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2013/01/12

バスケ部キャプテン自殺事件についての桑田真澄氏の意見

 昨日、車中でラジオを聴いていたら、例のバスケット部キャプテンが高校の顧問による体罰を苦に自殺した件で、あの桑田真澄氏が傾聴に値するコメントをされていた。
 小生自身は、体育会系のクラブの経験は、高校一年の後半の半年と、大学入学冒頭の二日(!)だけである(あとは、小学校の高学年の時、少年野球大会出場のため、猛練習に励んだことくらい)。

 なので、自分が偉そうな意見を言い募るのはおこがましい。
 しかし、腹に据えかねるのも、正直なところ。

 桑田真澄氏のコメント(インタビュー)の文面が今朝の朝日新聞朝刊に載っていた。
 ネットでその文面を探したら、幸い、見つかった。
 聞くに(一読に)値すると思われるので、一部、転載させてもらう。

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 ニュースソースは、下記である:
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
(転記文中、太字部分は、小生の手になる。)
 

私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。

 早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。

 体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。

 ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。

 私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。

 指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか? 何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。

 今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。

 「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。

 体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。

 桑田氏は、指導者の指導法に絞ってコメントされている。
 小生は、体罰は必要だと言い張る、顧問の暴力的な指導法もだが、学校側の体質、教育委員会の体質にも怒りの念を覚えている。

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コメント

「体育会系」と体罰は古くて新しい話なのですね。例えば大学などでも山岳会とかは多くの死亡者を出して、連合赤軍顔負けでしたよね。流石にそれほどのものは影を潜めたとは思っていたのですが、実は似たような陰湿な組織関係は日本だけではないと知るようになりました。

例えばドイツの国防軍の中でもそうしたいじめや暴力があり、日本でも必ずそれが国家神道的な国粋主義とつるむのと同じように、ネオナチズムとつるむのですよ。

大阪やくざ政治集団の市長が謝罪をしたと読みましたが、体罰という行為だけを切り離してもそうした環境を根本から是正できないことは分かっているにも関わらず、矮小化して片づけてしまおうとしているかのようです。そもそも国歌斉唱を義務付けるなどが間違いで、本物の愛国心や愛郷心などはそのような心に根付くとは思いませんね。なによりも、人を大切にしなけりゃ。

投稿: pfaelzerwein | 2013/01/13 01:27

桑田さんの意見は今日の東京新聞にも載っていました。
アンケートからすると今の体罰は少なくなったとは、一昔前は当たり前だったのですね。
しかし今はいじめにせよ、体罰にせよ、すぐ訴えるし、警察もすぐ逮捕する。時代の流れか、指導者もやりにくいだろうなと。
体罰が必要とする人はかならずいます。
戸塚ヨットスクールはまだ存続しているわけでしょう。
体罰とか、いじめとか、ある意味人間の本性によるものだから、永遠の課題かな。

投稿: oki | 2013/01/13 22:25

pfaelzerwein さん

大学の山岳部(会)が死亡者を多く出しているというのは、小生には初耳です。
さすがpfaelzerwein さんならではの指摘ですね。
雪山(に限らないけど)登山での悲劇は後を絶たないけど、無理を承知の挑戦の傾向があるのでしょうか。
警察当局や、時には民間の人たちが救助に向かいます。
彼らの遊びのために、どれほどの人的物的経費が要ることか。

自衛隊や警察、そうそう、角界での稽古の際の暴力の現状が気になります。
スポーツは、最後は自力の営み。
叱咤は必要でも、最後の勝負は自分に勝つことでしか得られないと思うのですが、体育会系には門外漢の言い分に過ぎないのでしょうか。

体罰にしろ、国歌国旗の強制にしろ、腕力と権威を持ち出さないとダメという発想が、ホント、貧しい限り。
今、自民党も維新も右傾化の傾向を露わにしています。
中国の挑発をこれ幸いに、でしょうか。

投稿: やいっち | 2013/01/14 20:44

okiさん

体罰は論外だとしても、逆に体罰忌避の傾向が、ちょっと頭をこずいたとかだけでも、生徒(の親)に訴えられて、大騒ぎになる。
ゆとり教育や子供至上主義の行き過ぎも心配です。
大事にしすぎて逆に子供をダメにしそう。
戸塚ヨットスクールとか、角界とか、未だに体罰至上主義なのでしょうか。
実情が分からないけど、簡単には体質は変わらないのではと思えるのですが、さて。

投稿: やいっち | 2013/01/14 20:48

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