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2013/02/26

藤村『夜明け前』余談:水無神社

 一昨日のブログ記事「島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(12)」には、以下の記述がある:

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→ 時折、休憩する場所に、百舌鳥(?)がいた。その前日の日曜日、我が家の鳥餌果実であるミカンの木から小生の気配を感じてか、慌てて飛び立つ百舌鳥を見かけた。そうか、百舌鳥が我が家のミカンを食い散らしていたのか。

 半蔵は妻のお民も含めて家族を馬篭に残し、一人、飛騨の水無神社 に赴いていた。四年の歳月の中で二度ほど帰郷しただけだし、その間、お民が一度、飛騨を訪ねたくらいである。
 (中略)
 飛騨において半蔵は空しく過ごしたばかりではない。何しろ、飛騨の位山 (くらいやま)は平安朝の昔より、山は位山とされ、歌枕にさえなるほどの山だった。その近くに水無神社 はあるのだ

位山 - Wikipedia」によると、その「位山(くらいやま)は、飛騨高地の中央に位置する岐阜県高山市の標高1,529mの山 」で、「現在でも天皇即位に際して位山のイチイの笏が献上されている。古来より霊山とし崇められている。新古今和歌集で源通親(土御門内大臣)が、「位山あとをたづねてのぼれども 子を思ふ道になほ迷ひぬる」と詠んでいる。天孫降臨、天の岩戸、両面宿儺などの伝説のある山である 」。

 実はうっかり(?)読み過ごしてしまっていたが、「飛騨一宮水無神社 - Wikipedia」によると、配神は「大己貴命、三穗津姫命、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命」であることはともかくとして、「岐阜県北部、高山市の市街地南方に鎮座する。西南方の位山(くらいやま、標高1,529m)を神体山として祀る神社で、飛騨国の鎮守として朝廷から崇敬された」だという点には、富山県人である小生として、見過ごせないものがある。

 改めて、「位山 - Wikipedia」によると、「位山(くらいやま)は、飛騨高地の中央に位置する岐阜県高山市の標高1,529mの山。 飛騨北部と南部の境界であり宮川と飛騨川の分水界である位山分水嶺の山。 飛騨一宮水無神社の神体である」のだ。
 この宮川は神通川の上流にある川で、位山は神通川の水源の山でもある。

「明治7年から10年までは、島崎藤村の父で『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった島崎正樹が宮司を務めていた」わけで、「位山(くらいやま、標高1,529m)を神体山として祀る神社で、飛騨国の鎮守として朝廷から崇敬された」その「飛騨一宮水無神社」の宮司を務めていたわけである。
 
 小生は、島崎藤村の小説を読み漁ってきた。今、敢えて四か月ほども費やして読んでいる『夜明け前』だが、通算で3度目である。
 東京在住30年の中で、そのうち10年ほどを高輪に住み暮らした。その高輪の近くに藤村が一時、教鞭をとった(さらにトラブルをも起こした)明治学院がある(その明治学院には、個人的な思い入れがある)。
 高輪白金三田麻布界隈は、歩き回った地で、藤村ゆかりの地であることに縁を感じてしまった(勝手な思い入れに過ぎないのは言うまでもない)。

 それに加えて藤村の父君の呑んだり流したりした水が、宮川を伝い、立山連峰を伝い、神通川を伝って、遥か下流の小生の居住する地に流れているのか……と、ちょっと無理筋な空想を逞しくしたのである。
 こじつけでもいい、何か関係性を持ちたいわけである。
 
 ところでこれは文字通りの偶然だろうが、今日、図書館から借り出してきた本の末尾に、以下のくだりがあった。

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← 上平 恒【著】『水とはなにか―ミクロに見たそのふるまい (新装版)』(講談社ブルーバックス)

 旧満州にあった日本軍の七三一部隊が一五歳以下の中国人労働者や七歳から一四歳の中。国人児童、生後一か月および六か月の赤ん坊、生後わずか三日の新生児を使って、指の凍傷の予防治療を名目の人体実験を行ったなどと書いたうえで、以下の引用を行っている:
「むかしから気にかかっている近代日本文学史上の問題のひとつとして、ひとりの文学者が世にたつために、身近のものに強いた犠牲のふかさということがある。『破戒』の完成のためん、妻を夜盲症にし、三人の子供をつぎつぎと死なせた島崎藤村の場合なぞ典型的だが……おのが芸術を成り立たせるために、身近のものに強いた犠牲のふかさを、私は忘れることができない。果して芸術の名において、骨肉に犠牲を強いることは許されるか、芸術・文学はそれほど大したものなのか……」(平野謙、昭和文学私論)
 その上で、上平氏は、「芸術・文学を学問・科学に、身近なものを人間におきかえた上で、平野謙の意見に全面的に賛成である」と結語している。

 平野謙の論も真っ当なら、上平の意見も否の余地がないと思う。

 ここでは藤村の不始末の是非をどうこう論じるつもりはない。
 そうした業を背負う作家がいるということは、弁えたうえで、それでも(あるいはだからこそなのか)、業の深さを感じさせる藤村の文学に惹かれる自分が居るということは認めざるを得ない。

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