富山駅弁 源のますのすし 販売から100周年!
富山へ帰郷して早、五年。
なのに、好物の「ますのすし」を食べる機会に恵まれない。
いや、似たようなものを買おうと思えば、スーパーにだって売っている。
一度ならず、買って食べたこともある…コンビニで鱒寿司のおにぎりを買うのは、せめてもの思いがあるからである…が…
← 「鱒寿司」 (画像は、「鱒寿司 - Wikipedia」より)
機会に恵まれない、なんて婉曲な表現を取ってしまったが、要は貧乏で買えないのである。
外食も、帰郷して五年で、吉野家さんへ一度か二度、父の付き添いでラーメン屋へ。
父母のお見舞いに病院へ行った際に、病院の食堂へ、など、すべてを数え上げても、両手の指があれば足りる!
富山には鱒の寿司の専門店が三十ほどあるが、未だにそうした店で買ったことがない(そのうち、数店舗のますのすしは、もらい物の形で食べたことがある!)。
敷居が高すぎる。
でも、いつかは! いつかは!
さて、過日、鱒寿司百周年といったチラシか何かを町中で見かけた。
その割に地元富山でもあまり喧伝されない。
が、天の配剤か、鱒寿司の関係者にお話を伺う機会に恵まれた。
なるほど、鱒寿司(ますのすし)の存在を全国に知らしめた、株式会社 源(みなもと)が、「富山駅弁 源のますのすし 販売から100周年」を迎えた、ということなのだった。
→ 金曜日、冬の富山には珍しい快晴。冠雪の立山連峰も凛々しい姿を見せてくれた。
「鱒寿司 - Wikipedia」によると、「鱒寿司(ますずし)は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を用いて発酵させずに酢で味付けした押し寿司(早ずし)の一種」である。
「木製の曲物(わっぱ)の底に放射上に笹を敷き、塩漬け後に味付けをした鱒の切り身をその上に並べる。そこに酢めしを押しながら詰め、笹を折り曲げて包み込み、その上から重石をしたもの。通常は曲物の上下に青竹をあて、ゴムなどで締めた状態で流通する」というのは、説明するまでもなく、既に馴染みの方も多いだろう。
← 2012.05.02 富山駅弁 源のますのすし 販売から100周年
明治45年に当時の国鉄富山駅で、駅弁『ますのすし』の誕生以来、駅弁 西の横綱として全国に親しまれてきました。
伝統の味に独自の調理法、時代を先駆けてのパッケージの工夫。
そんなこだわりの1つひとつがあって、源の『ますのすし』は富山名物として愛され、100周年を迎えることができました。
これからもますます皆様に愛される味づくりに取り組んでまいります。
鱒寿司の歴史については、「鱒寿司は神通川流域を中心とした食文化である。平安時代中期の『延喜式』には鮭寿司が貢献物として登場するが、これは米飯を発酵させたなれずしだとされる。『越中史料』第2巻には、享保年間に富山藩第3代藩主・前田利興の家臣吉村新八が、将軍徳川吉宗に鮎寿司を献上したときの製法が、現在の鱒寿司と同じ早ずしであったことが記載されている。なお一般には、この時に吉宗の絶賛を受けたとする逸話が現在の鱒寿司の起源として語られている」というが、過日もそのような話を伺ったのだった。
さらに、これからが表題に関わることだが、「現在のように鱒寿司が広く流通するようになったきっかけのひとつは、1912年から駅弁として販売されるようになった「ますのすし」である。「ますのすし」は、製造業者のひとつであった「源(みなもと)」によってつくられた造語(商品名)であるが、百貨店・スーパーマーケットなどにおける「駅弁大会」や「物産展」などでこの駅弁が有名になると、鱒寿司を「ますのすし」と称する店が出てきている」のである。
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