「財政の崖」の先に見えるもの
「米上院の与野党は31日夜(日本時間1日午前)、2013年の年明けから過度な緊縮財政による景気悪化が懸念された「財政の崖」の回避策で合意した」(「米財政の崖、回避策で合意…上院が関連法案可決 - 速報:@niftyニュース」より)
とか。
→ 大みそかの夕方、雨が霙、霰、そして雪に。一気に積もり始めたが、夜半前には晴れ渡り、月影清かに。
まだ下院での可決は、これからのようだが、とりあえず最悪の事態は避けられる…ようではある。
焦点は、いろいろあるが、要するに富裕層向けの減税をどう扱うか、だろう。
もっと言えば、中間層の存在の有無。
富裕層にすれば、せっかく稼いだお金を高い税率でドサッと持って行かれるのは納得いかないのだろう。
が、そもそも、一部の富裕層に過大にお金が集まる構造自体がいびつなのではないか。
ヨーロッパはもとよりだが、アメリカも中国も、我が日本も、お金は一部の富裕層にドンドン偏っていく傾向にある。
サウジアラビアなどアラブなどの富の偏りはもとよりである。
しかも、その傾向は強まることはあっても、緩和の見込みや望みは限りなく薄い。
このたびのアメリカでの民主党・共和党の攻防を見ても、富裕層の岩盤はあくまで固いし分厚い。
経済界も官僚も評論家も、経済発展は富裕層など一部の特権者の力あってこそと喧伝して止まない。
貧乏人の味方をしろというのはともかく、経済的な中間層の薄さは、経済的な緊張、やがては民族だったり宗教(思想)だったり地域間だったりの対立、ついには政治的な危機を呼ぶ。
怖いのは、アメリカのティーパーティ派や日本の維新に限らず、極端な主義主張を唱える勢力が台頭することだ。
典型はナチズムなのは言うまでもない。
中間層というのは、幅広い意見が醸成される貴重な層なのだ。
日本は、共和党ならぬ自民党(と公明党)の政権が復活した。
維新も台頭への足掛かりを得た。
力と狭隘なナショナリズムへの道は、開かれてしまった。
長く苦しい戦いが、今年から表立って始まる。
そう覚悟しておかないと。
と云いつつ、小生自身は中間層さえ雲上人に見える情けなさ。
本を買いたくても買えない(電子ブックも手が出ない)。
なんとか中間層と自負しえる生活を送りたいもの…なのだが。
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