小島信夫著の『私の作家遍歴』をこれから読むぞ
寒い。今年はいつまでも寒い。
もう四月も十日なのに。例年、こうだったのか、それとも今年は異常なのか。
冬の終りころからの寒暖の変化の激しさが、今も続いている。
実際、昨日の日中はわりと穏やかだったのだ。
→ 小島信夫著の『私の作家遍歴』(全三巻 潮出版社)長らく摺りガラスの古い書棚の奥に鎮座していた謎の書。今日から一か月ほどを費やして読んでいくつもり。五月の連休明けまでには読了するか…な。
昨日、張り切って、というわけじゃないが、普段着のままで、その気はなかったのに、つい表の畑の整地作業をやったもので、体の節々や腰が痛い。
今日の時折雨も降る曇天を口実に、畑や庭などの作業は一時間もしないで、あとは家に閉じこもっていた。
尤も、小雨を突いて、冬から夏へ向けてのタイヤ交換などに出かけたが。
さて、昨日の日記にも書いたように、安岡章太郎著の『流離譚』(新潮社)を読了した。
美麗な箱入りの、上下巻ある浩瀚な本で900頁もあり、しかも、読みづらい漢字が多いのに、ルビが振ってある数がやたらと少なく、家族関係の複雑さもあり()、読み通すのに相当、時間を要するかなと思っていたら、やはり、文体も含め慣れも生じてくるわけで、二週間ほどで、最後は一気といった感じで読めた。
読んで理解するのに難儀な理由に、名前を含めての読みの困難さもあるが、そもそも家系(家族など一族の関係)の入り組んだ複雑さがある。
懇切な家系図が別紙で付いているが、眩暈が起きそうなほど複雑。t血筋を絶やさないため、分家を幾つも作り、そうした同族ともいえる一族の中での結婚が多かったので、よけい、錯綜して見えるのだろう。
彼の先祖の、天誅組や勤王党などでの活躍や臥薪嘗胆の苦労ぶりに、仕事をしていても、彼らの行く末などが気になってならなかった。
明治維新は、数少ない英雄らの活躍で成ったわけではないことは、島崎藤村の『夜明け前』を読み進めながらも書いた小文で縷々、書き綴ったが、本作でも改めて痛感させられた。
維新などという言葉を弄ぶ輩に読ませたいものだ。
← チンドンコンクールのあった4月の5,6,7日。その6(土)、駅の構内で某チームがチンドンやっていた。「源のますのすし」、買ってくださいねーって。
さて、美麗な箱入りの、上下巻ある浩瀚な本である『流離譚』二冊を買った頃のことについては、昨日の日記に多少のことは書いたが、実はその隣にもっと謎な本が三冊、ずっと並んでいた。
安岡の『流離譚』も当時の自分には関心の必ずしも及ばない分野の本だったはずだが、謎の本は自分がなぜに所蔵しているかもっと謎だった。
しかも、書き手は当時(も今も)必ずしもファンではなかったはずの小島信夫の本。
同じく箱入りで全三巻である。
買ったのは、昭和55年の晩秋か56年早々。当時は、サラリーマンになる前。
アルバイト生には高嶺の花のはずの本。
しかし、田舎の古い摺りガラスの書棚の奥に鎮座しているのには、何か訳がある…と思いつつも、敢えて手を出す気にはなれないできた。
今回、隣の『流離譚』上下巻を読んだついで、というわけではないが、読了し、次に何を読むか思案しつつ、ふと、手にしてみた。
手にし、ほんの少しパラパラ捲って、即座にこの『流離譚』よりさらに浩瀚な本を所蔵し、しかも、ちゃんと読んでいた理由が分かった。
その本と云うのは、小島信夫著の『私の作家遍歴』(全三巻 潮出版社)である。
本書にはあとがきがあり、それを流し読みして、一読氷解だった。
本書は、小泉八雲を巡る本なのだ。
小生は、高校生の頃から好きだった作家・小泉八雲に、学生時代、さらには曲がりなりにも社会人になってからも、ますます八雲の世界に魅了されていった。
彼の文庫本はもとより、著作集を二種類も買いそろえたりもした。
今も、明治維新前後の本を読むのがなぜか好きだが、自分では、島崎藤村の影響かなと思っていた(我がご先祖様の昔の暮らしぶりを知る便(よすが)などないので、勝手に藤村や漱石に思い入れしていた)。
だが、その前に小泉八雲への思い入れがあったのだった。
八雲の本を新しい本が出るたび出るたび買い求めては繰り返し読んでいた。
→ 用水路の向こう側にある荒れた畑に植えた芝桜やエニシダたち。今のところ、順調に育っているようだ。昨日の土を耕す作業でヘトヘト。土が固まってしまっているのだ。今日も腰が痛い。
昭和55年前後には八雲のブームがあったのか。
それとも出版不況の始まる前で、本が出せば売れる状態だったのか。
思えば、埴谷雄高の本も、何か出るたび買い求めていて、単行本や著作集はもとより、ついには死後に刊行され出した全集も揃えてしまい、埴谷の本は全部合わせると50冊をくだらないはずである。
一人の作家の本で一番、多いのはドストエフスキーか埴谷か漱石、八雲のいずれかのはず。
続きつつあるのは藤村かマルケスかもしれない。
というわけで、八雲の著作を想いつつ、全三巻で1500頁ある本書を一か月程度を費やして読むことに心は決まったのである。
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