割払いでもいいよ、なんて言ってくれたらなんて夢想します」!
夢のような話ですね。
現実味は(少なくとも小生の場合)まるでありません。
先述したように、生活保護費を受給するほどには、生活は困窮していませんが、かなり切迫しているのは事実。
体調を崩しても、医者にかかるとしても、よほど切羽詰ってからになるでしょうね。
投稿: やいっち | 2013/04/14 21:32
そうなんですよね、精神科は特例があって、僕の場合はタダなんですが、窓口で、先月分だけでも払っていただけませんか、なんて会話を聞きます。精神科は基本一割ですが、それでも払えない人がいると。
因みに僕は20前からかかっているから、障害年金貰えますが、国から金貰うの嫌いなんで、申請しません。
投稿: oki | 2013/04/14 23:06
関係ないけど、ついでに、世界記憶遺産になった山本作兵衞の展覧会東京タワーで見て来ました。
リンチがあったり、喧嘩があったり、入浴は男女混浴だったりー。
山本は昭和の炭坑は、写真機があるからと描かなかったそうですね。
投稿: oki | 2013/04/15 22:49
okiさん
これですね:
世界記憶遺産の炭坑絵師 山本作兵衛展 東京タワー55周年 東京タワー TokyoTower オフィシャルホームページ
http://www.tokyotower.co.jp/55/index_05.html
小生も以前、混浴など彼の世界を紹介したことがあります:
山本作兵衛の筑豊炭鉱画と五木『青春の門』と(前編)
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2011/07/post-a884.html
東京はいいなー。情報が豊富で。羨ましい限りです。
投稿: やいっち | 2013/04/16 21:11