島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(3)
本日は晴天なり、…晴天となると、庭仕事である。
前日の仕事の帰りが、いつもより二時間ほど、遅くなったこともあり、その分、今日の時間的余裕が削られている。
なので、ほんの少し、かるーく、作業するだけのつもりだったが、案の定というべきか、気が付くと、意地になって作業に精を出し、気温が数度ほどなのに、汗だくになっていた。
今日は何をやったかというと、雪囲い(と少々の雪吊り)である。
雪囲いや雪吊りの縄や杭を春先になって取り外すという作業は、さすがに小生も経験がある。
しかし、雪囲いなんて、まるで経験がない。
ノウハウもへったくれもない。
何もしないよりは、したほうがいいだろうと、納屋や蔵にあった縄や菰(こも)の類を引っ張り出し、畑などで秋口まで使っていた支柱を生かす意味もあり、とにかくやるだけ。
島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(3)
← 島崎藤村著『夜明け前 第一部〔下〕』(岩波文庫)
先週末、ようやく『夜明け前』の第一部の(上)を読み終えた。やはり4分の1分冊を読むのに半月を要したことになる。予定通りといえばそれまでだが、それにしてもゆっくり過ぎるだろうか。
さて、この第一分冊では青山半蔵が参篭に向かう場面で終わっている。彼は父親(吉左衛門)から身代を受け継いだのだが、肝腎の父が病に倒れるのである。その父の快気祈願のため、参篭の地、王滝に向かったのである。
そこは山深い木曽の更に奥に分け入った地である。馬篭近辺での花の便りを聞いてから一月もかかって、ようやく王滝辺りでその花を見ることができるほどに深い山間の地にあるのだ。
半蔵は京都へ向かう多くの同僚・先輩の動向が気になってならない。慌しさが増す京都は不穏な空気が蔓延している。彼とて行けるものなら家を捨てて京へ向かいたいのである。
が、それは父をも捨てることになる。また、大切な、父祖の代より子供とも思って世話をしてきた村人をも捨て去ることになる。
そうした思いを振り切って今、半蔵は山里の中の山里とも言うべきところに身を置いている。にもかかわらず、半蔵は「最も遠い古代に着眼した宣長(本居)」の発見した「最も新しい道」を辿るれることをありがたく感じている。また、師である平田篤胤の『静の岩屋』を参篭へいたる道中において開くことを忘れない。
平田篤胤(1776-1843)は既になく、養嗣子らに一門は引き継がれているが、彼の思想は幕末になって更に息づいている。平田篤胤は決して頭ごなしに攘夷的発想をとってはいないことを『静の岩屋』を繙くことで半蔵は知るのである。
外国から様々な文物が入ってくるのは、神の心であるとさえ述べている。「先師は異国の借り物をかなぐり捨てて本然の日本に帰れと教える人ではあっても、むやみにそれを排斥せよとは教えていない」というのが半蔵の述懐なのである。
幾日かの参篭を終えて、そろそろ半蔵は里のことが気に掛かっている。里には京からの同僚の便りが来ているかもしれない。父のことも気掛かりである。水垢離(みずごり)と山篭りという「新しい経験をもって、もう一度馬篭の駅長としての勤めに当たろうとした」のだった。
「そうだ、われわれはどこまでも下から行こう。庄屋には庄屋の道があろう」
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