終日の雨の日は、雨読
富山…このところ、天気が目まぐるしく移り変わっている。
昨日、月曜日は、初冬の富山(北陸)では珍しいほどの晴天。
富山の市街地を走っていると、空気が乾いていることもあってか、冠雪の立山連峰の雄姿が一層、際立つ。
昔、立山の火山が噴火し、膨大な量の溶岩が溢れ流れだし、「標高2000m級に広がる高原としては日本一の広さ。南北2Km、東西4Kmで立山を代表する場所の一つ」だという、巨大な溶岩台地になっている、その光景も見事なほどに浮かび上がってくる。
弥陀ヶ原という名のこの台地は、大抵は薄靄にぼんやり沈んでいて、どの辺りにあると知っているならともかく、天気がいい日でも、なかなか気づかない。
壮大な弥陀ヶ原の積雪に陽光が跳ね返り、きらきら輝いて、緩やかに傾斜し伸び広がる台地の地形が陰影も鮮やかに天に映し出されるのだ。
その富山、今日は一転して、いかにも初冬の富山らしく、どんよりとした空。
雨脚が時折、弱まることはあっても、ほぼ終日の雨である。
気温がやや高めなのが幸いして、辛うじて霙にも雪にもならずに済んでいる。
← ロベルト・ボラーニョ著『2666』(野谷 文昭、内田 兆史、久野 量一 訳 白水社) 題名…村上春樹の『1Q84』の向こうを張ったわけではない!
晴天の日の休みは、外仕事、庭仕事と相成るわけだが、雨の日は、(晴耕はともかく)雨読である。
ゴミの日の当番で、ゴミ出しの場所のネットの始末などをしたり、強めの風と冷たい雨でたっぷり落ちたカエデなどの真っ赤な葉っぱを掃き寄せる、そんな作業を雨が小降りとなった合間を縫ってやっただけ。
一昨日の日曜日、晴れで外仕事(雪囲い)作業に汗だくになったため、十数頁しか読めなかったロベルト・ボラーニョ著の『2666』も、今日は60頁以上は読めている。
本書、上下段組で860頁もある。
手に持つと、重い!
小生は茶の間では、リクライニングチェアーに体を埋めるような態勢で本を読む。
両手で持っても重く、数頁も読むと、手が、腕が上がる!
なので、母のために買ってきたが、とうとう使わずじまいだった枕を胸の辺りに宛がい、その上に本書を置いて読んでいる。
なかなかグッドである。
本書、いよいよ面白くなる…予感が漂ってきた。
初めての作家の、やや実験的な手法と構成の本を読むのは、理解力の乏しい小生にはやや難儀。
ひたすら作家の筆力に導かれるままに読み進めるだけである。
それでも、遅読の小生、年内には読了は無理だろう。
寝床で読んでいる、藤村の『夜明け前』共々、ゆっくりじっくり向き合うつもり。
← 中山茂著『天の科学史』 (講談社学術文庫)
昨夜は仕事を早めに切り上げてきたこともあり、就寝時間も繰り上がり、その分、今日、日中に自由となる時間が長くなったこともある。
昨日は、あまりに仕事が暇で、早退気味に切り上げたのだ。
代わりにと云うか、中山茂著の『天の科学史』 を仕事の合間に百頁近く読め、就寝前に残りの数十頁を読んで、一気に読了と相成った。
皮肉な成果(?)である。
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