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2013/01/20

1964年の東京オリンピックから2020年招致を考える

 三浦 佑之 著の『古事記を読みなおす』 (ちくま新書)を読んでいたら、1964年開催の東京オリンピックについての話題が出てきた。
 せっかくなので、ここで1964年の東京オリンピック、さらには、2020年開催東京招致について呟いてみたい。

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→ 画像は、「JOC - 東京オリンピック 1964」より。

 2020年のオリンピック東京招致への動きが活発化し始めている…らしい。
 少なくとも関係者や東京近辺の方々を中心とする一部においては。
 小生は1954年生まれなので、1964年の東京オリンピックは、我が家に来たばかりのテレビに、家族みんなでかじりつくようにして<観戦>したものだ。
 重量挙げにレフリングに柔道に男子や女子体操に女子(男子も)バレーボールに、最後は、円谷幸吉が力走したマラソン。

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り その前に、聖火リレーが(当時の小生には珍しかったが)、今はともかく昔は、必ずしも有名な方が携わるとは限らなかったようで、実は「それはオリンピックの理想を象徴している。東京オリンピックで聖火ランナーを務めた坂井義則は、広島に原爆が投下された1945年8月6日、広島県(三次市)で生まれた。彼は第二次世界大戦後の日本の復興を象徴した」のだった。

 そう、「東京オリンピック - Wikipedia」によれば、「1940年大会の開催権を返上した日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックである。歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持った。また有色人種国家における史上初のオリンピックでもあ」った。
「また、1940年代から1960年代にかけてヨーロッパ諸国やアメリカによる植民地支配を破り、次々と独立を成し遂げたアジアやアフリカ諸国による初出場が相次ぎ、過去最高の出場国数となった」ことなど。

 東京オリンピックについては、「JOC - 東京オリンピック 1964」など、ネットでも覗いてみたくなるサイトが幾つもある。

 必ずしも映画好きではない小生だが、市川総監督の「東京オリンピック」は映画館で観たものだ。
『東京五輪音頭』は、耳にタコができるほどに聞いた(家の中でだが、唄ったりもした)。

 上記したように、1964年に開催された東京オリンピックは、日本の戦後の復興や国際舞台への復帰、わけてもアジア地域で初めて、などなど数々の文句のつけようのない意義があった。

 さらに、これも上記したように、日本はそもそも1964年ではなく、当初は1940年の開催を狙っていた。
 1940年には、東京オリンピックだけじゃなく、万国博覧会も開催されるはずだった。
 何故に1940年だったのか。
 それは、明治維新政府が採った太陽暦(皇紀)であり、その皇紀の眼目は讖緯思想に基づく辛酉革命にあった。
 日本書紀の編纂者らにとり、直近の辛酉年は601年。それから遡る(60年掛ける21の)1260年前の「辛酉」年(紀元前660年…縄文時代晩期!)を天命の下った辛酉革命の年と定めた。
 明治23年(皇紀2550年)の金鵄勲章創設や橿原神宮創建といった経緯があるが、ここでは略すとして、では1940年はどういう年に当たるか。
 そう、皇紀2600年なのである。
 だからこそ、1940年の東京オリンピックであり万国博覧会だったわけである。
 が、戦争へと向かっていく世相もあり、断念に追いやられた(但し、橿原神宮の拡張工事は為された)。
 その悔しさ(怨念?)が、1964年の東京オリンピック、1970年の万国博覧会実現へのエネルギーとなっていたのは、否定できないだろう。
 無論、当時の小生の窺い知れない情念だったのであり、オリンピック選手らの活躍を観て、ただただ日本の勢い、日本人としての誇りを感じるばかりだった。

 このように、1964年開催の東京オリンピックは、「日本の戦後の復興や国際舞台への復帰」は(本来は1940年開催が悲願だったことを思えば)後付、外向けの動機であって、何よりも日本国の都合こそがエネルギー源だったわけだ。

 そんな動機はともかく、アメリカの指導の下、平和国家となった日本のお披露目、わけてもアジア地域で初めての開催は、オリンピック開催決定の理由としては、客観的にも十分すぎるほどのものだったのだろう。

 2020年のオリンピック開催候補地は、東京(日本)、マドリード(スペイン)、イスタンブール(トルコ)の三つに絞られ、最終選考が始まるところである。

 その比較検討の詳細は今は省くとして、気になるのは2020年のオリンピックを東京に招致する理由付けはどれほどのインパクトがあるか、である。

2011年3月11日に発生した東日本大震災における全世界からの支援に対する返礼や震災復興」などは、有意義かもしれないが、2016年開催をも狙ったことを考えると、明らかに後付の理由だ(後付だから悪いわけじゃないが)。

 コンパクトで質の高いオリンピックが実現できるというが、いかにも説得力に欠ける。ビジネスライクに感じられるだけである。

 マドリードはともかくとして、イスタンブール(トルコ)のイスラム圏初の五輪開催というインパクトには、東京はまるで敵わない(と小生は感じる)。
 ブラジルにしても、南米初の五輪開催というインパクトが、圧倒的な説得力を持った。


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← 市川崑総監督「東京オリンピック」 (画像は、「JOC - 東京オリンピック 1964」より)

 さて、今、なぜ、次のオリンピックが東京で、なのか、今一つ分からない。2020年だと、1964年からわずか56年を経過したに過ぎない。

 東京など中央の人たち(マスコミも東京至上主義だ)だけが騒いでいるとしか感じられない。
 2020年東京(日本)開催が決まることで、20年に渡って低迷してきた経済の復活への起爆剤となることを期待する?
 東京都は、強固な財政力と良好な治安、インフラ面の充実を唱えるが、小生には、単に経済の東京一極集中が進むだけという、白けた気分が湧いてくるだけである。

 東京がけん引役というが、日本全体の経済が引っ張られたという実感も実態もあるようには見受けられない(スカイツリーなど、話題だけは提供してもらっているが)。
 何かもっと説得力のある東京(日本)招致の理由を示されない限り、日本における招致の機運がこれまで以上に高まる望みは薄いのではなかろうか。

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コメント

猪瀬知事がね、まあ自分もマラソンしたりと、スポーツに理解あるところ見せていますがね。
東京中心、首都分散化の議論も何処かいっちゃって。
名古屋や大阪や福岡もうるおってほしいけど。
それで東京はどんどん便利になり、東急と都営大江戸が相互乗り入れしたり、小田急下北沢の地下化とか、便利にするための工事は相次ぎ、金を使ってと。
それでいてデフレか何か、商店街潰れる。二極化してる。
つまり、繁盛するとこは繁盛させ、寂れるとこは寂れさせと、一億総中流が懐かしい。

投稿: oki | 2013/01/20 21:51

okiさん

何故に東京にオリンピックを招致するのか、その理由に説得力が弱い。
単に東京への一極集中が強まるだけ。

いつか日本に呼ぶとしても、次はせめて北海道か九州、できれば北陸。
北陸は日本海側の中心だから、アジアを意識したオリンピックになる。

とにかく、日本でのオリンピックはずっと先でいい。
アフリカやインド、南米、中東などで、もう一度ずつ開催されてからですね。

投稿: やいっち | 2013/01/20 22:14

真面目な意見
我欲五輪はもういらない。
五輪招致する資金とか資材とかあるならば東北の被災者の為に使っていただきたい。
アスリートの育成とか強化の為に国の予算を使うこと自体は一向に構わないが五輪招致とは関係無いでしょう。

投稿: 我欲都民 | 2013/08/18 22:12

我欲都民さん

東京でオリンピックを開催する理由が分かりません。
都知事や首相の話を聞いても、経済的動機くらいしか見えず、説得力が全くない。
スポーツ関係者とマスコミと東京の人だけ騒いでいるみたい。

投稿: やいっち | 2013/08/27 21:27

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