南京虫の思い出
木曜日、NHKテレビ(クローズアップ現代)で「スーパーナンキンムシ」特集があった。
既成の殺虫剤が効かない、新種の南京虫が日本でも現れ、被害の報告が増えているという。
アメリカでは五年ほど前から被害が目立ち始め、対策が求められるようになったという。
← 富山駅北口から岩瀬浜へと、ライトレール(ポートラム)が走る。ハロウィンだったり、今はクリスマス気分を演出するデザインとなっている。
日本は、アメリカの現象を十年遅れで追随するなどと仄聞するが、さすがにスーパーと冠せられるだけに、五年遅れで日本でも被害の報告が増えてきたようだ。
興味深かったのは、これまでのようにワンパターンで、新薬を求めるのではなく、虫(敵)の習性を徹底的に調べ上げることで、薬に頼らないナンキンムシ退治(対策)がアメリカで勧められているという報告である。
たとえば、黒い色のものを隠れ場所(住処)にしがちだとか、プラスチックのように表面がツルツルしているものより、布や紙などざらざらしている場所を好むとか、(昆虫に限らないだろうが)熱に弱いようで、45度以上の熱風に数分晒すとか(売り出されているナンキンムシ駆除の電気装置だと、60度ほどの熱風でやっつけるようだが)、などなど。
なるほど、やっつけるには敵の習性を知ることが先決だし、何より、薬剤に頼らないことで、環境への負荷も、人が薬剤の影響を受ける、などのマイナス面が減るわけで、云われてみれば、当然なのかもしれない。
さて、小生には、ナンキンムシに絡む苦い思い出がある。
「南京虫の思い出」だからといって、決して、南京虫との甘い思い出があるわけではない!
小生は五年余り前に帰郷した。
これは、帰郷する前の、帰省の折の思い出である。
今から七八年前のことだろうか。
その年の五月だったろうか、例によって田植えを手伝うことを謳い文句で連休を利用して、オートバイで帰省した。
田舎の家での小生の居住する部屋は決まっている。
数部屋ある我が家の、南西角の六畳間である。
その部屋には、天袋もある立派な押入れがあり、帰省してからの一服や食事、団欒のあと、部屋に引っ込んだ。
その年の二三年前から、布団は自分で押入れから引っ張り出して、敷く。
それまでは、父母が敷いていてくれたのだが、体力が許さなくなったのである。
その年も、押入れから引っ張り出して、日記を書こう、本を読もうと布団に潜り込んだ。
悪い予感はあった。
いや、予感ではなく、父が警告してくれたようだが、小生はせっかくの忠告を聞き流してしまった。
そんな大事に至るようなこととは、夢にも思わずに。
→ 富山城の城址公園。
嫌な感触は布団に潜り込んだ直後からあった。
もぞもぞするような、嫌な感じ。
足や手など、下着から食み出している部分に、一際、明らかな違和感があった。
その時点で、布団から出るチャンスはあった。
普通の人なら、そうするはずである!
だが、不精な小生、せっかく布団に潜り込んだのに、今さら出られるかと、そのまま、不快をものともせずに(!)寝入ってしまった。
寝込んで間もなく、二三時間ほどしてからだろうか、尿意もあったが、むしろ痒みに耐えきれず、目覚めてしまった。
思えば、それがラストチャンスだったのだ!
怠惰で不精な小生は、トイレから戻ると、また布団に潜り込み、そのまま朝を迎えたのだった!
起きてびっくりだった。
手もだが、足がひどかった。
脛の辺りを中心に、脹脛など、足中が虫に食われて、たまらなく痒いし、早くも変色している個所もあった。
小生は、シラミか何かのせいだと思っていた。
当時、小生はナンキンムシのせいだとは思わなかったのである。
何たる無知!
とにかく、シラミの奴に足が食われた、血が吸われた、しかも、一晩中! その愚かさを呪った。
そうだ、前夜、布団、日干ししてないからと、ちゃんと忠告されていたのだ。
なのに、その忠告を軽んじてしまったのだ。
若い頃は、日光浴が好きだし、ツーリングでも、旅先では、陽を浴びながら、のんびりしたり読書したものだった。
ツーリング以外でも、スキー、ゴルフ、テニス、水泳と、休日はアウトドアで過ごし、特にスポーツなどで体を動かすのが好きだった。
← これも、富山城の城址公園脇の風景。
しかし、三十代半ば以降は、体に栄養が行き渡っていないし、寝不足もあって、日焼けが肌などに悪いと自覚し、陽を避けるようになった。
なので、四十代近くには、吾輩の体は白くなり、また、陽に焼かないせいもあってか、もち肌(← 見栄あり!)を維持していた。
その自慢の白いもち肌が、その夜、シラミに一気に痛めつけられたのだった。
悔しい! それ以上に、己の愚かしさを呪う!
体中を食われたその日、早速、布団を日干ししたが、後の祭りだった。
帰省の際には、父母が我が子のためにとやってくれいたこと、その有難みを、我が身で痛いほどに思い知ったわけである。
あれから十年ほどにもなる今も、あの夜、一晩中、ナンキンムシどもに食われた痕が、痛々しいほどに脛などに残っている。
脛の傷、脛の痣を見るたび、親の有難み、己の愚かしさを思い知るのである。
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コメント
面白いですね。
今年は夏にゴキブリが全然出ないと思ったら、秋深まって、小さなゴキブリがゾロゾロ。
僕の足も何か虫に喰われたようで、痒くて赤かった。
まあ独り暮らしですので、伝染の心配はないですから、ほおっておいたら収まった、ダニかな?
心配と言うと今日の地震ですね、311の余震だそうで。
選挙控えて、経済政策とか言いますが、また地震がきたら経済どころではない。
311が続いていると言う認識で選挙に臨みます。
投稿: oki | 2012/12/08 00:28
oki さん
ココだけの話ですが、小生、今回、NHKの特集を見るまで、ゴキブリとナンキンムシの異同、あやふやでした。ダニとの異同も。
調べて、違いがはっきりした。
南京虫に食われた痕、いまだにまざまざと残っている。
地震、津波、1メートルだったとか。
311がメルクマールとなる日付なのは、当然でしょうが、それ以上に、8・6や8・9、そして8・15なども。
地震の被害は数十万で、これからも発生しえますが、戦争の被害は日本では数百万、アジア全体では数千万。
日本の政治も、アジア的規模、世界規模で捉えないと、経済的な困窮も脱出の望みもない。
投稿: やいっち | 2012/12/08 21:46