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2013/02/22

そば屋あれこれ

 東京の神田「やぶ」、並木藪蕎麦、池之端藪蕎麦の3店を称して「藪御三家」というらしい。
 小生は初耳である。
 さらに、蕎麦というと、「藪(やぶ)」「砂場」「更科」が「江戸三大蕎麦」と呼ばれていることも、初耳だった。

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→ 「かんだやぶそば。戦災を受けなかった一角に古い日本建築が残る。(2013年2月に焼失)」 (画像は、「藪 (蕎麦屋) - Wikipedia」より)  

 これらのことは、過日、老舗そば屋「かんだやぶそば」が火事に見舞われ、全国的に大きく報道された、ラジオでも関連する話題として語られていたのを聞きかじったもの。

 テレビでは、ご主人らしい方が、カメラの前で大事な店を燃やしてしまい、申し訳ないとお詫びしていた、哀れな姿が目に焼き付いている。
 店の建物は、東京都選定歴史的建造物に指定されたとかで、立派な風格のあるもの。
 街並みに独特の歴史を感じさせる佇まいを醸していたとか。

 ところで、前々から、なぜに「藪(蕎麦)」なのか、疑問には思っていたが、さりとて敢えて調べてみることもなかった。
 ネットで調べてみたら、「藪・砂場・更科」なるサイトが上位に浮上してきた。

神田やぶそばの起こりは「団子坂藪蕎麦」というお店を明治13年に堀田七兵衛が譲り受けたことから始まります。が、この名称も俗称で本当は「蔦屋」というのが正式な屋号だったそうです。団子坂のあたりは竹「やぶ」が多かったので、いつしか「やぶそば」となったのだそうな」とか。
 なーんだ、というべきか、へえー、なのか分からないが、一応は納得。

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← 「虎ノ門砂場・1923年建築の木造三階建て」 (画像は、「砂場 (蕎麦屋) - Wikipedia」より)

「砂場」は、「日本最古の麺類店発祥の地の石碑があるのは、大阪市西区新町南公園」とのこと。
大坂起源を裏付けるものに、1757年発行の資料があるのだそうだが、当時の大坂新町は江戸の吉原、京都の島原と並んで有名な遊郭があったところ。そこに「砂場」が登場するという。当時そのあたりは大阪城築城の際に資材置き場としたところで、地元の人たちが自然と「砂場」と呼んでいたらしい」!
 これまた、なーんだ、である。
 分かったような分からないような。

 では、「更科」は?
「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」こそ、現在の「更科」の総本家であ」り、「ここの蕎麦は太兵衛の領主であった信州の保科家との関係で、大名屋敷に出入りし、その当時から高級なそば屋としての地位を確立していたらしい。特に四代目の時に将軍家御用達となったことから、以後は「御前そば」の名前も使われるようになった。これは上品な一番粉を使用し、真っ白なそば=さらしなそばを確立する」とか。
「上品な一番粉を使用し、真っ白なそば=さらしなそば!
 さもあらんと、納得すべきか。

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→ 「永坂更科布屋太兵衛。店舗(会社組織)として更科系列の本家筋」 (画像は、「更科 (蕎麦屋) - Wikipedia」より)

 但し、「更科 (蕎麦屋) - Wikipedia」によると、「「更科(さらしな)」は、蕎麦の産地である信州更級と保科家の科の文字を組み合わせたもの」とか。
 やはり、地名などに由来するようだ。
 尤も、上述したが、「更科の特徴は、精製度の高い蕎麦粉(更科粉)を使った白く高級感のある蕎麦(更科蕎麦)である」ようで、藪や砂場より、由来話としては味わい深い。

 東京在住時代、「麻布永坂更科」の名を何度となく耳にした。
 港区高輪に居住していた頃は、幾度か、その前を通り過ぎた。
 仕事柄、その界隈を走ることも、しばしばだった。
 が、とうとう、一度も暖簾(のれん)を潜ることはなかった(暖簾が下がっていたかも覚えていないが)。
 貧乏な小生には、敷居が高く感じられたのである。

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← 鍬形恵斉画「近世職人尽絵詞 夜鷹そば」(東京 国立博物館所蔵) 「柳の下、夜鷹が立つところに「夜鷹そば」も店を広げたのか。名前の由来は「双方とも夜の商売」とするものと「値段が同じ」の両説がある」とか。 (画像・情報は、「江戸時代の風情を残した老舗を訪ねる」より) 拙稿「夜鷹蕎麦」参照のこと。
 
 ただ、うどんも蕎麦も大の好物。
 タクシードライバーとして一日中、都内(だけじゃない!)を駆けずり回った頃など(但し、まだ景気が良かった頃までだが)、仕事が一段落付いた丑三つ時も過ぎ、さりとて未明とも呼べない朝(真夜中過ぎ?)の3時半ごろ、恵比寿などお気に入りの店に駆け込み、熱い蕎麦やうどんを啜るのが何よりの楽しみだった。
 そば屋に入る習慣をつける前は、仕事が終わる明け方まではビスケットなどでお腹をごまかし、帰宅してから、買い置きの焼きそばなどをレンジでチンし、食べたものだ。

 そしてお腹をくちくして、すぐに寝入るという習慣が続いた。
 それもあって、急激に太り、体を壊した。
 それに懲りて、仕事時間も残すところあと僅かという時間に「そば屋」でお腹を満たすように心がけるようになったのである

関連しない拙稿
夜鷹蕎麦
ラーメンの思い出
春菊徒然

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コメント

藪蕎麦さん、半年後にでも再開したいと言ってますね。
うちの近くは更科だった。だったというのはやめて、シャッターおろして相当経つから。
母なんか、更科の配達員と仲良しで、いろんな話ししていたけど。
シャッターおろしても、土地を売るとかしないんですね。
蕎麦は僕も大好き。手軽で小腹を満たしてくれる。
天ざるとか大好き。

投稿: oki | 2013/02/23 21:17

okiさん

火災に見舞われたそば屋さん、はやく立ち直るといいですね。ごひいきも多いから、実現しそう。

蕎麦、いいですね。

昨年、ずっと食べていなかったのが、年越しそばを食べて味を思い出し、その後、年が明けてからも、折々、蕎麦を食べるように。
なんとなく、体にいいような気もするし。

近所にそば屋さんがないので、スーパーで買って、家で食べます。

昔のように、仕事の最中、気に入った店で食べられるようになったらって思うけど、それほど景気が回復するとは思えない。

投稿: やいっち | 2013/02/23 22:27

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