島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(4)
今日もなんだか慌ただしく過ぎた。
午前中は、ある葬祭会社との契約を解除手続き。
食事を終えたら、除雪作業。
いつものように、スコップでと思ったが、横着な性分が出たこともあるが、ふと思いついたことがあって、竹箒を持ち出して、除雪作業してみた。
これが大正解。
← 島崎藤村著『夜明け前 第一部〔下〕』(岩波文庫) ほとんど読み進んでいない。これからラストスパート!
竹箒で右に左にと掃いていくと、雪が面白いように飛んでいく。
どうやら、積雪が二十センチほどの深雪なら、竹箒がスコップより能率的だし、作業も迅速に終えられることが分かった。
午後は、車検が終わったということで、車を取りに行く。
ついで、灯油80リットル購入。その足で買い物へ。
夕方近く、約束の時間より一時間遅れで住職が来た。母の月命日法要のため。
普段はしない掃除。ついでにトイレ掃除もやった。
驚いたのは、「本山割当(ほんざんかっとう)」なるものがあるとかで、月命日以外にもお布施を求められた。
名称からして、一部か全部、本山へ上納されるのでしょうな。
ということで、夕方までに大方の用事が済んだ。
自分へのご褒美じゃないけど、二年と半年ぶりに、自宅で入浴した。…というか、湯船に浸かるのも、二か月ぶり!
島崎藤村『夜明け前』を、今、読む(4)
さて、牛歩という奴でようやく『夜明け前』の第一部下巻に辿り付いた。並行していろいろ読んだりして、道草がやたらと多い。けれど、何しろ街道の往来は徒歩しかないし、まわりの風景を眺めつつ、じっくり大地を踏みしめていこう。
* *
王滝から戻ってきた半蔵である。参篭の御蔭が父の吉左衛門も起き上がれるようになった。その父は半蔵の平田(篤胤)かぶれが気になってならない。
が、半蔵は京の情勢を耳にして世の激動の予感に家業が重荷になってならないでいる。それでも彼は庄屋として本陣を守る覚悟はしているのである。
その半蔵に長州が攘夷・倒幕に動き始めたという話が伝わってくる。アメリカ船へ向けて発砲も試みているのである。
街道を行き来する武士の動きも激しい。その武士たちは街道筋での脅迫と強請(ゆすり)に熱心である。旅館の亭主と実懇(じっこん)になるのである。それは実際には宿の亭主から酒肴代やら御祝儀などを献上金としてせびることを意味する。
「貧しい武家衆や公家衆の性質の悪いものになると、江戸と京都の間を一往復して、すくなくとも千両くらいを強請り、それによって二、三年は寝食いができる」と言われるような世の中になってきたのである。
さて、ついに倒幕の第一の火の手が上がった。天誅組(天忠組)の一揆という形で倒幕の烽火(のろし)が大和地方に挙がったのである。
この一揆を静めるのに紀州、津、郡山、彦根の四藩でも半月を要したのだった。その「残党の中には平田門下の人もあるべきことをほとんど直覚的に感知」する半蔵だった。
半蔵らは煩を窮める街道の便宜を図るべく、江戸に向かった。その江戸で見たものは寂れ果てた江戸の姿であった。
ようやく天誅組の一揆を制圧した幕府であったが、すぐる文久三年の火災で江戸城の本丸は焼失したままである。将軍家は田安御殿に移り住んでいる。僅かに西の丸を諸国の町人・百姓からの上納金で復興の工事中である。
幕府の威容が崩れる中、江戸市中の諸国の武家も国許に帰り始めている。繁文縟礼の類いが廃され、あるいは京都に返すべき慣例を返す中、参勤交代の慣習も惜しげもなく投げ出してしまった。
半蔵らの耳に長州の謀反の噂が伝わってくる。同時に高札場には長州征伐のお触れ書が掲げられる。
ある日、暁(あけ)の七つ時に半蔵は半鐘の音を聞く。それは実は、長州屋敷の打ち壊しの合図だった。
京では長州の挙兵・上京が始まっていた。幕府もその動きは察知している。やがて蛤御門の変などが起きるのである。そうした京の動きを、平田同門の恵蔵からの手紙で半蔵は細かく知ることができた。
その手紙の中には真木和泉(まきいずみ)の死も報じられている。真木和泉はいち早く尊王攘夷の運動を起こした一代の風雲児なのだった。
彼の死は、対外関係の上で硬派中の硬派の死を意味した。長州はアメリカ商船、仏国海軍や伊国海軍の砲撃を受け、下関の市街さえも占領される。
英米仏蘭の四国を相手に辛酸を嘗めるという現実を前に、攘夷を遂げることができると信じることの意味を悟り始めるのである。
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