三浦 佑之著『古事記を読みなおす』読了
過日、日記に書いた事情で、何をやっても心は上の空状態である。
知り合いにいろいろ知恵を求めるが、なかなかいい案が浮かんでこない。
← 三浦 佑之 著『古事記を読みなおす』 (ちくま新書) 「日本書紀には存在しない出雲神話がなぜ古事記では語られるのか? 序文のいう編纂の経緯は真実か? この歴史書の謎を解きあかし、神話や伝承の古層を掘りおこす」! 著者の主張するように、もうそろそろ明治維新直後の頃、日本の近代化のためにでっち上げられた記紀神話から卒業してもいい頃だろう。
本を読んでいても、いつもなら数頁も読まないうちに睡魔が襲ってくるのに、心配事が脳裏を駆け巡り、そのうち頭がカッカしてきて、頁をめくる手が止まっていたりする。
どこまで本文を辿れているか覚束ないが、それでも、著者が敢えてポレミカルたろうとして、やや挑発的に(自分の意見を明確に)書いていることもあり、論旨は明快だし、『古事記』の世界がいかなるものか、伝わってくる。
まあ、とにかく、楽しく読書できた。
『古事記』の原文となる「古事記(ふることぶみ」は7世紀の終わりか8世紀の初めごろに(主な部分は)成立していたのだろうことは、三浦氏も大和氏も異論がない。
これは、『古事記』の序文を読めば、素人でも、本文とは書かれた時代がかなり違うと直感する。
正史である『日本書 紀』とは、まるで異質な上表文なのである。
ただ、「序文を書いたのは弘仁期(810〜823)に日本書紀の講義をした多人長という人物である。自分の先祖で位の高い安万呂を編者に仕立て上げて、権威付けを狙ったのであろう」という大和氏の意見に、三浦氏もある程度、賛同されているようである(多人長という人物に注目はするが、彼が書いたとまではさすがに断定はされていない)。
『日本書 紀』が成った時点で「古事記」は、歴史の表舞台から消え去るべき文書だったのだろう。
→ 「真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本」 南北朝時代のものが最古の写本! (情報や画像は、「古事記 - Wikipedia」より)
日の目を見るようになったのは、9世紀に入ってからのようだが(最古の写本は南北朝の頃のもの!)、ホントに脚光を浴びるようになったのは、江戸時代になってから、世界の中にあって日本とはいかなる国なのかが厳しく問われるようになってから、というのも、歴史の皮肉なのだろう。
記紀史観に未だに囚われる学者は、『古事記』を序文も含め712年に成ったという考えに固執される。もっと序文を偏見を離れて読み返すべきだろう。
もう<記紀神話>は過去のものなのだ。
関連拙稿:
「大和岩雄・著『新版 古事記成立考』を読む」
「三浦 佑之著『古事記講義』 」
「三浦佑之『口語訳 古事記』」
(このほか、拙稿「竹箒と読書と」の末尾にリンク集あり。)
| 固定リンク
「書評エッセイ」カテゴリの記事
- ハン・ガン著『少年が来る』から<吉本>へ(2025.05.23)
- 「水」は地球人に限らず永遠のテーマでは(2025.05.21)
- シンガーの本からスナウラ・テイラー の『荷を引く獣たち 』を再認識(2025.05.20)
- 不況は深刻化するばかり(2025.05.19)
- 「任那」から「伽耶」へ(2025.05.16)
コメント
すみません、毎日日記読めないので、弥一さんの心境がわからないのですが、何か大変なんですね?
ほお、出雲神話って古事記にしか語られないのですか。
去年、京都で、大出雲展、東京は国立博物館で、出雲展ありましてね、古代の出雲神殿の復元模型が出てましたが、それが定説って訳ではなく、神殿はまだ謎が多いようですね。
国立博物館は今は、飛騨の円空ですよ、まあいろいろやりますね。
本屋でも、古事記関係の雑誌目立ちますね。
投稿: oki | 2013/01/25 22:47
okiさん
出雲神話の扱いは、『古事記』と『日本書 紀』では、まるで違う。
後者では、出雲を極小に扱おうとしている(歴史から消し去ろうとしていたのか)。
大出雲展、見たかったです。やはり、地の利ですね。
東京在住だったら、きっと見に行った。
古代出雲はまだまだ謎に満ちてます。
正史である『日本書 紀』からは抹殺されただけに、歴史に証左する物証も(特に文書の類)は少ないでしょうし。
いずれにしても、「記紀神話」は過去のもので、「記」と「紀」は、全く性格の違うものという認識は常識になっていくでしょう。
投稿: やいっち | 2013/01/27 18:08