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2013/03/12

月を巡る断章

 月の引力はどうやら我々が想像する以上に地球に住む自然や、勿論我々自身にも影響を与えているようである。
 潮の干満は誰でも知っていよう。場所によっては干満の差が数メートルとなることもある。
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→ 松林桂月「春宵花影」 (「花の宴」や「春宵花影・春宵十話」など参照)

 ところで、そうした月の引力は動物のみに止まらず植物にも強い影響を及ぼしている。毛細管現象で水分(栄養分)を大地から吸い取る植物達だが、月の引力の強いときは、いつも以上にたっぷりと栄養を吸収することができるわけだ。だから野菜などの収穫に際しても、月の位置を十分に把握しておくことが大切だと昔から言い伝えられてきたのだ(『月世界大全』ダイアナ・ブルートン著、鏡リュウジ訳、青土社刊)。

 また、動物たちへの月の恵みについても語るべき多くのことがある。

 が、その前に月の大地への影響に触れておこう。

 小生など、月が大地に影響するなど想像だにできなかったものだが、考えてみれば、海面をあれほどに引き寄せる力をもつ月なのだ、大地に対しても影響がないはずがなかったのだ。
 過日、車中でラジオを聞いていたら、地震と月の引力との関係について誰かがコメントしていた。実は、地震の最後の引き金を引くのは地震だという研究が最近、発表されたらしいのである。少しずつの地盤のズレがやがては地震の発生となるのだが、その最後の切っ掛けを与える一つが月の引力の作用だったというのである。

 さて、動物について見てみよう。

 考えてみれば人の体も筋肉や神経、外皮などの動物系と、血管系(心臓)や腸管などの植物系に大別されるが、その基本的な体の成り立ちからして、月の引力が強いときには血などが頭のほうに引っ張られる傾向が強まるわけだ(三木成夫の『胎児の世界』などの諸著を参照のこと)。
 満月を見て何か心穏やかならざる感覚が働くのは、中空に浮かぶ月という光景の持つ何処までも不可思議な相貌のせいもあるのだろうが、実は、巨大な姿となって我々の天に鎮座する時、月が実際に我々の血を頭に上らせることの直接であるのかもしれない。

 そういえばドイツロマン派の巨匠フリードリッヒの描いた作品の一つに『月を眺める二人の男』がある。

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← フリードリッヒ作「月を眺める二人の男」 (画像は、「ヴァーチャル絵画館 西洋美術史=時代と様式解説 主題解説=ギリシャ神話・聖書の物語・文学・象徴」より) (フリードリッヒについては、「フリードリッヒ…雲海の最中の旅を我は行く」や「森の中のフリードリヒ」など参照。)

 ドイツの深い森の中に迷い込んだかのような旅人が、自分達の立場も何かかも忘れて何処か朧な月に眺め入っている作品である。人に依れば、あるいはベートーベンのピアノソナタ『月光』の世界と合致する世界があると言う。
 小生には必ずしもそうは思えない。ベートーベンの音楽の背景にドイツの奥深い森の世界がないわけではないだろうが、『月光』についていえば、何処かの森に囲まれた都会大きな館の窓から煌々たる月の光を眺めている感じがするのだ。ただ、幻想性豊かな点で共通性があるだろうとは思える(この際、『月光』という曲名がニックネームに過ぎないなんて野暮は云うまい!)。

 ノヴァーリスの小説『青い花』も主人公が夢に見た花、幻想の彼方、憧憬の彼方にしかない理想を描いた作品だったが、やはり典型的なロマン派的世界と言えるだろう。作品の詳細は忘れてしまったが、何処かの場面に月の照る中を彷徨う光景が描かれていても不思議はないような気がする。
 完璧な満月が天に浮かぶとき、その光景のいかにもありうべからざる相貌と共に、実際に血が脳天に過剰に満ち、血が騒ぎ、狼に変身しないまでも、何か遠い昔に置き忘れてきた獣の本能の目覚めの予感があったり、あるいは遠い昔に神から伝えられた真の言葉が今にも思い出せそうなもどかしい感じに襲われても不思議はないのである。

 そういえばベートーベンの『月光』にしても静かなピアノソナタで、あくまで柔らかなピアノタッチの連続なのに、何故か切迫した思い、すぐに何かを始めなければ、思いのたけを打ち明けなければという焦燥感に駆られるというのも、そうした月の魔力をベートーベンが知り尽くしていたからなのだろうか。

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→ ある宵、我が家の庭先より月影を撮ってみた。(画像は、「秋宵一刻値千金」より) 

 ヨーロッパの多くの言語には名詞について、女性、男性が截然と決定されている。その中でドイツ語や北欧の言語に関して言うと、太陽は女性名詞であり、月が男性名詞なのである。その説明として、昔、小生が聞いたのは、ヨーロッパは緯度が高く、太陽が強烈な陽光を恵むことは少なく、むしろ、白夜という薄明の彼方にしか太陽がなく、弱々しいから女性名詞となったのだ。

 それに対し、夜の深い闇の天に往々にして照る月は、特に満月だったりすると、闇の底の深さに比してその光の眩さに、男性名詞となる謂れがあるのだ、と聞いた。
 その真偽は小生は知らない。


                 (「月と星を巡る断章 3」(01/06/08)より)

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コメント

緯度のせいなのかどうなのか、
ヨーロッパの月って、低いですよね。
月に梯子を架けるなんて発想は、
日本にはないと思うのです。
で、よじ登って三日月に座ったりします。
日本より低くて近いのでしょう。

投稿: 青梗菜 | 2013/03/12 12:52

青梗菜さん

北欧も含めヨーロッパへは行ったことがない。月影はどのように見えるのか…。
欧米だと、月に腰掛ける女性(男性という図柄はない?)は、珍しくない。
月が低くて、ちょっと梯子を掛けたら登れる…かのよう?
「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーンIt’s Only A Paper Moon」なんて曲の発想も、欧米ならではなのでしょうか:
http://www.magictrain.biz/wp/?p=1318

但し、ヨーロッパなどについては、太陽は緯度との関係が考慮に入るべきでしょうが、逆に月は、緯度とは関係なく、逆に月影が(日中の陽光以上に)冴え冴えとするもののようです(そういう話をよく見聞きします)。

月が低い位置にあるというより、上って腰かけられるほどに、日本よりははるかに確固として夜空に鎮座しているのかもしれないですね。
いずれにしろ、いつか機会があったら、欧米の月の姿を確かめ実感してみたいものです。

投稿: やいっち | 2013/03/13 21:29

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