雪掻きしつつ月と地球とを
23日(水)から降り始めた雪は、断続的に降り続いて、今日も時折、ちらほら雪が舞う。
北海道や東北、あるいは新潟などと比べれば、積雪も20センチを超えるかどうかで、懸念されたほどではない。
これくらいなら、ちょろいものである ! ?
← 『ザ・ブルー・マーブル』 (1972年12月7日、アポロ17号に搭乗したハリソン・シュミットが撮影した地球) (画像は、「地球 - Wikipedia」より)
それでも、(久しぶりに連休だったこともあり)昨日未明から今日にかけて、通算5回は除雪作業を強いられた。
積雪が少なく、新雪のうちは、竹箒でサッサと払うように掃いていたが、積雪が15センチを超えると、もう竹箒は通用しなくなる。
やはり、スコップの出番である。
我が家の庭は、細長いので(横に広がった部分は、植木がある)、玄関から車道まで15メートル以上、除雪しないといけない。
人が通るだけの道なら、大したことはないが、車の出入りを考慮に入れると、幅2メートル以上で長さ15メートルの道を確保しないといけない。
ジャケットを羽織り、手袋をはめ、麦藁帽を被り、マスク着用。むろん、長靴を履いているのは言うまでもない。
以前は、雨合羽の上下を着用していたが、熱が内に籠り、熱気が一気に汗を呼ぶので、この頃は、普段着に雪用のジャケットを羽織るだけにしている。
→ 「月」 (画像は、「月 - Wikipedia」より)
雪が降っていなければ、ジャケットも無用である。
寒い? 10分も作業していれば、体がカッカして、寒さなど感じられない。
それどころか、体中が火照ってしまう。
逆に、作業に興じすぎて、汗が流れるのが心配である。
なので、どんなにムキになって作業するときも、1時間で終えることにしている。
雪掻きの度に下着が汗に濡れ、交換してたのでは、洗濯の回数も増えてしまう。
どんなに雪が降っても、1時間で除雪作業を切り上げるのは、汗を掻くのを避けるためもあるが、疲労が過度に至らないように、という用心のためもある。
適当にケリを付けて、居間に落ち着き、リクライニングに体を沈め、体を休めつつ、テレビを見たり、体の火照りが醒めたようなら、読書などに興じる。
この数日、読んでいるのは、ベアント・ブルンナー 著の『月 人との豊かなかかわりの歴史』である。
月を巡る本は、これまで数々読んできたが、本書は秀逸の部類に入れていい。
今夜辺り、読了しそう。
買えるものなら、書いたい!
← ベアント・ブルンナー 著『月 人との豊かなかかわりの歴史』(山川 純子【訳】 白水社) 「もっとも身近でありながら、今なお多くの謎を秘める月。つねに人々の心を捉えてきたこの天体を、13の切り口から、古今東西の文化や科学的発見の歴史を通じて概観する。図版多数」といった本。
人工の灯りなどほとんどなかった古(いにしえ)の夜は、月影も星屑も、今の我々には想像だにできない光芒を放っていたことだろう。
荒唐無稽な想像を駆け巡らせたとしても、何ら不思議ではない。
それどころか、月面のアバタが詳細に撮影され、月面に人類が一歩を印した現代にあっても、月への神秘な想いは止むことはない。
関連拙稿:
「あの月影は夢か幻か」
「月影に寄せて」
「嗤わぬ月」
「月影と眺める我とそれぞれに」
「真冬の満月と霄壤の差と」
「秋爽の感極まれり地球照」
「月の魔力?」
「夕月夜…秋の月をめぐって」
「朧月…春の月」
「 「ムーンシャイン」は妖しい言葉」
「真冬の夜の月」
「有明の月に寄せて」
「十三夜の月と寒露の雫と」
「月影を追い 地べたを這う」
「初秋の月影を追う」
「沈む夕日を眺めつつ……音楽拾遺」
「メロンの月」
「冬の月」
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