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2013/04/24

風雨の中でも気になるのは

 今日は未明来の雨。しかも、午後遅めの頃まで風が吹き荒れていた。
 気がかりなのは、我が陋屋もだが、過日、植えたばかりの野菜の苗や苗木たち。

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← 7本の三重カナメたち。一昨日の雄姿。今日の風雨に耐えてくれた。

 ナスやキュウリなどの苗も、この数日の低温で育ちが遅く弱弱しいが、なかでも7本の三重カナメは、強風に吹き倒されていないか、今朝、未明に帰宅した際も、真っ先に調べに行った。
 幸い、植えて間もなく設置した木柵が功を奏してか、玄関先の自転車が吹き倒されるような強風にも、柳に風の喩えのごとく耐えていた。

 こんな雨だったので、畑や庭仕事はできない……はずなのだが、表に出るとつい庭木などを弄りたくなり、気が付くとジャケットも羽織らず、帽子だけかぶっているだけなのに、一時間余りも外仕事してしまった。

 特に、この頃、気になるのは、椿である。
 ドンドン芽が開花し、開いた花は次々に落花と相成る。
 椿の木の周辺には、落下した赤紫や淡いピンク色の花たちが、散在していて、まるで杯盤狼籍のようだ。
 哀れでもあり、雨が降っていると尚、惨めなような気になってくる。

 落花した花たちを掃き寄せて何処かに捨てるのも惜しいので、つい先日、植えたバラや照手桃、あるいはミカンの木の根元などに寄せ集めておいた。
 少しは滋養になるだろうか。無駄?

 雨の中、水仙の花の季節はほぼ終わりを告げているようで、ほとんど萎れ項垂れているが、チューリップや、さらにはいよいよムラサキツユクサが庭のあちこちで咲き始めていた。
 よくよく見て回ったら、ジャーマンアイリスも一輪だけ、風雨の中だというのに咲いていた。
 弱弱しげな花びらが雨と風に凍え縮こまっている。
 何だって、こんな日に咲き始めたのだろう。

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→ 荒れた畑(ドクダミの野)の隅っこに、謎の植物の葉っぱが群生し始めた。一体、何だ?

 読書のほうは相変わらず、淡々と。
 小島信夫の『私の作家遍歴1・黄金の女達』を読了し、今は、『私の作家遍歴2・最後の講義』を読み始めている。
「1」は、「ラフカディオ・ハーンが東洋の女性に見出した謎。その謎は「日本という国」の謎へと展開し、それに導かれるように、作家は世界文学を遍歴する。出色の長篇評論の開始を告げる巻」(「Amazon.co.jp」より)ということで、ハーンの周辺のみならず、同時代、あるいは先駆ける時代の作家たちを渉猟して倦むことなき探求が続いた。

「2」も、ハーンの周辺…のはずなのだが、小島信夫は、探求の手をどこまでも広げ、本巻は、気がつけばトルストイ論となっている。
「近代化の途にある“日本”の謎を、来日した外国人作家の視線で問い直そうとする著者の試みは、ついに巨人・トルストイとの格闘に至る…。異色の長篇評論、いよいよ佳境へ」(「Amazon.co.jp」より)なのである。
 さすがに読み応えがあるが、中でも、ゴーリキーによるトルストイ伝が関心を掻き立てた。

 ゴーリキイ著『追憶  全二冊』 (湯浅 芳子 訳 岩波文庫 品切れ) があるようだが品切れだとか。
 小生は、作家の本は読んでも、文學については、伝記の類は評論も含め、基本的に読まない。
 読むとしたら、その伝記(や評伝)の書き手が読むに値する作家の場合だけ。
 つまり、その作家の本を読みたいから読む、それがたまたま伝記(や評論)だったに過ぎないわけである。

 その意味で、ゴーリキーのトルストイ(やチェーホフ)論(伝)なら読んで外れになろうはずがない。
 品切れだが、出版社の説明によると、本書は、「文豪ゴーリキイ(一八六八―一九三六)がかつて親しく交わった友人達――トルストイ夫妻,チェーホフ,レーニン,コロレンコらの思い出を繊細な筆致で生き生きと描写した回想録.「人間」の芸術家といわれるゴーリキイの暖かい愛情がどの一篇にも溢れ出ている.すぐれた文学作品のみならず同時代の思想史でもある」だとか。

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← 水仙の花の終焉の時期にフーガのように別の花が開花し始めている。これも水仙の一種なのか?

 ネットで調べたら、「マルクス主義同志会 Blog Site-ゴーリキー著『追憶』 2007/12/16(日)」なるサイトが見つかった。

「岩波文庫上下二冊に収められた『追憶』は、ソビエト国立出版所一九三一年版ゴーリキー全集の第二二巻に収められた「追憶」のうちから、訳者の湯浅芳子氏が日本でも知られたロシアの文豪や革命家の人物記を選び収録したものである。描かれている人々は、レフ・トルストイ、チェーホフ、レオニード・アンドレーエフ(以上が文庫版上)、レーニン、クラーシン、トルストイ夫人、コロレンコ、カローニン・ベトロパーヴロスキイ(同下)の八人」で、「ゴーリキーの人間に対する深い洞察力を感じさせずにおかないのは、特にレフ・トルストイの「追憶」である。ゴーリキーは、この矛盾に満ちた偉大な文豪を虚飾したり冷笑したりすることなく、真実の姿において描き出す。彼は、様々な場面でのトルストイの言葉やちょっとした振舞い、何気ない仕草、視線など、何一つ見逃さず、その意味を読み解こうとする(あるいは、そのまま書き記して読者の判断に委ねようとする)」という。

 さらには、「我々は、トルストイの息遣いや人を射抜くような鋭い視線さえ感じる。我々は、ゴーリキーによってトルストイの前に引き出され、否応なしにこの年老いていささか皮肉っぽくなった文豪と対話させられているような気分になる。ロシアのムジーク(百姓)について、当時のロシアの様々な作家や詩人・その作品について、神と芸術について、トルストイに〝尋問〟され、下手に意見を述べると、そっぽを向かれて屋敷から放り出されるような気になる」とも。
 こうなると、ますます読みたくなる!

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