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2013/01/04

木に学び 森に学ぶ

 車中で読んでいた本を読了してしまった。
 年末年始は、仕事が暇。でも、家にいるよりはましと、営業に出ている。

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← 西岡 常一【著】『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』(小学館文庫) 

 車中で読む本がない。
 ふと、本書(の題名)に目が向いた。

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 本書は、「法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろした」という本。
宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くす。一つ一つの言葉には、現代人が忘れかけた日本文化の深奥がひしひしと伝わってくる」とか。
 8年か9年前、文庫に入ったのを幸いに、購入し読んだっけ。
 図書館から借り出した本を読了したので、次の本を借りるまでの間、車中で読む。

 分かる人が見れば、法隆寺にしろ、薬師寺にしろ、幾たびの当時の修理に携わった大工らの腕前が分かる…という。

 昨年末、「四国などの山間部の神社で樹齢数百年の直径1メートルを超えるご神木のスギやヒノキなどが突然枯れる現象が相次いで起きている。愛媛県では今夏、枯れたご神木の根元に数か所の穴が開けられているのが見つかり、除草剤の成分を検出した。県警は、手口から木材に詳しい者が人為的に枯れさせたとみて器物損壊容疑で捜査。全国8万の神社を束ねる神社本庁(東京)も警戒を呼びかけている」といったニュースがちょっと世情を騒がせた(「神木 謎の立ち枯れ 除草剤注入?…四国など」)。

「林野庁によると、樹齢100年を超す天然木の多くは、戦後復興期に切り出されたため現在は希少で、市場に出回ると高値がつくとされる。ただ、寺社の大木は、信仰の対象のため、災害などで倒れない限り、流通しないのが実情だ」とのことで、希少となった巨大な天然木を流通させ、何処かの神社か何かの造立に流用するのが目的らしい(あるいは、被害にあったということでの現金化が目的なのか)。

 こんな事件があったので、ふと、昔、読んだ西岡 常一著(というか語り)の『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』なる本を思い出した…らしい。
 らしい、というのは、本書を年初(元旦)に偶然、手にしたからだ。
 何かが小生の手を本書に向かわせたとしか考えられない。
 まあ、題名が『木に学べ』なのだから、文庫本を物色していて、本書に目が向いても不思議はないのだが。

 それはともかく、法隆寺などの心柱に使うようなヒノキは、樹齢千三百年ほどのものを伐採しているとか。
 そのヒノキの心柱は未だしっかりと機能している。

 法隆寺や飛鳥寺などを造立した際に使ったような樹齢千年のヒノキはもはや日本にはない。
 台湾から買い付けるしかない。

 台湾には、今も(少なくとも、西岡氏の談話が本書などのため収録された当時は)樹齢二千年以上のヒノキがあるのだという。
 日本では、贔屓目というのか、昔から森を樹木を大切にしてきた、などと誇らしげに云う人がいる。
 何か安易に感じられてならない。
 山林の荒廃、朽木の放置、やたらと杉ばかりが目立つ森、樵(きこり)や炭焼き人に限らず、山や森を世話する人の激減などの実情を鑑みると、今までは何とか湿気が多い日本なのでたまたま森に樹木が勝手に生え育ってきたというだけのことではないのか。
 それが証拠に、樹齢千年どころか百年を超える杉や松、ヒノキなどの樹木が皆無ではないか。
 
 でも、これからは山や森の復元力や肥沃な土壌にばかり頼るわけにはいかないだろう。
 木に学び、森に学ぶのが大切なのかもしれない。

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