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2013/02/18

『サイード音楽評論1』の周辺

 「40歳代前半で発表した『オリエンタリズム』(1978)で世界に衝撃を与えて以降、20世紀を代表する思想家の一人に数えられるE・サイード」著の『サイード音楽評論 1』 を読了した。
彼がかつてシェーンベルクの愛弟子E・シュトイアーマンに師事したピアニストで、西洋クラシック音楽に造詣が深いことはよく知られて」いるようだ。
 自身、折々ピアノを弾いていたとか(クラシック音楽は生活の一部だった)。

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→ 過日、法事のため、富山市のやや郊外へ。そのドライブの途中、神通川の土手にて、車を止め、窓を開け、ひんやりした空気を吸う。

「音楽評論をまとめた著書を出版し、音楽学との学際的な講義も行なっており、忌日が偶然にも誕生日にあたるグレン・グールドの熱心な信奉者として知られていた」という(「エドワード・サイード - Wikipedia」より)。

 サイードの音楽評論(鑑賞)のレベルの高さは、かのダニエル・バレンボイムが本書への序文を寄せていることでも察せられよう。
 序文の中でバレンボイムは、「論理は直観と切り離すことができず、理性的な思考は感情と切り離すことができない。そのことを音楽人としてのサイードは知っていたし、そう信じてもいた。私もそうである」と云う。
「感情的な欲求や気まぐれを満たすために論理などいっさい投げ棄ててしまいたいという誘惑に、私たちはしばしば屈してしまう。しかし音楽においてそれは不可能である」と続く。

 本書の評論はどれを読んでも刺激的で、その演奏の機会を得ていない小生なのに、勝手にオペラの光景を想像して楽しんでしまった(栄光(成功)と悲惨(失敗)の二つの次元で)。

 サイードの奥さんであるマリアム・C・サイードが「まえがき」を寄せている。
 その中で、「エドワードが音楽について本気で書かずにいられなくなったのは一九八二年のグレン・グールドの死がきっかけだったと私は信じています」と書いている。
「あの常軌を逸したピアニストのきらめくような活動が早過ぎる死によって終わりを告げたと知ったとき、エドワードはグールドの人生と、その音楽上の貴重な成果について徹底的に調べ、考察せざるを得ない思いにかられたのです」と続く。

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← エドワード・W・サイード著『サイード音楽評論 1』 (序文 ダニエル・バレンボイム 訳者 二木麻里 みすず書房)

 実際、『サイード音楽評論 1』を読んだ限り、圧巻であり一番印象的な論考は、グールドに関する章だった。
 サイードのグールドへの思い入れの深さ、評価の高さを今さらながら感じさせられた。

 すぐれた鑑賞者であり且つ評論での表現者であるサイードの音楽評論を読むのは、時に(そんなことはありえないながら)実際に音楽に聴き入る以上の楽しみだったりする……のは、小生だけだろう(か)。


サイード関連拙稿:
サイード著『晩年のスタイル』…読書拾遺追記

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