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2012/12/03

ふとしたことから「母さんの歌」が

 一昨日(土曜日)のこと、ふとしたことから、「母さんの歌」の中のある歌詞が思い浮かんできた。
 不意に脳裏に浮かんできた歌詞とは、「かあさんが 夜なべをして 手袋あんでくれた」の部分である。
 その前に、「木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせとあんだだよ」という下りが身につまされた。

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 冷水での洗車の最中だったか。
 あるいは、(記録上の初雪は先月末にあったが、実感させられたものとしては今冬初めての)霙(みぞれ)や雪の中、トイレに駆け込み、手を洗った際、水の冷たさが身に沁みたからか。
 せっかくのいい歌、小生も大好きな歌で、小学生の頃には授業などでよく歌った歌だったのだが、その歌の歌詞に、ふと、愚にもつかない疑問が浮かんでしまった。

「かあさんが 夜なべをして 手袋あんでくれた」というが、夜なべとは、一晩中、ということであろう。
 その際、灯りはどうしていたのだろう。蝋燭? 囲炉裏の火灯り? まさか電気(電燈)などではないだろうし。
 そもそもこの歌は、一体、いつの時代を想定しての歌なのか。
 そして、一体、いつ作られた歌なのか。

 作詞作曲した「窪田聡(くぼた さとし、本名:久保田俊夫、1935年 - )は、日本の音楽家。シンガーソングライターの草分けといわれる」とか。

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かあさんの歌 - Wikipedia」によると、「この歌は1956年(昭和31年)窪田二十歳の時に発表されたもので、家出当時、次兄を通じて居所を知った母から届いた小包の思い出や、戦時中に疎開していた長野県長野市の旧信州新町地区の情景を歌詞にしたものとされる」という。

 童謡唱歌の類は今は歌われているのだろうか。
 この歌は、歌声運動や、ダークダックスやペギー葉山らが歌って広まったが、小生は、倍賞千恵子の歌唱が切々として好きである:
倍賞千恵子/かあさんの歌 - YouTube

 我が家の庭先には、過日、巨木の上半分を断ち切った幹や枝が放置されたままである。
 葉っぱが落ちつくしたら、細分し、徐々に燃えるゴミとして処分していくつもりでいる。
 できることなら、薪(たきぎ)にして暖房の足しに、なんて思うのだが、それは無理として、せめて枝や幹が乾いたら、焚き火を楽しみたい……のだが、それも、市の条例か何かで我が地域は禁止されている。

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 ガキの頃、刈り込んだ枝葉を燃やす際、せっかくだからと、焚き火で新聞紙を燃やして種火にし、サツマイモを蒸かしたことがあった。
 近所のガキ連中も集まってきて、熱いサツマイモをみんなして食べたものだった。
 そんな楽しみは、今では市街地では夢のまた夢である。
 自分を想う母の存在のように、夢幻のようである。

 以下、せっかくなので、この懐かしい歌を掲げておく:

母さんの歌

   窪田 聡 作詞/作曲

かあさんが 夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
せっせとあんだだよ
ふるさとの便りはとどく
いろりのにおいがした


かあさんは 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい


かあさんの あかぎれ痛い
生みそをすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
なつかしさがしみとおる
なつかしさがしみとおる

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